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TEAM HAYASAKA

趣味は、旅行・キャンプ・スノーボード・バイクツーリング・写真など。休日の様子を楽しく綴っていきます。

秦皇山森林公園

2014-05-25 19:40:07 | 日帰り旅行

26.5.25(日)
さわとかほ





今日は午前中近くの映画館でさわと「アナと雪の女王」を観た。ハイクオリティな映像と洗練された展開に、大人も釘付けになる。

昼からは、中山町にある秦皇山森林公園へソリ遊びに行く。

キャンプ場やログハウスもあるというので夏のキャンプシーズンに備え、偵察も兼ねて行くことにした。

コテージ






BBQハウス




炊事場


キャンプ場









グラススキー場、ソリで遊ぶ。




















遊具もある。














かほ




夏はキャンプ場も賑うのかな?

秦皇山の頂上にあり、今日のような晴れた日には、夜空に無数の星が輝くであろうと思われるキャンプ場です。





TEAM HAYASAKA 開設1周年

2014-05-12 21:48:58 | メッセージ
 
 
黄金週間 神戸・京都経由、式年遷宮の伊勢神宮へ
25.4.27(金)~25.4.29(日)黄金週間の前半、家族・両親・姉家族の9人で式年遷宮が行われている伊勢神宮へ、お伊勢参りにいくことになった。7時に自宅を出発し、8時に...
 


ブログを始めて、はや1年が経ちました。
毎週更新を目標に、家族や仲間を外に連れ出しています。
これからも、家族や仲間との楽しい時間や、新しいフィールドへの挑戦を、子供の成長とともに綴っていきたいと思っています。
では、また来週!
                                                        ハル



四国八十八か所巡礼お遍路の旅 第11回

2014-05-11 21:16:10 | 四国八十八か所お遍路

26.5.11(日)
今週も四国八十八か所を巡る。
9:30に出発。出発して間もなく、運転手以外は全員寝てしまったので、休憩をせず今日最初のお寺まで向かう。11時頃に到着。
多度津町にある「眼なおし薬師さま」として有名な道隆寺からスタート。


第77番札所道隆寺


<道隆寺>
当地の領主、和気道隆が715年に開基。夜ごと桑の巨木から放たれる異様な光に、何ものかと道隆が矢を射たところ、女の悲鳴があがり乳母が倒れて死んでいた。その桑の木で薬師如来を彫り供養したところ、乳母が生き返ったという創建の逸話が残る。その後807年に弘法大師が薬師如来を刻む。本尊はその薬師如来の胎内に道隆作の薬師如来を納めた秘仏。腹ごもり薬師、二体薬師とも呼ばれ50年に一度開帳される。




本堂




大師堂





本日最初のお寺を打ち終わると、早くもお腹が空いたというさわとやっこに押されて昼食。
讃岐うどんの店は香川県に入ればどこにでもあるので、本日も適当に選択する。手打ち讃岐うどん<かみ家>へ行ってみる。
肉うどんを食べている人を見ておいしそうだったので注文する。肉うどんの薬味はねぎ、天かす、しょうが、大根おろしを入れるとよいと書いてあったので、その通りトッピングする。最近食べた讃岐うどんの中では、ここが一番おいしかった。


さわはざるうどん


やっこさんは冷かけうどん


適当な選択がスマッシュヒットになり3人とも大満足であった。

また来たいなあと思いつつ、されど次回ここに来ることがあるのかなとも思いながら店を後にする。

第78番札所郷照寺

<郷照寺>
725年行基が道場寺として開いたとされる。古くから港町として栄えた宇多津にある。815年には弘法大師42歳の時に、自作の尊像を刻み、厄除けの誓願をしたことから「厄除けうたづ大師」として信仰を集めている。時宗の開祖である一遍上人も1288年に踊り念仏道場を開いた。元亀、天正の兵火で伽藍が焼失した後、、江戸時代に初代高松藩主松平頼重が再興。その時真言宗とともに時宗も奉持し、寺名を郷照寺と改めた。真言宗、時宗の両宗派を奉持するのは八十八か所でも唯一である。


腰を低くして構える姿がよい。


境内から瀬戸大橋を望む。




本堂




大師堂







第79番札所天皇寺

<天皇寺>
天平年間に行基が開基。その後、弘仁年間に、この地を巡錫していた弘法大師が日本武尊ゆかりの弥蘇場の泉脇の木で十一面観世音菩薩を彫り、堂を中興。1156年の保元の乱で敗れ讃岐へ流された崇徳上皇が、この地で崩御した時にこの寺で棺が安置された。上皇の霊を鎮めるため、二条天皇が崇徳天皇社を建立。明治の神仏分離令で、天皇社は白峰宮となる。






本堂


大師堂



第80番札所国分寺

<国分寺>
国分寺は天平年間に聖武天皇の勅願により、一国に一寺建立された官寺である。ここ国分寺は勅命を受けた行基が、巨大な十一面千手観音像を刻んで本尊としたと伝えられる。その後、弘仁年間に弘法大師が補修し、霊場に定めた。天正の兵火でほとんどの堂宇を焼失するが、本堂は今に伝わり、国の重要文化財に指定されている。


国の重要文化財である四国最古の梵鐘。天平の音色が今に伝わる。

本堂

大師堂はこの中にある。


第81番札所白峯寺

<白峯寺>
815年に、白峰山に登った大師が嶺に如意宝珠を埋め閼伽井(閼伽:仏教で仏前などにに供養される水。それを汲むための井戸)を掘ったという。860年に智証大師が、瀬戸内に流れ着いた木の放つ光に導かれて山に入る。すると白髪の老人が現れて、木は補陀洛山から流れたものだと告げた。智証大師はその霊木で千手観音菩薩像を刻み本尊にし、堂宇を建てたとされる。



崇徳上皇ゆかりの寺


本堂

大師堂





かほは、疲れたのか帰ったらすぐに寝てしまった。



第11回四国八十八か所巡礼の旅・・・第77番札所道隆寺、第78番札所郷照寺、第79番札所天皇寺、第80札所国分寺、第81番札所白峯寺。




四国八十八か所巡礼お遍路の旅 第10回

2014-05-04 22:13:36 | 四国八十八か所お遍路

26.5.4(日)
黄金週間の後半、久しぶりに四国八十八か所を巡る。
朝9:30に出発。石鎚SAでパンの朝食。


かほはお遍路初参加。


第74番札所甲山寺へ。

<甲山寺>
甲山の岩窟から一人の老人が現れ、弘法大師に「この地は霊地である」告げたという。この地で建立地を探していた大師は、毘沙門天を刻み岩窟に安置、祀ったのが甲山寺の縁起である。満濃池との関係も深い。満濃池は8世紀の始め国司の道守朝臣により造られたが、度重なる決壊で、修復しようにも人手が集まらない状態であった。そこで満濃池を修復する別当に大師が任じられ、甲山の岩窟で工事の成功を祈願し、薬師如来像を刻んで修法した。大師を慕う大勢の人が集まり、この工事を僅か3カ月で竣工したという。大師が重複した満濃池は、現在も丸亀平野の田畑を潤し、実りをもたらしている。




久しぶりの巡礼だが、さわは鐘を撞くのを忘れていない。


本堂


大師堂


第75番札所善通寺

<善通寺>
弘法大師誕生の地で、807年創建。和歌山の高野山と京都の東寺とともに、弘法大師三大霊跡の一つに数えられる寺。唐から帰朝した大師が先祖の菩薩を弔うため、長安の清龍寺を模して建てたと伝わる。境内は伽藍と呼ばれる東院と誕生院と呼ばれる西院に分かれる。東院には金堂(本堂)が、西院には御影堂(大師堂)が建ち、地下には約100mの通路を廻る「戒壇廻り」がある。








本堂


五重塔


大師堂


第76番札所金倉寺

<金倉寺>
774年弘法大師誕生の年、和気道善が如意輪観音像を刻んで堂を建立、自在王堂と名付けたと伝わる。その後、道善の子の宅成によって道善寺と改められる。その宅成の子供が天台寺門宗の祖、智証大師(円珍)である。858年、唐から帰朝した智証大師は伽藍を造営し、薬師如来を刻んで本尊にした。928年醍醐天皇の勅により金倉寺と改められる。


本堂




大師堂





次の寺も打ちたかったが、さわがゴールドタワーで遊びたいというので、今日の巡礼はここまで。

昼食は、もちろんさぬきうどん。






ゴールドタワーへ。









たくさん遊んで帰った。

第10回四国八十八か所巡礼・・・第74番札所甲山寺、第75番札所善通寺、第76番札所金倉寺。