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春庭パンセソバージュ

野生の思考パンセソバージュが春の庭で満開です。

ぽかぽか春庭「罪」

2010-08-13 | インポート
2010/08/13
ぽかぽか春庭言海漂流ことばの海を漂うて> 融合文化の歴史-日本文化における融合・隠れキリシタンのオラショを中心として-(9)罪

(1-2)日本語の「罪」
 『古事記』『日本書紀』には、天つ罪、国つ罪の規定があります。(「つ」は、現代日本語では連体助詞「の」にあたる)。
天つ罪は、主に農耕共同体における農耕妨害の罪。国つ罪は、共同体維持に反する罪、たとえば埋葬儀礼に従わないこと(死体損壊など)、獣姦、近親相姦、など。アルビノやハンセン氏病、落雷災害などもこの国つ罪の表れとみるなど、現代の「罪」とは意味合いが異なる。病気や自然災害を人間の「罪」が反映したものとみなされ、入水、焼死などの死に方も「罪」の表れとされました。

 「罪」は汚れ(気枯れ)であり、汚れは「祓う」ことによって浄化される。共同体の秩序に関わる「つみ」に対して、対人的な「非難されるべき行い」「過失・不用意な行い」は「咎(とが)」と呼ばれました。
 したがって、古代日本語の「罪人」とは「共同体維持に反する行いを犯した者」であり、キリスト教の「罪人」とは、意味が異なるのではないかと思います。

 (現代のキリスト教社会においても「キリスト教共同体を維持するための殺人」は罪ではなく、アフガニスタンやイランイラクの非キリスト教徒(おもにイスラム教徒)の非戦闘員殺害は罪に問われることはないようです。2001.9.11のテロで亡くなったおもにキリスト教徒であった死者数6000人に対して、「テロ撲滅のため」という理由でアフガニスタン・イラン・イラクのモスレム非戦闘員死者は9・11以後、10万人以上とされていますが、これらの死者は、USA共同体維持のために必要とみなされたので殺人ではないらしい)。
 
(2)
 若水汲みは空海入唐とは関係ないと思います。なぜなら、空海が唐へ留学増として赴く前から農耕社会の新年行事として定着していたからです。
 新年の若水汲みは、農耕儀礼から発生したもので、仏教伝来以前から行われてきた古神道や民間信仰に基づく民俗行事です。

 仏教行事としても、東大寺の修二会などの「お水取り」は奈良時代から行われており、空海入唐(平安初期)より前にはじまっています。仏教行事には農耕儀礼に発する民俗行事も取り入れられていますが、東大寺お水取りの起源はさだかではありません。東大寺の伝承では、天平勝宝4年(752)、東大寺開山良弁僧正(ろうべんそうじょう)の高弟、実忠和尚(じっちゅうかしょう)によってはじめられたと伝えられていますが、伝承であって、文献による実証ではありません。

 空海(774 - 835)が約2年間中国に滞在したのは804年8月から806年8月まで。唐の時代の長安を中心に仏法を学びました。本来は20年滞在して学ぶべき留学僧であるのに、たった2年で帰国したために、桓武天皇の帰国許可がでるまでの2年間808年までは京都に帰ることを許されませんでした。正規の上級僧侶だった最澄に対し、一学僧だった空海が留学僧に選ばれたいきさつと、なぜたった2年で帰国してしまったのかという歴史的事実を説明するに足る文献は出現していません。空海については「弘法大師」の事跡という伝説は各地に残されていますが、空海が書き残した仏教関連書以外に、彼の実像を明らかにさせる文献は少ない。実在した人物であることは確かだけれど、伝承からの推測による事柄と歴史的事実を混同してはならないと思います。

<つづく>

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