TEAM HAYASAKA

四国八十八か所巡礼お遍路の旅 第9回 原付編

25.10.19(土)
第9回お遍路の旅へ。
香川県に入ってくると、「遠い、つまらない」など、弘法大師にはとても聞かせられないような理由で、同行する家族はとうとういなくなった。
これからは弘法大師と同行二人だ。
こうなれば経費削減のため、原付で挑戦だ。
愛車のライブディオ100㏄。


小雨の中、出発を迷ったが、「止まない雨はない」と自分に言い聞かせ、観音寺市に向けて9時に出発。
風が冷たく、出発して間もなく引き返そうと思った(笑)が、合羽を着ると寒さをさほど感じなくなり、継続。
東温市から桜三里を超え、新居浜市に入ってきたあたりで雨脚が強くなってきた。バックの横に挟んである納経軸が気になって仕方がない。
大切なお宝だ。雨に濡れてしまえば、これまでのお遍路旅の成果が消えてしまう。
納経軸。

マルナカで、90×100㎝のゴミ袋を購入し、中に入れてグルグル巻きにした。これで安心。

豊浜の道の駅に12時に到着。今日は10の寺を打つつもりなのに、3時間もかかるとは想定外だ。


第68番札所神恵院に到着。69番札所の観音寺と同じ境内にある。こちらも想定外だ。得した気分になる。しかし、納経所はひとつしかなく、一人のお坊さんが二つの本尊名を書いていたのにはがっかりした。
仁王門





第68番札所神恵院
<神恵院>
703年に法相宗の高層・日証上人がこの地で修行をしたとき、宇佐八幡宮のお告げを受け、彼方の海上で神船と琴を発見。琴弾山に引き上げ、琴弾八幡宮を建立して祀った。このとき、別当寺として建立したのが神宮寺の起源とされる。807年、弘法大師が琴弾八幡宮の本地仏である阿弥陀如来を描いて本尊として祀り、寺の名を神恵院にとし、六十八番霊場とした。
その後、明治初年の神仏分離令で八幡宮は琴弾神社と神恵院に分離され、神恵院は麓の観音寺境内に移転。同時に八幡宮に安置されていた阿弥陀如来像も西金堂に移された。以降、神恵院は西金堂(2002年に新築)を本堂に、阿弥陀如来像を本尊として現在に至る。

本堂

大師堂


第69番札所観音寺
<観音寺>
神恵院と同じく日証上人が703年に創建したとされる。神宮寺宝光院と称し、大同年間(806~810)には弘法大師が第7世住職として入山した。大師は、琴弾八幡宮が創建された際の神船が、神功皇后とゆかりがあり、皇后の観音の化身であったと感得する。聖観世音菩薩を造り本尊にしたと伝わるが、仏塔を建て、瑠璃や珊瑚、瑪瑙などの七宝を埋めて地鎮したことから七宝山観音寺に改め霊場になったという。
本堂

大師堂


第70番札所本山寺
<本山寺>
807年、平城天皇の勅願で弘法大師が建立。本尊の馬頭観音、脇侍の薬師如来と阿弥陀如来を一刀三礼で刻んだとされる。馬頭観音は、馬が盛んに草を食べるように、人間の欲や怒り、悩みなどをなくすとされる観音様。1300年位建てられた本堂は、寄棟造り、本瓦葺きの重厚な建物で、国宝に指定されている。
仁王門



本堂は国宝である。

大師堂

五重塔


第71番札弥谷寺に到着。
<弥谷寺>
天平年間に聖武天皇の勅願により、行基が堂宇を建立。仁王門から納経所のある大師堂、さらに上の本堂まで続く階段は540段と、ひたすら山を登る難所。弘法大師が8歳から13歳まで修行したお寺で、森の中にかかるいくつもの階段を上っていくと、途中弘法大師が岸壁に彫ったとされる磨崖仏を数多く見ることができる。大師が修行した大師堂奥の洞窟は、獅子が咆哮しているように見えるため「獅子の岩屋」と呼ばれている。







いくつもの階段を上り、最後に煩悩を消しながら108の階段を上ると大師堂が見えた。当然到着と思った。しかし本堂はさらに上にあることがわかり、これまたがっかり。意を決して上っていく。息を切らしながら、やっと本堂に到着。
本堂

納経軸を置き、参拝。ここで納経軸を置き忘れたりしたら、とてもじゃないがもどってくる気力はないだろうなと思いながら、納札を入れお経を唱える。参拝が終わり振り返る。高松自動車道が走る景色に見惚れた。

本堂の参拝が終わり、長い階段を下り、大師堂へ。ここの大師堂は靴を脱いで上がらなければならず、納経所と一緒になっている。お坊さんが横にいるところで、お経を唱える。なんちゃってお遍路の僕は、自然とお経の声が小さくなる(笑)。

参拝を終え、納経所で納経帳と納経軸を出そうと思ったが……!?
なんと、大切な納経軸がない。慌てる。付近を探すがない。どこにもない。
恐ろしい不安がよぎった。

再び長い長い階段を登ると、納経軸は姿を現した。

・・・ロスタイムで、本日のノルマは達成できそうにない。

第72番札所曼荼羅寺
<曼荼羅時>
弘法大師の祖先である讃岐の領主、佐伯氏の氏寺として596年に創建された世坂寺が始まり。大師が唐から持ち帰った金剛界と胎蔵界の両曼荼羅を安置し、本尊の大日如来を観請した。そして唐の清龍字を模した伽藍を3年かけて建立し、曼荼羅寺と改めたとされる。


本堂

大師堂


第73番札所出釋迦寺
<出釋迦寺>
弘法大師が仏門に入るきっかけとなった伝説の場所に建つ。大師がまだ真魚(まお)と呼ばれていた7歳の頃、仏門に入り多くの人を救いたいと願い、我拝師山に登り「我が願いが叶うなら釈迦如来よ、姿を現したまえ。もし叶わぬなら一命を捨ててこの身を諸仏に捧げる」と断崖絶壁から身を投じたとされる。その時紫雲が湧き、釈迦如来と天女が現れ、雲の中で大師を抱きとめた。そして大師に「一生成仏」と告げたという。願い叶った大師は、後に釈迦如来の姿を刻んで本尊として安置。堂宇を建立し、出釋迦寺と名付けた。


本堂

大師堂


ここで17時になりタイムリミット。

第9回四国八十八か所巡礼……第68番札所神恵院、第69番札所観音寺、第70番札所本山寺、第71番札所弥谷寺、第72番札所曼荼羅寺、第73番札所出釋迦寺。

原付でお遍路をすると、話し掛けられる確率がとても高くなりおもしろい。しかし帰路、雨が降りしきる11号線を寒さに耐えながら3時間以上走り続けると、「次は車で」と思えるのは仕方がないことだ。


コメント一覧

はる
もりさん
さすがに遠かったですが、香川県に入ると次から次へとお寺があるので、小回りがきいていいです。次回は車で行くと思いますが…。
もり
Unknown
凄い!スクーターで香川に行くなんて。俺は無理。
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