“渋谷の父 ”ハリー田西の占い研究所

自身のことを含め世の中の森羅万象を占い師・運命学研究家の立場からつづります。

牛丼と僕の長~~いつきあい伝説

2008年03月18日 11時46分15秒 | Weblog
朝、モーレツにお腹が空いて、
つい通りがかりにすき家によって、大好きな牛丼を食べました・・・
僕は個人的な好みでいうと、牛丼といったら吉野家の牛丼に尽きるけど、
例のアメリカ産牛肉の輸入禁止騒動以来、
吉野家は午前11時以降でないと牛丼を販売していないので、
このところ、僕がなぜか一番牛丼が食べたくなる朝方に、
僕は吉野家で牛丼を食すことはできなかったわけです。
(注:朝っぱらから牛丼を食すことを僕は“朝牛”と呼んでいます!)

ところが、ついにその吉野家が24時間牛丼の販売を再開するというじゃないですか。
やった!うれしい!もうこうなったら毎朝でも牛丼を食べてしまおう!
毎朝、朝牛だ!(注:朝、牛乳を飲むわけではない!)

小学校の頃、学校までの道の途中に、いかにもという大衆食堂があり、
その店の壁面に大きく「牛めし」と書いてありました。
僕は、いつもいったんそこで立ち止まり、
その字を大きな声で「う・し・め・し」と読み上げながら、
学校へ通ったものです。
「うしめし」って何だろう?どんな食べ物だろう?まさか丼に牛が乗ってるんじゃないよな?
子供の僕にはまだ見ぬ「うしめし」のイメージがこ~~~~なに大きくふくらみました
その当時は、まだ吉野家もチェーン展開されておらず、
「牛丼」なる言葉もそれほど一般的ではなく、
むしろ街の大衆食堂の看板などで、
時折「牛めし」の字を見かける程度で、
無知な僕など「牛めし」を「ぎゅうめし」と読むとも知らず、
「うしめし」と訓読みしていたのでした。

そんな僕と牛丼の距離がにわかに接近したのは高校進学の頃でした。
中学時代仲が良かったK君が、お父さんの急死によって急遽高校進学をあきらめ、
吉野家に就職したのです。
当時の吉野家は本当にチェーン展開されたばかりで、
店舗数も新橋店などを含めそう多くはなかったと思います。
僕はK君に訊ねました。
「吉野家って何を出す店?」
「牛丼だよ」
「牛丼って?」
「牛めしだよ」
「ゲッ、ぎゅうめしって牛めし?
あれうしめしって読むんじゃないの?あちゃー、知らなかったなぁ・・・」
こうして僕は、“牛めしはうしめしではなくてぎゅうめし、牛丼はうしどんではなくぎゅうめし”
と読むのだという事実を知ったのでした。

やがて、大学進学・・・
ここで僕と牛丼の間はさらに接近!
というのは、僕が通った早稲田大学の西門の前に「三品食堂」という早大生御用達の食堂があり、
この店のメインがこの牛めしだったのです。
ちなみに三品食堂の三品の由来は、牛めし、カレーライス、カツライスの三品から来ています。
この店で、僕は早稲田の運動部の猛者や同級生のテッちゃん(世田谷区役所職員)に交じって、
大カツタマギュー(知ってる人だけがわかる頼み方)などもりもり食べていました。
牛めしってこんなにうまいものだったんだぁ!
それが当時から連綿と続く僕の牛丼(牛めし)に対する感想です

ところで、この美味の牛肉料理を牛丼と呼ぶべきか牛めしと呼ぶべきか、
店によっても呼び方が決まっていませんよね。
たとえば・・・
牛丼→吉野家、すき家
神戸らんぷ亭→牛どん
牛めし→松屋、三品食堂、新橋のげんき
となっています。
ただし、公平に見て、目下のところは、
牛めしよりも牛丼のほうが一般的な呼び方といえるかもしれません。
おそらく、牛めしという呼称のほうが牛丼という呼び方よりも古いのかしれませんが、
そこは世に牛丼ブームを作り出したパイオニアが吉野家であることと、
「めし」という言い方にやや粗野なイメージがあるせいか、
女性でも抵抗なく口にできる言い方として、
「牛丼」という呼び方のほうが受け入れやすいのでしょう。
結局、70年代から世に牛丼ブームをもたらした吉野家がなくならない限り、
「牛丼」という呼び方のほうが有利かな・・・?

ちなみに、高校進学をあきらめて吉野家に入社したK君ですが、
吉野家内でグングン頭角を現して出世し、
アメリカへ渡ってUCLAまで通わせてもらって、
アメリカ吉野家の社長を務めた後、勇躍帰国。
その後は、吉野家本社の副社長まで登りつめ、
現在は、「藩」や「糸ぐるま」「CASA」などをチェーン展開する西洋フーズ・
コンパスグループという会社の社長におさまって敏腕をふるっています。


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