2010/08/11
ぽかぽか春庭言海漂流ことばの海を漂うて> 融合文化の歴史-日本文化における融合・隠れキリシタンのオラショを中心として-(8)悪人正機
ここで浄土真宗のいう「悪人」の意味は、「アダムとイブが唯一神に従わなかったこと」に発するユダヤ教の「原罪」や、宗派によってさまざまな解釈が可能なキリスト教の「原罪」と共通する部分も一部にはあると思うのですが、どこが同じであり、どこが異なるのか、真宗の教義にもキリスト教の教義にも暗い私には判断がつきません。
人は、植物の命も含めて他者の命を奪うことによって自らの命を維持しなければなりません。「一寸の虫にも五分の魂」を認める仏教では、生きている限り人は「悪人」として生きていくことになる。この自覚なしに自らを善人と思うことは、悪人を自覚して生きるよりたやすい。楽に生きている善人が救われるのであるなら、悪を自覚している悪人を救うことこそ弥陀の本願です。
ルカ書18章9~14節のパリサイ人と取税人に対するイエスの態度その他の逸話について。
『自分を義人だと自任し、他の人々を見下している者たちに対しては、イエスはこのようなたとえを話された。「ふたりの人が、祈るために宮に上った。ひとりはパリサイ人で、もうひとりは取税人であった。パリサイ人は立って、心の中でこんな祈りをした。『神よ。私はほかの人々のようにゆする者、不正な者、姦淫する者ではなく、ことにこの取税人のようではないことを、感謝します。私は週に二度断食し、自分の受けるものはみな、その十分の一をささげております。
ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。「神様。こんな罪人の私をあわれんでください。」
あなたがたに言うが、この人が義と認められ家に帰りました。パリサイ人ではありません。』
このような逸話の記載から、親鸞への直接の影響がキリスト教からもたらされたと解釈する説を取る人もいますが、親鸞が法然から受け継いだ思想の元になっている無量寿経の成立時期は、紀元前後のイエス誕生と同時期です。新約聖書の成立時期より早く無量寿経が成立していることを考えると、法然や親鸞が阿弥陀仏信仰を持ち、無量寿経から出発していることの中に、直接のキリスト教の「罪と救済」の影響関係あるとみなすのは、伝播時間を考えると無理があります。影響関係というより、「世界的宗教における共通の思想」と見なすほうがよいのではないかと思われます。
その上で、オラショを唱えた隠れキリシタンたちの「諸のへあと中にも惡人の爲になかだちとなり玉ふ」「御座ますでうすの御母さんたまりあ今も我等がさいごにも我等惡人の爲に頼みたまへ」という文言は、1600年前後の日本での一向宗(浄土真宗)の広がりを考えると、親鸞の唱える「悪人正機説」「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや」が「マリアによる悪人のためのなかだち」として受容されたと考えるほうが自然な流れであるように思えます。
<つづく>
ぽかぽか春庭言海漂流ことばの海を漂うて> 融合文化の歴史-日本文化における融合・隠れキリシタンのオラショを中心として-(8)悪人正機
ここで浄土真宗のいう「悪人」の意味は、「アダムとイブが唯一神に従わなかったこと」に発するユダヤ教の「原罪」や、宗派によってさまざまな解釈が可能なキリスト教の「原罪」と共通する部分も一部にはあると思うのですが、どこが同じであり、どこが異なるのか、真宗の教義にもキリスト教の教義にも暗い私には判断がつきません。
人は、植物の命も含めて他者の命を奪うことによって自らの命を維持しなければなりません。「一寸の虫にも五分の魂」を認める仏教では、生きている限り人は「悪人」として生きていくことになる。この自覚なしに自らを善人と思うことは、悪人を自覚して生きるよりたやすい。楽に生きている善人が救われるのであるなら、悪を自覚している悪人を救うことこそ弥陀の本願です。
ルカ書18章9~14節のパリサイ人と取税人に対するイエスの態度その他の逸話について。
『自分を義人だと自任し、他の人々を見下している者たちに対しては、イエスはこのようなたとえを話された。「ふたりの人が、祈るために宮に上った。ひとりはパリサイ人で、もうひとりは取税人であった。パリサイ人は立って、心の中でこんな祈りをした。『神よ。私はほかの人々のようにゆする者、不正な者、姦淫する者ではなく、ことにこの取税人のようではないことを、感謝します。私は週に二度断食し、自分の受けるものはみな、その十分の一をささげております。
ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。「神様。こんな罪人の私をあわれんでください。」
あなたがたに言うが、この人が義と認められ家に帰りました。パリサイ人ではありません。』
このような逸話の記載から、親鸞への直接の影響がキリスト教からもたらされたと解釈する説を取る人もいますが、親鸞が法然から受け継いだ思想の元になっている無量寿経の成立時期は、紀元前後のイエス誕生と同時期です。新約聖書の成立時期より早く無量寿経が成立していることを考えると、法然や親鸞が阿弥陀仏信仰を持ち、無量寿経から出発していることの中に、直接のキリスト教の「罪と救済」の影響関係あるとみなすのは、伝播時間を考えると無理があります。影響関係というより、「世界的宗教における共通の思想」と見なすほうがよいのではないかと思われます。
その上で、オラショを唱えた隠れキリシタンたちの「諸のへあと中にも惡人の爲になかだちとなり玉ふ」「御座ますでうすの御母さんたまりあ今も我等がさいごにも我等惡人の爲に頼みたまへ」という文言は、1600年前後の日本での一向宗(浄土真宗)の広がりを考えると、親鸞の唱える「悪人正機説」「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや」が「マリアによる悪人のためのなかだち」として受容されたと考えるほうが自然な流れであるように思えます。
<つづく>
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