26.5.11(日)
今週も四国八十八か所を巡る。
9:30に出発。出発して間もなく、運転手以外は全員寝てしまったので、休憩をせず今日最初のお寺まで向かう。11時頃に到着。
多度津町にある「眼なおし薬師さま」として有名な道隆寺からスタート。
第77番札所道隆寺
<道隆寺>
当地の領主、和気道隆が715年に開基。夜ごと桑の巨木から放たれる異様な光に、何ものかと道隆が矢を射たところ、女の悲鳴があがり乳母が倒れて死んでいた。その桑の木で薬師如来を彫り供養したところ、乳母が生き返ったという創建の逸話が残る。その後807年に弘法大師が薬師如来を刻む。本尊はその薬師如来の胎内に道隆作の薬師如来を納めた秘仏。腹ごもり薬師、二体薬師とも呼ばれ50年に一度開帳される。


本堂


大師堂


本日最初のお寺を打ち終わると、早くもお腹が空いたというさわとやっこに押されて昼食。
讃岐うどんの店は香川県に入ればどこにでもあるので、本日も適当に選択する。手打ち讃岐うどん<かみ家>へ行ってみる。
肉うどんを食べている人を見ておいしそうだったので注文する。肉うどんの薬味はねぎ、天かす、しょうが、大根おろしを入れるとよいと書いてあったので、その通りトッピングする。最近食べた讃岐うどんの中では、ここが一番おいしかった。

さわはざるうどん

やっこさんは冷かけうどん

適当な選択がスマッシュヒットになり3人とも大満足であった。
また来たいなあと思いつつ、されど次回ここに来ることがあるのかなとも思いながら店を後にする。
第78番札所郷照寺
<郷照寺>
725年行基が道場寺として開いたとされる。古くから港町として栄えた宇多津にある。815年には弘法大師42歳の時に、自作の尊像を刻み、厄除けの誓願をしたことから「厄除けうたづ大師」として信仰を集めている。時宗の開祖である一遍上人も1288年に踊り念仏道場を開いた。元亀、天正の兵火で伽藍が焼失した後、、江戸時代に初代高松藩主松平頼重が再興。その時真言宗とともに時宗も奉持し、寺名を郷照寺と改めた。真言宗、時宗の両宗派を奉持するのは八十八か所でも唯一である。

腰を低くして構える姿がよい。

境内から瀬戸大橋を望む。


本堂


大師堂



第79番札所天皇寺
<天皇寺>
天平年間に行基が開基。その後、弘仁年間に、この地を巡錫していた弘法大師が日本武尊ゆかりの弥蘇場の泉脇の木で十一面観世音菩薩を彫り、堂を中興。1156年の保元の乱で敗れ讃岐へ流された崇徳上皇が、この地で崩御した時にこの寺で棺が安置された。上皇の霊を鎮めるため、二条天皇が崇徳天皇社を建立。明治の神仏分離令で、天皇社は白峰宮となる。



本堂

大師堂

第80番札所国分寺
<国分寺>
国分寺は天平年間に聖武天皇の勅願により、一国に一寺建立された官寺である。ここ国分寺は勅命を受けた行基が、巨大な十一面千手観音像を刻んで本尊としたと伝えられる。その後、弘仁年間に弘法大師が補修し、霊場に定めた。天正の兵火でほとんどの堂宇を焼失するが、本堂は今に伝わり、国の重要文化財に指定されている。


国の重要文化財である四国最古の梵鐘。天平の音色が今に伝わる。

本堂

大師堂はこの中にある。

第81番札所白峯寺
<白峯寺>
815年に、白峰山に登った大師が嶺に如意宝珠を埋め閼伽井(閼伽:仏教で仏前などにに供養される水。それを汲むための井戸)を掘ったという。860年に智証大師が、瀬戸内に流れ着いた木の放つ光に導かれて山に入る。すると白髪の老人が現れて、木は補陀洛山から流れたものだと告げた。智証大師はその霊木で千手観音菩薩像を刻み本尊にし、堂宇を建てたとされる。


崇徳上皇ゆかりの寺


本堂

大師堂


かほは、疲れたのか帰ったらすぐに寝てしまった。

第11回四国八十八か所巡礼の旅・・・第77番札所道隆寺、第78番札所郷照寺、第79番札所天皇寺、第80札所国分寺、第81番札所白峯寺。