“渋谷の父 ”ハリー田西の占い研究所

自身のことを含め世の中の森羅万象を占い師・運命学研究家の立場からつづります。

【2月の指針】泰然として葉を繁らせること!+福澤諭吉と大隈重信とグレゴリオ暦の話

2015年02月01日 19時01分49秒 | Weblog
2月に入りました。今月は戊寅月です。

十干の戊は戊土といって土性の陽で、大きな土、つまり、山、山脈のこと。
山は不動といって、堂々として揺るがないところによさがあります。
十二支の寅は木性の陽で、樹木のこと。
まだ雪の残る山々に力強く生えた木から葉が芽吹く季節。
小さいことにこだわらず、泰然として葉が繁るのを待つ気持ちが大事とよみます。

さて、東洋系の占いに使う旧暦(【太陰太陽暦】)では、2月は4日(立春)からとなります。
実は、この2月4日は2月の始まりであると同時に、
新たな年のスタートの時、つまり《正月》にあたるのです。

江戸時代までは、
日本は【太陰太陽暦】のアレンジした【天保暦】を使っていたので、
2月4日の立春が正月でした。

だからこそ、今でも年賀状は、1月1日に出しても〈迎春〉とか、
〈新春お慶び申し上げます〉と書くわけです。

このように、東洋の占いの根本にある陰陽五行の世界では、
命が芽吹く季節~【春】こそがスタートの時となるわけです。

この【太陰太陽暦】は明治維新以後もしばらく使われていましたが、
鎖国を解き、諸外国との交流が盛んになると、
西洋と日付が違うわけですから、
なにかと不都合を生じるようになりました。

そこで、1873年(明治5)の11月9日に、
当時、明治新政府の参議であった大隈重信が突然、
「太陰暦ヲ廃シ太陽暦ヲ頒行ス」
「來ル十二月三日ヲ以テ明治六年一月一日ト被定候事」
という太政官布告を出して、
それまで使われていた【太陰太陽暦】を廃し、
西洋の新暦【グレゴリオ暦】に使うこととすると宣言したわけです。

実は、【グレゴリオ暦】採用の背景には、非常に面白い裏話があって、
明治新政府の財政が逼迫し、
幕府時代の年俸制から月給制に変わった役人たちに払う月給が足りなくなってしまったので、
急遽、【グレゴリオ暦】の採用を決めたという話があるんです。

というのは、月の運行で暦を作っていた【太陰太陽暦】だと、
1年に10日程度の誤差が生じるので、
それまでは3年に1回、閏月を作って調整していたのです。
そのため、江戸時代は3年ごとに1年がなんと13カ月あったのです。
信じられますか?

ということは、月給制だと3年に1回は一か月分余計に給料がもらえたわけです。

そして、この閏月のある閏年が翌年の明治6年にあたっていました。
つまり、明治政府は明治6年は一か月分余計に予算が必要だったのです。

ところが、明治5年のうちにグレゴリオ暦に改めてしまえば、
翌年は12ヶ月になりますから、一か月分の給料が浮くことになります。
さらに、明治5年は12月は2日で終了し、12月3日から新年としたために、
12月分の給料も浮かしてしまったのです。
なんて大隈さんて頭がいいんでしょう!

実は、この大隈重信の突然の決定に関して知恵を授けたのが、
この年に知り合い、以後“生涯の友”となった福澤諭吉だといわれています。
そのため、福澤諭吉は『改暦弁』という本をを著して、
大隈が進めた改暦の正当性を論じ、側面からバックアップしました。

今日2月3日は奇しくもその福澤諭吉の命日にあたります。
そして、明日は旧暦のお正月・・・面白い因縁ですね。

この話はいずれ一つのストーリーとしてまとめてみたいと思っています。



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