“渋谷の父 ”ハリー田西の占い研究所

自身のことを含め世の中の森羅万象を占い師・運命学研究家の立場からつづります。

50年ぶりの早慶優勝決定戦に酔った一日・・・

2010年11月03日 22時56分29秒 | Weblog
50年ぶりの早慶両大学による六大学野球の優勝決定戦の日。
この歴史的な1日の幕が開きました!・・・ってちょっと大げさかな?!

いやいや、それでも朝5時、届いたばかりの日刊スポーツに目を通すと、
入場者を制限するゲートみたいな写真が掲載されてあり、
今日は超満員確実みたいなことが書いてある・・・
むむむ、待てよ?この記事が本当だとすると、
開場1時間前の午前9時なんかにのこのこ神宮へ到着したんじゃチケットが手に入らないかも?
なにしろ僕らが手に入れようというのは前売りのなかった特別内野席、
つまりネット裏のシートなのですから・・・
これはもうかなりこちらも気分を前倒しして早く神宮にはせ参じなくては・・・!

・・・てんで、朝7時前に自宅を出発。
ホント、こういう時の僕というのはすっごく思い切りがいいというか、決断が早い?

こうして、7時半過ぎに神宮球場に着いたのですが・・・

いやぁ、なんともびっくり!
もう朝から神宮球場の周りは、人、人、人、すごい人!
当日券を買い求めるための列、
前売り券を持っていながら座席の確保のために開場を待つ列、
それ以外にあっちに行ったりこっちに行ったり、とにかく蠢く人たち・・・
とにかく、人がいっぱいで、もうトンデモナイ状態!
思わず、その昔、まだ早慶戦の徹夜が容認されていた時代を思い出してしまいました。

そんな中、僕はとりあえず3塁側の特別内野席・当日券と書かれた
長~~~~い列の最後尾を目指して歩いていき、
最後尾と書かれたプラカードを持って立っている係員のところまで行ったのですが、
その係員曰く、
「一人につき5枚まで購入できるので、ここだと(買えるかどうか)微妙ですね」ですと。
えっ、ウソ?!こんなに早く来たのに~??

それで、急遽決断。
確実を期して、思い切って、売りだし枚数の多い内野席の列に並び直すことにしました。

とまぁ、それはそれでいいんですが・・・
それよりも何よりも、僕にとって心配なのは、この内野席券が何時から売られて、
僕は何時頃チケットを手に出来るのかということでした。
通常は午前10時の開場と同時にチケットが販売されるのですが、
今日は観客が多いため、特別に開場が早まるだろうとのことです。
そうなると、午前10時にはチケットを買うことができるのかな、というのが僕の判断でした。
いや、実はそうでないと、僕は大変に困ってしまうのです。
なぜなら、僕は本日11時から、1件鑑定の予約を受けてしまっているからなのです。
そう、つまり11時から仕事があるんです!
だから、万が一その仕事に間に合わないような事態が起きたら・・・

そこで、もしも、もしものことを考えて、
H先生やらKちゃんやらエンニョ(あだ名)に、
「10時過ぎまでに現地に来て欲しい」とSOSにメールや電話を入れたのですが、
なぜかみな応答せず!う~~ん、まだ寝てるのかな?

「午前中は前日手術をした患者さんの様子を見てこなくちゃいけないんだ」
と言っていたH先生はともかく、
Kちゃんやエンニョはいったいどうしたんだろう?!
僕は次第に焦燥感が募ってくるのを感じました・・・

そして、午前9時。
案の定、10時開場の予定を1時間前倒して開場。
同時に、内野席のチケットの販売が開始されました。
この直後、「すみません、今起きました」「寝てました」とKちゃんやエンニョから続々連絡が・・・
ああよかった。これでなんとかなるかな?
「とりあえず、みんな、早く神宮に来てくれないか。中に入って席取りをしてほしいんだ」と、
二人に強く厳命したのであります。11時からの鑑定のことがあるからね。

こうして午前10時には待望のチケットを5枚ゲット!

ところが、それからがまた大変!
そのチケットを預けようにも、
Kちゃんもエンニョもなかなか神宮に到着しないのです。
たくもう、僕は11時から仕事があるんじゃつーの!
僕はまた電話をかけまくりです。

ちなみに、この時間帯は、東京のキー局というキー局の取材班が、
ごった返す人ごみの中で大取材合戦を繰り広げており、
テレビでよく見るキャスターやらアナウンサーがマイクを片手に右往左往、
インタビューのためにカメラクルーを引き連れて飛び回っておりました。

そして、結局、エンニョがタクシーで神宮に着いたのは、なんと10時40分。
もう僕はチケットをエンニョの手の中にねじ込むや、そのタクシーに飛び乗って、
大わらわで渋谷のオフィスへ。

はい、お陰様でなんとか間に合いました。
午前11時にお客様をお迎えした時には、
もう何時間も前からオフィスに座って舞っていたようにデスクの前に悠然と座り、
お客様の鑑定を落ち着いて済ませました。
そして、お客様を送り出すや、タクシーに乗って再び神宮球場へ。
ああ、なんて慌ただしい文化の日なんでしょう。

さて、エンニョたちが席を取っていたのは、
内野といっても学生内野よりももっと外野に近いエリア。
そんな内野席のはじっこに、エンニョとH先生とKちゃんが座っていました。
「んもう、みんな、大変だったんだから・・・」とグチる僕。
「ああ、そうだってね。悪りぃ、悪りぃ」なんて言っているうちに、
両チームのスターティングラインナップの発表のアナウンス!
「9番 ピッチャー・斎藤くん!」
ウォ~~ッと球場中から巻き起こる大歓声! 
う~ん、すごい!まさに今日の“主役”やん。

それにしても、その“主役”の斎藤佑クンのすごいこと。
バッサバッサと慶應のバッターを三振に切ってとる快“投”乱麻の活躍。
7回終了までノーヒット!
大学生相手とはいえすごい選手です。ホント、この選手は何か持ってる。

結局、既報の通り、8回に味方のエラー×エラーの連続から、
佑クンの緊張の糸が一気に切れて、あっという間に5点を献上してしまったのですが・・・
あのエラーがなくてポンポンとアウトが取れていたら、
おそらくほぼ100%、佑クンは勢いでノーヒットノーランを達成していたでしょうね。

ちなみに、慶應が8回までノーヒットだったのに対して、早稲田は毎回安打。
その早稲田の毎回安打の記録が8回表に途切れたので、
僕が「あっ、早稲田の毎回安打が途切れたから、
この回は慶應からヒットが出るね」と予言をしたとたん、早稲田の3塁手がエラー。
これが破綻の始まりになりました(笑)

でも、それにもまして、慶應の4番の伊藤クン(3年)はさすが全日本の4番だけあって、
あのフェンス直撃の3塁打は実に見事、快心の当たりでした。
来年は年間10本くらいの本塁打は楽に打てそうです。

最後は、西武のドラ1の大石クンが出てきて、
150km超えの速球をバンバン決めて、佑クンの尻拭いをしました。
最後の打者を三振に打ち取った球なんて、153kmですよ!

一方、慶應のほうの反撃も8回の5点止まり、というか5点取るのがやっとで、
最後は投手に代打を出したものですから、
最終回は一塁手が急造のピッチャーを務めるという体たらく、
いや、そのくらい死力を尽くした総力戦だったということでしょう。

でも、逆に考えれば、佑クンのノーヒット記録が破れて、慶應が5点取ったことで、
この試合はさらに盛り上がったともいえます。
そういう点では、佑クンはまさに“千両役者”です。
ホント、実にイイ試合でした。

帰りしな、「いやぁ、よかった、よかった」「イイ試合だった」と、
出口に急ぐ誰もから、そんな囁きが聞こえて来ました。
見ると、悔しくてか、感動してか、泣いている人もたくさんいました。

そんな光景を見て、僕はかつて甲子園で生で観た松坂大輔の横浜高校とPL学園の
延長17回に及ぶ激闘を思い出しました。
あの時も、試合が終了した時は、感動して、多くの観客がごく自然に泣いていました。
「イイ試合を見た」「すごい試合を見た」「すごい歴史の現場に立ち合えた」という感じでしょうか。
きっと、今日の早慶優勝決定戦も、
「生で観たよ。あの試合は・・・」と後世まで語り継がれることでしょう。
そんないつまでも忘れられない想い出と感動と清涼感が残りました。

そして、今日の試合の余韻を確かめるように、
僕らは夕暮れの街へと消えていったのでした。


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