夜通し空を飛んで金曜日の朝成田に着き、帰宅。
ところが、午後には占いの予約が入っていたために、
渋谷の事務所へという慌ただしさの中で始まった僕の2010年の御用始めですが、
そんな中、東急線の中で懐かしい顔に会いました。
僕が、テレビ業界の第一線でバリバリ仕事をしていた頃、
制作会社の取材ディレクターとして活躍していたMちゃんです。
「しばらくでした」
「太ったね。貫禄ついたじゃん」
Mちゃんはその後ディレクター業から足を洗い、現在はやはりテレビ関係ですが、
「どこどこの店にはこんな変わったものがある」的な取材のための資料を作る
リサーチ会社を経営しています。
いまや立派な社長さんです。Mちゃん!なんて気安く呼べないです(笑)
と・・・
「いまは作家の仕事と占いの仕事のバランスというのはどうなっているんですか?」とMちゃん。
「まぁ半分ずつというか、どちらかというと、もはや立地しているのは占いのほうかな」と僕。
「でも、なんで作家の仕事を減らしちゃったんですか?」とさらにしつこく尋ねるMちゃん。
とりあえず今でも年賀状のやりとりなどはあるため、
その後の僕の動向についてもいちおうの認識があるMちゃんですが、
現在の僕の生き方にはある種の“不思議”を感じているようです。
それは彼からすると、僕のもともとの作家としてステータスや
そんな中での羽振りの良かった時代の僕のことをよく知っているからでしょう・・・
なんで、どうして、そんな“時代”を手放しちゃったのかな・・・と。
こうしたMちゃんの思い描く僕の“不思議”・・・
僕がなぜ放送の仕事から少しずつをして本格的に占い師の活動をスタートさせたか?
「それはね・・・」
僕は語り始めました。
「まぁ僕はある意味では半分ドロップアウトしたのかもしれないけれど・・・」と。
「一時期、僕の周りにいる業界の人間が、突然のように若くしてバタバタと亡くなってね。
その時、かなりショックで、人の命ってなんだろうって思ったんだ。
同時になんで人間がこんなに簡単に死んじゃうの?と思ったわけ。
そして、その時に、ああこれって自然に逆らって生きているからじゃないかって思ったわけ。
そう思った時、このままいくといまの自分もある日突然コロッと逝ってしまうと・・・」
当時の僕は、仕事のために週に1日は徹夜(以上の生活)をしていました。
もちろん、世の中には徹夜勤務や夜間の労働をしている人も沢山いるのは事実ですけど、
僕にとって、そんな日常的なサイクルは、高収入にはなれど、かなり過酷でした。
なにしろ、ただ起きているだけでなくって、四六時中、頭と手と神経を使っていたから・・・
打ち合わせをし、考えて、原稿を書き、また打ち合わせをし、原稿を書き・・・
そんな水車のような繰り返し・・・
そんな中で、僕は何か危機感というか、“自然”との“矛盾”を感じたのです。
何か違う、このままだと何かヤバイなぁ・・・って。
Mちゃんはしばらく黙っていましたが、ポツリと、
「そういえば、あの頃は、私も毎週2徹(ふた晩続きの徹夜)が当たり前でした」
と言いました。
「そうだよね。その間、パカパカ煙草を吸って、それで本番が終わると打ち上げで飲みにいく・・・」
「そうでした。2徹しても飲みに行っちゃって・・・
もう異常なんだけど、でも、飲んでいる時だけが何かマトモになれた感じで・・・いま考えると怖いですけど・・・」
さらに、Mちゃんは堰を切ったように・・・
「私もショックだったのは、知り合いの制作会社の社長が自殺しまして・・・
あの時は1週間前に電話で話したばかりだから相当にショックでしたよ」
テレビの仕事は魔物です。
テレビ局の正社員は別にしても、一度その世界に足を踏み入れるとなかなか抜け出せないし、
つぶしもきかない。
そんな中で、一見華やかなテレビ業界の中であたら尊い命を落としてしまうケースが少なくない・・・
もちろん、全部の人がそうではないけど・・・
でも、局の正社員ならば、高い給料に身分を保障されつつ、
自然に年功で出世し、少なくとも過酷な戦場のような現場から、
一段高いステージに上がることが出来るのですが、
大部分の下請けの制作マンやフリーの人間にはどこかでキリをつけなくてはいけない、
それでいてつけられない悲しい現実が待っている・・・
そして、自分の命を知らず知らずのうちにすり減らしてしまうともいえます。
まさに死のスパイラルです・・・
そんな中で、僕は、ある時点で、自然の流れに逆らわずに生きる生き方を希求し、
そのためにもっと自分を知ろう、自分が自然に生きる生き方を探そうとした・・・
時間はかかりましたが、その結果がいまにあるといえます。
とはいえ、人の生き方はそれぞれだし、さまざま。
僕は、別に自分が生きてきた、自分を育ててくれた業界を
決して悪くいっているつもりではありません。
また、人の生き方について、何をもって良しとするかは誰も決められません。
生き方を決めるのは自分自身なのですから・・・
Mちゃんは、今年、50歳になるとか。
家族はどうしたのか、つい聞き忘れたまま、渋谷の駅で別れました。
でも、Mちゃん、あなたはきっと長生きできるよ、きっとね。また飲もう!
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渋谷の父 ハリー田西 “渋谷占い”
ところが、午後には占いの予約が入っていたために、
渋谷の事務所へという慌ただしさの中で始まった僕の2010年の御用始めですが、
そんな中、東急線の中で懐かしい顔に会いました。
僕が、テレビ業界の第一線でバリバリ仕事をしていた頃、
制作会社の取材ディレクターとして活躍していたMちゃんです。
「しばらくでした」
「太ったね。貫禄ついたじゃん」
Mちゃんはその後ディレクター業から足を洗い、現在はやはりテレビ関係ですが、
「どこどこの店にはこんな変わったものがある」的な取材のための資料を作る
リサーチ会社を経営しています。
いまや立派な社長さんです。Mちゃん!なんて気安く呼べないです(笑)
と・・・
「いまは作家の仕事と占いの仕事のバランスというのはどうなっているんですか?」とMちゃん。
「まぁ半分ずつというか、どちらかというと、もはや立地しているのは占いのほうかな」と僕。
「でも、なんで作家の仕事を減らしちゃったんですか?」とさらにしつこく尋ねるMちゃん。
とりあえず今でも年賀状のやりとりなどはあるため、
その後の僕の動向についてもいちおうの認識があるMちゃんですが、
現在の僕の生き方にはある種の“不思議”を感じているようです。
それは彼からすると、僕のもともとの作家としてステータスや
そんな中での羽振りの良かった時代の僕のことをよく知っているからでしょう・・・
なんで、どうして、そんな“時代”を手放しちゃったのかな・・・と。
こうしたMちゃんの思い描く僕の“不思議”・・・
僕がなぜ放送の仕事から少しずつをして本格的に占い師の活動をスタートさせたか?
「それはね・・・」
僕は語り始めました。
「まぁ僕はある意味では半分ドロップアウトしたのかもしれないけれど・・・」と。
「一時期、僕の周りにいる業界の人間が、突然のように若くしてバタバタと亡くなってね。
その時、かなりショックで、人の命ってなんだろうって思ったんだ。
同時になんで人間がこんなに簡単に死んじゃうの?と思ったわけ。
そして、その時に、ああこれって自然に逆らって生きているからじゃないかって思ったわけ。
そう思った時、このままいくといまの自分もある日突然コロッと逝ってしまうと・・・」
当時の僕は、仕事のために週に1日は徹夜(以上の生活)をしていました。
もちろん、世の中には徹夜勤務や夜間の労働をしている人も沢山いるのは事実ですけど、
僕にとって、そんな日常的なサイクルは、高収入にはなれど、かなり過酷でした。
なにしろ、ただ起きているだけでなくって、四六時中、頭と手と神経を使っていたから・・・
打ち合わせをし、考えて、原稿を書き、また打ち合わせをし、原稿を書き・・・
そんな水車のような繰り返し・・・
そんな中で、僕は何か危機感というか、“自然”との“矛盾”を感じたのです。
何か違う、このままだと何かヤバイなぁ・・・って。
Mちゃんはしばらく黙っていましたが、ポツリと、
「そういえば、あの頃は、私も毎週2徹(ふた晩続きの徹夜)が当たり前でした」
と言いました。
「そうだよね。その間、パカパカ煙草を吸って、それで本番が終わると打ち上げで飲みにいく・・・」
「そうでした。2徹しても飲みに行っちゃって・・・
もう異常なんだけど、でも、飲んでいる時だけが何かマトモになれた感じで・・・いま考えると怖いですけど・・・」
さらに、Mちゃんは堰を切ったように・・・
「私もショックだったのは、知り合いの制作会社の社長が自殺しまして・・・
あの時は1週間前に電話で話したばかりだから相当にショックでしたよ」
テレビの仕事は魔物です。
テレビ局の正社員は別にしても、一度その世界に足を踏み入れるとなかなか抜け出せないし、
つぶしもきかない。
そんな中で、一見華やかなテレビ業界の中であたら尊い命を落としてしまうケースが少なくない・・・
もちろん、全部の人がそうではないけど・・・
でも、局の正社員ならば、高い給料に身分を保障されつつ、
自然に年功で出世し、少なくとも過酷な戦場のような現場から、
一段高いステージに上がることが出来るのですが、
大部分の下請けの制作マンやフリーの人間にはどこかでキリをつけなくてはいけない、
それでいてつけられない悲しい現実が待っている・・・
そして、自分の命を知らず知らずのうちにすり減らしてしまうともいえます。
まさに死のスパイラルです・・・
そんな中で、僕は、ある時点で、自然の流れに逆らわずに生きる生き方を希求し、
そのためにもっと自分を知ろう、自分が自然に生きる生き方を探そうとした・・・
時間はかかりましたが、その結果がいまにあるといえます。
とはいえ、人の生き方はそれぞれだし、さまざま。
僕は、別に自分が生きてきた、自分を育ててくれた業界を
決して悪くいっているつもりではありません。
また、人の生き方について、何をもって良しとするかは誰も決められません。
生き方を決めるのは自分自身なのですから・・・
Mちゃんは、今年、50歳になるとか。
家族はどうしたのか、つい聞き忘れたまま、渋谷の駅で別れました。
でも、Mちゃん、あなたはきっと長生きできるよ、きっとね。また飲もう!
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