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はせがわクリニック奮闘記

糖質制限、湿潤療法で奮闘中です。
パーキンソン病にはグルタチオン点滴を
癌には高濃度ビタミンC点滴も施行中です。

黒川博行・破門

2014年11月14日 | 読書


今日は上記を読みました。
ジャンルはヤクザ物で、主役は強面武闘派だけど頭も切れる42歳の桑原と、嫌々ながらも彼に巻き込まれ続ける39歳のヘタレ建設コンサルタント二宮です。
展開も速く、淀むことなく読み終えたのですが、なんとなく違和感が残りました。
これは、小説というよりも、そのままで映画の台本に近いのです。
ストーリーには、嘘、裏切り、騙し合い、罠、心理戦、アクションシーンなどが散りばめてあるのですが、
この小説のメインディッシュは桑原と二宮の軽快な会話なのです。
とにかく、このコンビ間の会話が、かなりのボリュームを占めますので、映画の台本を連想してしまうのです。
大阪弁での歯切れのいい会話がテンポ良く展開されます。
まあ、楽しく読み終えましたが、お勧め度は70%くらいでしょうか。

フォルトゥナの瞳・百田尚樹

2014年11月04日 | 読書


今日は上記を読み終えました。

百田尚樹の作品ですので、面白くないはずは無かろうと信用して読み始めたのですが、案の定、あっという間に読了してしまいました。
予想に違わぬ素敵な恋愛小説でした。
ネタバレは避けますので、是非読んでみて下さい。

私にとっては、海賊と呼ばれた男、永遠のゼロ、モンスターに次ぐ第4作目ですが、百田尚樹の作品の傾向が分かってきました。
主人公には、どれも、実在しそうにも無い、素晴らしいキャラクター付けが施されています。
現実離れしたキャラを丁寧に描写し、周囲との関係を綿密に構築していくことで、そのキャラが現実味を帯びてくるのです。
時代劇では、ありふれた様式なのでしょうが、時代劇だけに許されるものだと思っていました。

さて、作品中に面白い話が出てきます。
ネタバレにはならないので、紹介します。

バクダッドの裕福な商人のところに、市場に買い物に出かけた召使が震えながら戻ってきて言った。
" ご主人様、市場で死神に会って、脅かされました。今すぐ馬を貸してください。サマラの町まで逃げます。 "
商人が馬を貸すと、召使はサマラの町まで逃げた。
その後、市場の人ごみの中で商人は死神を見つけて尋ねた。
" 今朝、どうして私の召使を脅したんだ? "
死神は答えた。
" 脅してなんかいない。彼とは今夜、サマラの町で出会うはずだったから、びっくりしただけなんだ。 "

外食産業の裏側

2014年08月05日 | 読書


著者は1958年生まれで、帯広畜産大学を卒業しています。
ハム・ソーセージの大手食品メーカー、大手卵メーカー、コンビニの総菜工場、大手スーパー、コンビニなどで働き、
職種も、商品開発から営業、製造現場、流通、販売まで多岐にわたっています。
「肉のプロ」、「卵のプロ」、「スーパーのプロ」、「コンビニのプロ」などと称されることもあるようです。
さらには、「食品業界を知り尽くした男」とまで評価されているそうです。
現在は大手流通チェーンにおいて、食品の製造・衛生管理(いわゆる品質管理)の仕事に就いています。
近年では全国の飲食店、スーパー、ショッピングセンター、工場などから呼ばれ、衛生・品質指導、セミナーの講師なども行っているようです。

現在、日本の食料自給率はカロリーベースで4割を切っているということから話が始まります。
では6割の輸入品はどこに行くのでしょうか?
私たちがスーパーで目にするのは殆どが国産品です。
輸入品ももちろん売られていますが、生鮮野菜、果物、お菓子、缶詰、魚、肉、スパゲッティ、小麦など全体の一部にすぎません。
卵、牛乳、米はほぼ100%国産ですし、野菜は9割以上が国産品、魚や肉も8割が国産です。
では輸入食材はどこに行ったのでしょうか?
その答えが、外食あるいは中食産業なのです。
例えば野菜を例にあげるならば、平成22年度には170万トンが輸入され、家計消費用に売られたのは5%に過ぎませんでした。
すなわち95%が外・中食産業に流れたのです。
日本人は輸入野菜に対して、あまりいいイメージを持っていません。とりわけ中国産は敬遠されます。
だからスーパーでは売れない外国産が、必然的に外食に回ってくるのです。
宅配ピザに乗っている野菜は殆どが輸入野菜です。
ファミレスで使われる野菜、食べ放題の焼き肉店の野菜、きのこ類、立ち食いそばの野菜天婦羅も輸入野菜がかなり多く使われています。

以後、様々な問題点が羅列されていきますが、
読み終えた時には、外食のチェーン店に入るということは、かなり危険な行為なのだなと思ってしまいます。

皆さんには筆者が及第点をつけた例外的なお勧めチェーン店をアップしておきます。
CoCo壱番屋、ロイヤルホスト、吉野家、大戸屋、サルヴァトーレ・クオモ、餃子の王将、がってん寿司、スシロー
丸亀製麺(うどん)、和幸(トンカツ)、ケンタッキーFC、サブウェイ、ミスター・ドーナツ
スターバックス、神戸屋、ドンク(ベーカリー)


世界中で女性が減少しつつある

2014年07月25日 | 読書


一昨日はこの本を読みました。
作者マーラ・ヴィステンドールはアメリカ生まれの女性ですが、この10年くらいは北京に住み続け、
サイエンス誌の記者として考古学から宇宙計画までさまざまなテーマをリポートしています。
この作品は2012年ピュリッツアー賞一般ノンフィクション部門のファイナリストに選ばれています。

邦題は女性のいない世界ですが、原題は
UNNATURAL SELECTION
CHOOSING BOYS OVER GIRLS
AND CONSEQUENCES OF A WORLD FULL OF MEN
直訳すれば、
不自然な選択
女の子よりも男の子を選び
その結果として世界は男たちでいっぱいになる
でしょうか。

現在世界中で女性の比率が減少しています。
さまざまな原因が考えられますが、皮肉なことには世界中で生活水準の向上が進んでいることが最大の理由のようです。
昔の発展途上国では乳幼児の死亡率が高いので、子孫を確保するためには、たくさんの出産が必要でした。
その場合は、何もせずとも、適当に男の子と女の子が確率通りに、両方授かっていました。
戦後の日本もそうですが、子供を一人か、二人しか産まないようになると、事態はデリケートなものとなります。
例えば、第一子が女の子であった場合は、最後のチャンスである第二子に男の子を望むことが一般的でしょう。

1990年代に安価なエコーが普及したことで、生まれてくるはずであった女の子たちが中絶によって消滅したのです。
筆者はその数を1億6000万人と推定しており、これはアメリカ合衆国の女性すべてよりも大きな数字です。

一人っ子政策を実施した中国は男の子たちであふれかえっています。
小中学校での男女の比率は1.5対1 まで開いているそうです。
現在の中国では女の子が結婚することは、難しくはありません。独身男性が周りに、いくらでもいるからです。
ところが、逆に、結婚相手をゲットできない男性が次第に増えていきます。
中国だけではなく、今後、世界中で一生結婚できない男性が多数発生していくことになります。

さて、男女平等と言いながらも、世界中で暴力事件、殺人事件を起こすのは圧倒的に男性が多いのが現実です。
これにはテストステロンという男性ホルモンが関与しているそうなのです。
テストステロンは思春期に分泌が開始されて青年期にピークを迎え、加齢によって徐々に減少していきます。
ところが、年齢以外にもテストステロンを増減させる要因が、アメリカ空軍退役者2000人以上を10年以上追跡調査して発見されました。
それは、結婚をするとテストステロン濃度は低くなり、離婚すると再び高くなるというものでした。
さらに既婚男性でも、父親になると、さらにテストステロン濃度は下がるそうです。

また別の調査でも、4500人近くの兵役経験者で、テストステロン値が高い人の方が、
両親、教師、クラスメートともめごとを起こす、ほかの大人に対して攻撃的である、
軍隊で無断外出する、麻薬やマリファナやアルコールを利用する、という傾向がわかりました。

さらに24歳から39歳までの独身男性が他の男性を殺す可能性は、同じ年の既婚男性の3倍高いのだそうです。

話は中国に戻りますが、底辺層の余剰男性 (可哀想なネーミングですよね) が国粋主義者となり、怒り狂っています。
中国語で、怒れる若者、" 憤青 " (フェンチン) と呼ばれています。
極端な愛国教育を受けた彼らは、さまざまなトラブルで、アメリカ大使館やマック、ケンタに火を放ったり石を投げたりします。
また日本大使館に押しかけたり、日本料理店を襲い、日本車を破壊します。
しかし、それらの行動は愛国心からというよりも、もやもやとした怒りから発生しているようにみえます。

中国の有識者の間では、台頭する憤青の力が大規模な破壊活動への不安を引き起こしている。
「本当に恐ろしいのは、国が怒れる若者によって揺さぶられるときだ。」
「国に怒れる若者がある程度いるのはもっともだが、彼らが国を牛耳るようになり、穏健な高齢者や無邪気な子供を含めた国全体が
怒れる若者に同調させられた場合、全面的に混乱して惨事が起こるだろう。」


戦争を避ける確実な方法は、相手に、" 勝ち目が無い " と思わせることです。
戦後の数十年間を日本はアメリカを後ろ盾として、他国に、そう思わせてきました。
しかし、いまや中国という魅力的な市場に進出したいアメリカは、昔ほどガチな後ろ盾ではありません。
戦争反対を唱えるだけで、戦争を回避できたケースを私は知りません。

私は、2012年の1月30日に石原慎太郎の著書、" 新・堕落論 " をアップしましたが再掲します。

日本は核爆弾を保有するべきである。
戦後、日本人はアメリカの妾のような立場に満足して過ごしてきた。
核戦争反対と叫ぶだけでは平和は実現しない。
日本は2発の核ミサイルで壊滅状態になる。
壊滅状態となった日本のためにリスクを犯すほどアメリカは間抜けじゃない。
中国からの領海侵犯事件も抗議するだけでは外交とはいえない。
核を持っていたならば発生しなかった事件かもしれない。





遥かなるセントラルパーク

2014年07月18日 | 読書
この数日間は、この本に、はまってしまいました。
1982年に英国人トム・マブナムがイギリスで出版した本で、夏井睦先生が1998年12月にサイトで紹介されています。
絶版ですのでネットで古本を探すしかないのですが、運よく1800円でゲットできました。



ところが、送られてきた品物は、帯こそ付いているものの、何年も本棚でほこりをかぶっていたような代物でした。



巻末を見ると1984年の初版本でしたので、30年分のほこりをかぶっていたのです。



読み始めた当初は、次々と登場人物が増えていくし、誰が主役なのか分からず、とまどいました。
しかし、この本の巻頭に下記のページがあり、随分と助けられました。



この物語はロサンゼルスからニューヨークのセントラルパークまで、週に一日の休み以外は毎日80Kmほどを走って
アメリカ大陸を横断しようとするイベントの顛末がスリリングに描かれています。

賞金目当てに当初3000人も集まった参加者は、すぐに落伍者が続出し1000人を切っていきます。
その中でトップグループに位置する数名と、女性でただ一人生き残った女性達の、友情というか、絆が深くなっていく様が
この物語のメインテーマです。

様々な試練やトラブルを乗り越え、セントラルパークを目指してひた走ります。
ジェットコースター・ムービーという表現がありましたが、この小説も急激な展開やトラブルや成功や失敗の連続が
目まぐるしく、途中からは読み止めるのが困難になるほどです。

ボリュームたっぷりの長編ですが、残りページが少なくなってくると、寂しさに襲われます。

感動的なフィナーレを読み終えて感じたことは、英国人はスポーツをスピリチュアルに愛しており
それを文章で表現することに長けているということです。
ゴルフ雑誌でゴルフについての文章をかなり読みましたが、英国人のゴルフに対する誇りや人生観、
また勝負の微妙な流れなどを、実に恰好良く表現してあります。

個人的には、この英語に対抗するには口語体では無理で、文語体の復活が有効なように思えます。

クラブを一閃させりしが、一天にわかに掻き曇り、魔風恋風吹き荒れて、何処に果てなむ我が球は.....なんてね。


星野源・蘇る変態

2014年06月28日 | 読書


いつもの如く、ダイエー駐車場の料金を無料にするために、苦し紛れで買った本です。
読売新聞だったか文芸春秋であったか定かではありませんが、ブックレビューが好評であったのを記憶していたのです。
星野源が何者なのかも全く知りませんでしたが、表紙の写真から判断すればミュージシャンなんだろうなと思っただけでした。
しかし、この本を読み進めていくうちに、筆者には、ギター奏者、ボーカリスト、舞台の役者、映画俳優、声優などの多彩な顔があることが判っていきます。
そして、この本は女性ファッション雑誌GINZAに連載されていたエッセーを編集、加筆したものでした。
筆者は1981年生まれですが、2012年の12月、彼が31歳の時に、脳動脈瘤破裂によるクモ膜下出血で倒れ、カテーテル塞栓術を施行されて、後遺症も無く復帰します。
そのいきさつもこの本に記載されていますので一部紹介します。

集中治療室から個室へ担架での移動。
窓にカーテンがかかって常に薄暗かった部屋から、廊下の眩しい光が目を射す。
瞼をぎゅっと閉じながら自分の部屋に着き、目を開けると、ちょうど頭上にある窓が開いていた。
青空だった。
外からは子供たちがサッカーで遊ぶ声が聞こえた。
風が吹き込んでくる。少し寒い。
その一瞬、頭痛が消えた。
雑踏が聞こえる。
待ちに待った自然音だ。
子供たちや飛行機の音、木々を揺らす風。
機械音やうめき声でないノイズ。
なんて気持ちがいいんだろう。

今回行った脳動脈瘤破裂後のカテーテル塞栓術という方法には、完治はないそうだ。
様子を見ながらずっと付き合っていかなきゃならない。
地獄は相変わらず、すぐ側にある。
いや、最初から側にいたのだ。
心からわかった、それだけで儲けものだ。
本当に生きててよかった。
クソ最高の人生だよ。まったく。


2か月後の再検査で塞栓術に不具合が生じているために、開頭しての手術が必要だと診断されます。
そのような難しいオペを執刀できる医者は数名しかいないので、自分で探すことを勧められます。
筆者は日本変態協会の副会長である笑福亭鶴瓶に電話します。(会長はタモリだそうです。)
結果はK医師がベストというものでしたが、それは主治医の推薦と一致していました。

K医師との面接で筆者は度肝を抜かれます。
K医師は最初に、「この手術やりたくないです。」と切り出したのです。
いかに困難な手術であるのかという説明が続きますが、すぐに話は脱線します。
もちらん脳の話なのですが、「たとえば誰かが死んだフリをしていても、ちんこを見ればどれくらい脳が生きているかわかる。」といった具合です。

そして最後に、この手術がいかにリスクがあるか、どのくらい後遺症や合併症の危険があるか、どんな順序で手術するか、すべて説明してくれた。
希望も少なくリスクの高いシビアな状況を説明され、ふっと気持ちが落ち込んだその時、K先生は俺の目をじっと見て言った。
「でも私、治しますから」
最後の最後まで、何があっても絶対に諦めません。
見捨てたりしません、だから一緒に頑張りましょう。
そう言われて診察室を出た。

K先生の診察を終えた時、「この人になら殺されてもいいな」と思った。
もちろん、それは冗談ではなく、死というものを身近に感じている状況での、真剣な想いだ。
この先生ならどんな結果になっても後悔しないだろう、そしてたくさん笑わせてくれて、真っすぐ目を見て、「治す」と言ってくれた人を信じないで誰を信じるのか。
心狭き自分は昔から、本当に信じられる人間などこの世にはいないと思っていたが、人を心から信じるということは、その相手の失敗をも受け入れられれば可能なのだ。


読後感はとっても良かったです。
文章も表現力もしっかりしているので、淀むことなく読み終えることができました。

ただ、私が紹介したのは特異な部分で、この本全体のトーンはエロと変態を背景とした芸術家?の苦労話です。

百田尚樹・モンスター

2014年06月05日 | 読書


昨日は上記を読みました。
ヒロインは小さな頃から、ブス、バケモン、怪物、ブルドッグ、半魚人、ミイラ女、砂かけババアなどと呼ばれ、
やがては、ある事件を引き起こして、町中の人たちから、" モンスター " という蔑称を付けられます。
ヒロインは追い出されるように上京して東京の短大に入学します。
百田尚樹は、ヒロインが、物心ついて以来、ブスであることだけが原因で被る、ありとあらゆる悲惨で不幸なエピソードを羅列していきます。

高校時代にも醜い顔で苦しんだが、それはまだましだったと、東京へ来てわかった。
東京は「美しい」ということが田舎以上に価値がある街だった。
まさに「美人のための街」だった。
「美しくない女」は貶められる街でもあった。


街全体が叫んでいた。
「美しさこそ善」であり、「美しさこそ力」であり、「美しさこそ勝利」だと。
この街では「女」というのは「美人」のことだったのだ。

東京に来て感じたのは、若い女性が全員、美人コンテストに参加していることだった。
いや、みんな喜んで参加しているわけではない。
無理矢理に参加させられているのだ。

万人参加の美人コンテストでは、美人の参加意識は低かったのだ。
その意識が強かったのはむしろ中途半端なブスだ。
彼女たちこそ予選通過して美人の仲間入りをさせてもらえるかもしれないと苦しんでいたのだ。

しかし彼女たちも私ほどの惨めさは味わっていない。
私は最初からランク外だったからだ。


短大を卒業したヒロインは一般の会社への面接では、すべて相手にされず、結局、製本工場のラインに女工として就職します。

私はこの職場で、ブスを嗤うのは男だけではないと知った。
時には女の方がずっと残酷にブスを嗤う。


24歳の時にヒロインは二重瞼の整形手術を受けて感動します。
しかし、職場のトイレで、同僚たちが聞こえよがしに、"ブルドッグに目だけお人形さんの目くっついてるんだもん、おかしくって-"と言われます。
人生で初めて切れたヒロインは、同僚の髪の毛をつかんで鏡に叩きつけて正座させ、その肩を蹴飛ばします。
ヒロインは身長165cmで、結構ガタイが良かったのです。

トイレで怒鳴った時から私の中で何かが変わった。
それまでこそこそと隠れるように生きてきたのが、堂々と自己主張をするようになった。
言いたいことがあったら大きな声で言えるようになった。
どんな時にも怯むことはなくなった。


ここら辺のくだりが、百田尚樹の真骨頂でしょうか、胸のすくような展開です。

その時、私にシフトを代わってくれと頼んだ山岸は女子社員のリーダー格の人で、皆に恐れられている存在でもあった。
彼女は前日のトイレの一件を誰かに聞いていて、私に職場での序列を教えておこうと思ったのかもしれない。
「鈴原さん、来週の日曜のシフト代わってね」
山岸は更衣室で私とすれ違いざま、天候の話でもするように気軽に言った。
返事をしない私を見て、彼女は声を低くして言った。
「ちょっと-聞こえてるの?」
私は振り返った。
「どうしてお前のシフトを代わらないといけないんだよ」
更衣室にいた何人かが話を止めた。
山岸は顔を引きつらせたが、私を睨みつけて言った。
「その言葉遣いは何よ」
私は彼女の前に近づいて言った。
「ぶっ殺してやろうか」
山岸は唇を震わせたまま、一言も言い返せなかった。
その顔はみるみる青くなった。
その日以降、私に話しかける女子社員は誰もいなくなった。


やがて工場長に呼び出されて、協調性を持つようにと説教されますがヒロインは反発します。

「そういうことを言ってるとね、辞めて貰わないといけなくなるよ」
「クビですか」
「最悪の場合はね」
「私をクビにしたら、その足で労働基準局に行きますよ。
そしてあなたを職権乱用で個人的に訴えます。
新聞に投書して、大問題にしてやります。
あなたも会社にいられなくしてやります」
「待ってくれ。私は何もクビにするとは言ってない。あくまで最悪のケースの一つとして言ったまでで-」
「何でも言ったらいいというもんじゃないぞ」と私は怒鳴った。
「あんたが女子社員と不倫しているのを会社に言ってやろうか」
工場長は顔色を変えた。
「何も知らないと思ってるのか、ああん? あんたが稲森とできてることくらい知ってるのよ」
「大きな声を出さないでくれ」工場長は懇願するように言った。
私は足元の屑籠を蹴った。屑籠は壁の方に転がり、中の紙屑が部屋に散らばったが、工場長は何も言わなかった。
「すみませんでしたって言えよ!」と私は言った。
工場長は俯いたまま小さな声で、すみませんでした、と言った。
私は声を上げて笑いながら部屋を出た。

孤独になって初めて、私がずっと何を恐れていたのかがわかった。
他人に「これほど醜い顔をした女は、内面も醜いんじゃないだろうか」と思われるのが怖かったのだ。
思えば長い間、顔は醜くても心の中はそうじゃないということを周囲の人にわかってもらいたくて生きてきた。
でも、そんな生き方は間違っていた。
私がいい人になろうとすればするほど、周囲の人は私を馬鹿にし、見下していたのだ。
醜い女が謙虚な姿勢を示したり優しさを出したりしても、他人は「醜い女だから当然」と思うのだ。
むしろ普通の人と同じことをすれば、「何を思い上がっているのか」と思うのだ。
もう誰に何と思われようとかまわない。
どうせ私は醜い女なんだ。


ここら辺までが前半で、後半は徹底的な整形手術で素晴らしい美人に変身したヒロインの復讐劇が始まるのですが、
世の中が、いかに美人にとって、都合よく快適にできているかということを、前半の裏返し(表返し?)として記されていきます。
まあ、面白くはあるのですが、この作品のメインテーマは、"ブスの不幸" につきると思われます。
このような重たいテーマを、ここまで粘着的に掘り下げた作品は初めてです。

しかし、この作品を、もしもブスを自認する女性が読んだならば、怒りがこみ上げるのではないでしょうか。
事実が書かれているわけですが、それを、男である百田尚樹がズバリと指摘することに対して、腹が立つのではないでしょうか・
"事実だけど、不愉快だから指摘するなっ"と。

村上春樹・女のいない男たち

2014年05月18日 | 読書


6つの作品を集めた短編集ですが、その内4編は文芸春秋に連載されましたので既読です。
列記すれば、ドライブ・マイ・カー、イエスタデイ、独立器官、木野 です。
残るは2編ですので、昨日、本屋で立ち読みしました。
シェラザードと、女のいない男たちです。

女のいない男たちは、村上春樹が得意とする幻想的な作品ですが、
女のいない男を、女を失った男と定義づけています。
つまり、誰もが、そうなる可能性を持っているということです。
この作品でもそうですが、作者は、失った後の方が、あるいは失って初めて、
女性を深く愛するという性質を持っているように思えます。

シェラザードは文字通り、アラビアンナイトのその作品を参考にしています。
アメリカの証人保護システムを連想させるような、"ハウス" と呼ばれるアパートに一人住む31歳の男が主人公です。
電話もパソコンも持たず、テレビも観ずに、外出することもありません。
週に何日かは担当の35歳の女性が食料などを持って部屋を訪れます。
その度にSEXをするのですが、その後で必ずその女性は長話を始めます。
その話が面白いので、男性は胸の内で彼女をシェラザードと呼びます。
幻想的な話、エロティックな話など多彩で、実に面白いストーリーでした。
ただ、この作品は女のいない男というジャンルからは逸脱しているようにも思えます。
私が若かったならば、理想的な、 "女がいる男”であるように思えるのですが.....

本屋大賞・村上海賊の娘

2014年04月16日 | 読書


今回の本屋大賞受賞作品です。

私が本屋大賞を読むのは、"舟を編む"、"海賊と呼ばれた男"に続く3作目です。

結論から言うと、読後感は良くありません。
上下二巻組で、上巻は次々に登場して来る、際立ったキャラ達の絡み合いが面白く、展開もスピーディーだったのですが、
下巻ではストーリーが淀み始めて、その後半部分は、最後まで戦闘シーンが延々と続くだけの単調なものとなります。
タフな主人公と、化け物みたいにタフな敵役との死闘が、辟易とさせられるほど続きます。
なんだか、ハリウッドの二流アクションムービーを見せつけられているような印象で、"いい加減にせんかっ!"と言いたくなります。
最後に決着が着いた頃には、"ヤレヤレ、やっと終わったか...."という感じで、テンションが下がりまくっていました。

このコンテンツで上下二巻組、消費税込みの3456円はコスパ悪すぎです。
日本中で売れまくっているはずですので、新潮社と作者の和田竜氏は儲けまくりでしょうね。

なんだか一杯喰わされたような気分になりました。
今後は、私が本屋大賞受賞作品に対して、購入時に懐疑的になることは必至のようです。
とくに、値段も張り、かなりの読書時間も要求される二巻組の作品には、慎重な吟味が必要かと思われます。

村上春樹・色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

2014年04月11日 | 読書


とても面白く読み終えることができました。

主人公の多崎つくるは高校生時代に5人で仲良しグループを形成していました。
男子生徒の赤松と青海、女子生徒の白根と黒埜で、全員がカラフルな名前です。
グループ内では、アカ、アオ、シロ、クロと呼び合っていたのですが、多崎つくるという名前には色彩がありませんので、
主人公だけは、"つくる"と本名で呼ばれていました。

非常にバランスのとれたグループで

五人はそれぞれに「自分は今、正しい場所にいて、正しい仲間と結びついている」と感じた。

と表現されます。

アカは抜群の秀才だけれども、そのことを恥じるように、一歩後ろに引いて周囲に気を配るというキャラで、
アオはラグビー部のキャプテンで性格が明るくみんなに好かれて、よく人の話を聞き,場をまとめるのが得意なキャラ、
シロはモデル体型の美人だが、人の注目をひくことが苦手なピアノの名手というキャラ、
クロは容貌については人並みよりもいくらか上というところだが、表情が生き生きとして愛嬌があり、
自尊心が強く、タフな性格で頭の回転が速いというキャラでした。

つくるは、彼らの際立ったキャラを考えると、自分自身に目立った個性や特質が無いことにコンプレックスを感じます。
それでも、
そしてもちろん多崎つくるも、自分がひとつの不可欠なピースとしてその五角形に組み込まれていることを、嬉しく、また誇らしく思った。
彼は他の四人のことが心から好きだったし、そこにある一体感を何より愛した。

若木が地中から養分を吸い上げるように、思春期に必要とされる滋養を つくるは そのグループから受け取り、
成長のための大事な糧とし、あるいは取り置いて、非常用熱源として体内に蓄えた。


高校卒業後、つくるは東京の工業大学に進学します。
他の四人は生まれ育った名古屋にとどまります。
つくるが帰郷する度に、五人は集まって、依然と変わることなく旧交を温めていました。

ところが大学二年の夏にある事件がおこります。
そのことで、つくるは四人を代表したアオから理由も伝えられずに、電話で絶交を言い渡されます。
つくるには、その理由がまったく想像できませんでした。
しかし、ひどく恐ろしいものが出てきそうだと考えて、一切、追及することはできませんでした。

その後、彼らとの音信不通を続けた つくる は36歳の独身サラリーマンとなり、38歳のOLである沙羅との交際を始めます。
絶交を言い渡されたまま、追及することも無く現在に至った つくる に対して、沙羅は人生の区切りとしても決着をつけるべきだと諭します。
そして、四人の現住所を調べ上げて つくる に渡します。

これ以降はネタバレを避けて省きますが、以下のような素敵な文章も出てきます。

仕方ないじゃないか、と つくる は自分に言い聞かせる。
もともと空っぽであったものが、再び空っぽになっただけだ。
誰に苦情を申し立てられるだろう?
みんなが彼のところにやってきて、彼がどれくらい空っぽであるかを確認し、
それを確認し終えるとどこかに去って行く。
あとには空っぽの、あるいは より空っぽになった多崎つくるが再び一人で残される。
それだけのことではないか。


さて、この作品には、大学の2年後輩である灰田(グレー)という男が登場します。
その灰田の父親は大学生時代に辺鄙な温泉宿でジャズピアニストと出会い、不思議な体験をします。
羊シリーズにちょっとだけ似ているような、村上春樹得意のファンタスティックストーリーですが
灰田も、このネタも、本編に全く関わってきません。
灰田自体は、つくる が苦しい時代に助けられた存在として、まあ、ギリギリ許容範囲内ですが、
その父親のファンタジーネタには、違和感というか、場違いな感じを受けてしまいました。


岩田健太郎・感染症は実在しない

2014年04月09日 | 読書


不思議な本です。
さらに、読み終えた後に、作者のプロフィールを確認して驚きました。
その大人びて洗練された文章から、私よりも少しは先輩の先生の著書だろうと、疑うことなく想像して読み終えたのですが、
著者の岩田健太郎氏は私よりも20歳年下だったのです。

この作品は半分は医学書ですが、もう半分は哲学書に近いと思われます。

まずは結核という病気が例として取り上げられます。
現在世界中の人口の3分の1は、結核菌の保菌者なのだそうですが、実際に発症している人は、ごく少数です。
さて、最近のアメリカでは、保菌者にも投薬して、結核を完全に撲滅しようとする動きが出てきたそうです。
そこで保菌者と呼ぶのをやめて、潜伏結核と名付けたのです。
もともと結核は、原因も分からずに、咳が続いて、やせていき、やがては喀血して死んでいくという現象(コト)でした。
そういう症状で死に至るコトを結核と呼んだのです。
その後、結核菌が発見されます。
そこで、結核菌を持っていることが、培養やレントゲンやCTで証明された人に結核という病名が与えられたのです。
しかし保菌者では、そのような証明はなされません。
証明された瞬間に保菌者ではなく、結核患者になってしまうからです。
せいぜいツベルクリン反応の結果から推定するしかないのでしょうが、その線引きも国によってバラバラです。
つい最近まで、結核ではないとされてきた人たちが、いきなり潜伏結核という病名を頂戴することになるのです。
このようなことから、結核をモノでは無く、そのようなコトとしてとらえたほうが分かりやすいのかも知れません。

10年間で脳卒中になる人が100人中5人いたとしましょう。
ある薬を全員に10年間投与して、脳卒中患者が1人しか発生しなかったとすれば、
脳卒中になるはずであった5人のうちの4人を救ったことになりますので有効率は80%と表記されます。
しかし母数の100人から考えると脳卒中を4%しか下げていません。
また別の見方をすれば、この薬を飲まなくても、10年間で95人は脳卒中を発症しません。
しかし、この薬を10年間飲み続ければ、99人は脳卒中になりませんよということなのです。
さらに見方を変えれば、100人治療して4人が助かるわけですから、25人治療してやっと1人が恩恵を受けるという計算になります。

私が100人の中に入っていたとするならば、また何らかの症状に苦しんでいなかったとすれば、
その薬を10年間も飲み続ける可能性はゼロでしょう。
しかし、これは患者自身が、それぞれの異なる人生観を踏まえて決定するべき事柄でしょう。


実は、この読書感想文を書き始めてすでに3日間が経過しております。
作品自体がとりとめのない話の連続で、この逸話が特に面白いという物も見当たりません。
しかし、医師にとってはとても読み応えのある作品です。
読後感はとても良いのですが、その良さをうまく説明することは非常に困難です。
申し訳ありませんが、ギブアップさせていただきます!スミマセン....




村上春樹・独立器官

2014年02月08日 | 読書
今月号の文芸春秋に掲載された作品を読みました。

52歳の美容整形外科医である渡会が主人公です。父親から引き継いだ美容クリニックを六本木で開業しています。
ストーリー自体は、村上春樹を彷彿させる、主人公よりもちょっとだけ年上の作家が語り部です。

渡会には結婚歴も同棲歴も有りません。
若い頃から自分を結婚に向いていないとみなし、結婚に発展する可能性のある女との交際を避けて、
亭主持ちか、彼氏がいる女との交際を専らとして生きてきました。
順調で充実した人生を謳歌してきた渡会ですが、実際には誰一人として女を愛した記憶はありません。
そんな渡会が初めて女に惚れたところから、彼の人生が思わぬ方向へ歩き始めるというストーリーです。

これ以上はネタバレを避けて紹介しませんが、実に面白い作品でした。
以前の、「イエスタデイ」で村上春樹が自覚している、"決めの台詞を使いすぎる"という特徴が発揮されますが、それが魅力です。
おすすめ度100%です。

実は、こいつを読む前に、今回の芥川賞受賞作である、小山田浩子の、「穴」を読んでいました。
そのあまりの面白く無さに辟易とさせられた後でしたので、口直しと言いますか、つかえた胸がスッキリとしました。
私の個人的な考え方としては、小説も映画も、面白さの根源は、"そう言えばそうなんだな"と納得させられる魅力的なストーリーと
登場人物の善悪を超えた魅力的なキャラクターでしょうか。

「穴」には魅力的な登場人物は出てきません。
ストーリも、主人公である20代後半と思われる主婦が、旦那の転勤に伴って、田舎町の旦那の実家の隣に引っ越してくるという平凡なものです。
さすがに、それでは盛り上がりませんので、作者は、正体不明の穴を掘りまくる黒い獣や、実家の納屋に長年一人で住み続ける旦那の実の兄、
さらに田舎のコンビニで通路を塞いでしまうほどたむろする子供たちを登場させます。
しかし、物語の終盤で、それらが幻影であったことが記されます。

B級のホラー映画では、恐ろしいシーンが続いた後に、それが夢であったという展開が多用されます。
そのことを思い起こさせるような腹立たしくなる小説でした。
おすすめ度0%というか、読まないことをおすすめします。

グレート・ギャッツビー 村上春樹 訳

2014年02月02日 | 読書


村上春樹は人生で巡り合った重要な本として、グレート・ギャッツビー、カラマーゾフの兄弟、ロング・グッドバイ(レイモンド・チャンドラー)の3つの作品を上げます。
その中で一つだけと迫られたらならば、迷わず、グレート.ギャッツビーを選ぶそうです。
若いころから、60歳になったら、グレート・ギャッツビーを翻訳すると決めていたそうなのです。
しかし、結局は60歳になるのを待てずに、この村上春樹訳は刊行されました。2006年の出版ですので、計算すれば彼が58歳のころでしょうか。
第一次世界大戦直後の好景気に沸く1922年のニューヨークを舞台として、西部の田舎者で資産も無かったギャッツビーが、その類稀なるアンビシャスによって大富豪に成り上がり、
ウェスト・エッグに豪邸を構えるところから物語は始まります。
ギャッツビーが、5年前に別れて、今では人妻となった女性と、よりを戻そうと画策するストーリーです。

ストーリーはまるで面白く有りません。魅力的なキャラクターも登場しません。というか、人間性としては、軽薄で虚栄心が強いというB級キャラのオンパレードです。
まともなキャラは、語り部である、ギャッツビーの豪邸の隣に住むニックだけです。
そのニックが30歳の誕生日に感じた一文が素敵でしたのでアップします。

僕は三十歳になっていた。目の前にはこれからの十年間が、不穏な道としてまがまがしく延びていた。
三十歳...それが約束するのはこれからの孤独な十年間だ。
交際する独身の友人のリストは短いものになっていくだろう。
熱情を詰めた書類鞄(カバン)は次第に薄くなり、髪だって乏しくなっていくだろう。
でも僕の隣にはジョーダンがいる。
この女はデイジーとは違い、ずっと昔に忘れられた夢を、時代が変わってもひきずりまわすような愚かしい真似はするまい。
車が暗い橋を渡るとき、彼女はいかにもくたびれた様子で僕の上着の肩に顔をこっそり寄せた。
そして誘いかけるように手を押しつけてきたとき、三十歳になったことの暗い衝撃は、僕の心から遠のき霞んでいった。
そうやって僕らは涼しさを増す黄昏の中を、死に向けて一路車を走らせたのだ。


村上春樹があとがきで述べるように、この作品は原文で読まないと、その素晴らしさは伝わらないということでしょう。

あとがきは、翻訳者として、小説家として.......訳者あとがきのタイトルで26ページも費やされています。
私は本文ではなく、このあとがきに村上春樹の才能を感じてしまいました。
グレートギャッツビーに対する若い頃からの思い入れ、そして翻訳を始めるにあたっての基本的なスタンスの確定、さらに原作者であるスコット・フィッツジェラルドの生涯にも話が及びます。
これは、あとがきというよりも、これ自体が優れた文学作品に仕上がっていると思いました。
それも、村上春樹文学の頂点に近いような....

村上春樹 木野

2014年01月25日 | 読書
今月号の文芸春秋に掲載された短編小説を読みました。
ドライブ・マイ・カー、イエスタデイに次ぐ、"女のいない男たち"シリーズの第3弾です。

またまた得意のコキュ物で、スポーツシューズの製造販売会社に長年勤めた39歳の男である木野が主人公です。
出張から一日早く帰った木野は、妻が彼の家の寝室で、彼が一番親しくしていた職場の同僚とセックスしている場面に出くわします。
この、"親友に女房を寝取られる"というストーリーを村上春樹は好んで取り上げます。
村上春樹にそのような体験があるのかどうかネットで検索してみました。もちろんですが、まるでヒットしませんでした。

主人公はその場で自宅を出ていき、職場に辞表を出し、妻と離婚します。

喫茶店を経営していた叔母が引退したので、木野は家賃を払って、その建物を借り受けることにします。
二階部分は住居になっています。一階の喫茶店をバーに作り替えるのですが、その過程で興味深い日本語が出てきます。

できるだけシンプルな什器を揃え

お判りでしょうか、"什器" ? ジュウキと読んで、明鏡国語辞典によれば、"日常使用する器具、家具類"とあります。
実は、熊本市内に什器屋が現存しているのです。
昨年、その看板を目にした時は、何と読むのだろう?何を売るのだろう?と悩みました。
読み方は一汁三菜の汁をニンベンに変えただけなのでジュウで検索できました。
いろいろ調べて、それなりのイメージができましたので什器の詳細を発表します。

昔のアニメである、"巨人の星"に登場する星一徹がひっくり返すチャブ台が置いてある部屋を思い出して下さい。
その部屋にある物全てが什器なのです。
チャブ台、水屋、湯呑、急須、茶碗、箸などの類です。

このストーリーの最後の舞台は熊本駅の近くにある安いビジネス・ホテルでした。
そのホテルの8階の窓からは真向かいに、いかにも安普請のオフィス・ビルが見えると書かれてあります。
これだけで、熊本市に住む人は、そのホテルを特定できてしまいます。

安いビジネス・ホテルはともかく、安普請のオフィス・ビルの関係者は心穏やかではないかも知れませんよね。

(追加アップ)
什器をウィキペディアで調べたところ、二つの違う意味がありました。
もう一つの意味は、ショウケース、つまり商品を陳列するケース類でした。
"什器・熊本"で検索したところ、いくつかヒットしましたが、すべてショウケースを扱っている店舗でした。

村上春樹 イエスタデイ

2013年12月10日 | 読書
今月号の文藝春秋に掲載された上記作品を読みました。
主人公というか、語り部は、芦屋の出身で東京の大学に出てきて2年目の学生です。
このセッティングは村上春樹が読者に、主人公は若い頃の自分自身の投影ですよと表明しているものだと思います。
この物語の登場人物は3人だけです。
主人公と同じ年で2浪目のバイト仲間と、その幼馴染でもある彼女です。

バイト仲間は生まれも育ちも田園調布なのですが、一生懸命に英語を勉強するように関西弁に取り組んで、完璧にマスターしてしまい
日常会話を100%関西弁で通しています。
彼が作ったビートルズのイエスタデイの奇妙な関西弁訳が紹介され、そこからこの作品のタイトルができました。

面白かったのは、村上春樹が、作品の中で当時の自分自身を以下のようにみなしているという点です。
誰かにすぐ大事な相談をもちかけられてしまうことも、僕の抱えている問題の一つだった。

決めの台詞を口にしすぎることも、僕の抱えている問題のひとつだ。

でも自分が二十歳だった頃を振り返ってみると、思い出せるのは、僕がどこまでもひとりぼっちで
孤独だったということだけだ。


ネタバレを避けるためにこれ以上アップしませんが、なかなか楽しめる作品でした。