眠いんですね(-_ゞゴシゴシ
では,いくらなんでも語弊がありますね。
今日は東京に出ていました。
用事も済んで,「せっかく東京に来たし,サントリーホールでも行ってみようかな」って軽いノリで足を運びました。溜池山王に。
そしたら,なんかやってる!
しかも当日券売ってるし!
気が付けば当日券買ってるし!
うーん。外は寒い!
で,演目はこれでした。
____________________________________
【東京交響楽団第530回定期演奏会 】
曲目 ブルックナー:交響曲第8番 ハ短調(ノヴァーク版)
指揮 ユベール・スダーン
開演 18:00
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今回も初物づくし。
まず東京交響楽団が初。
指揮者好きの私としては,もちろんユベール・スダーン氏を拝見するのも初。
ブルックナーを生で聴くのも初。
8番聴くのも初。
おいおい,大丈夫か?自分。
80分超えの大作。ご期待通りに,第1~2楽章は熟睡。
でも3楽章は良かった。美しい。
4楽章も寝なかった!
第4楽章で,オーボエだかクラリネットだかファゴットの方が裏口に駆け込んで,またいそいそと戻ってきていた。どうしたんだろ?
カーテンコールでは,スターン氏が階段でずっこけていた。
みんな初体験(笑)
私の前にいたお客様は,第1~2楽章は起きていた。
でも,3~4楽章では確実に寝ていた。
私と睡眠の周期が逆だったみたい。やはりいろいろだなぁ。
人生色々。
会社も色々。
お客様も色々。
お後がよろしいようで(?!)
※ユベール・スダーン※
1946年オランダ・マーストリヒト生まれ。オランダの音楽院で指揮法を学び、これまでに、ヴィレム・ヴァン・オッテルロー、ジャン・フルネ、フランコ・フェラーラの各氏に師事。
1971年ブザンソン国際指揮者コンクール優勝、1973年カラヤン国際指揮者コンクール第2位、1975年グィード・カンテルリ国際コンクール優勝に輝いている。これまでに、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、バンベルク交響楽団、ロンドン・フィルハーモニー、ウィーン交響楽団、オスロ・フィルハーモニー、ストックホルム・フィルハーモニー、ゲバントハウス管弦楽団、パレルモ交響楽団、ヒューストン交響楽団、ダラス交響楽団、モントリオール交響楽団、ニューヨーク・フィルハーモニック他に客演、またプラハの春、ブルックナーフェスティヴァル、ザルツブルク音楽祭など数々の音楽祭にも出演している。
1981年~83年フランス国立放送管弦楽団の首席指揮者、1983年~86年オランダ・ユトレヒト交響楽団の首席指揮者。1985年パルマのテアトロ・レジオでのオペラの成功をきっかけに、イタリア各地で数々のオペラを指揮。ヴェネツィア、ボローニャ、トリエステの歌劇場、スポレート音楽祭、ラヴェンナ音楽祭などに招かた。1988年アルトゥール・トスカニーニ交響楽団の首席指揮者、1985年~88年メルボルン交響楽団首席客演指揮者。
日本へは、1975年初来日。都響(1980年)、新日本フィル(1975年~2回)、札響、日本フィル(1992年、93年)、広響(1997年、99年、2002年、03年)、群響(2002年)、大阪センチュリー響(2003年)等と共演。
1994年よりフランス国立ペイ・ドゥ・ラ・ロアール管弦楽団の音楽監督および、ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団の音楽監督。東京交響楽団とは1997年より定期的に公演を重ね、1999年に同団の首席客演指揮者に就任し、2004年9月に東京交響楽団音楽監督に就任、同時にモーツァルテウム管弦楽団では首席客演指揮者として2007年まで契約となる。
では,いくらなんでも語弊がありますね。
今日は東京に出ていました。
用事も済んで,「せっかく東京に来たし,サントリーホールでも行ってみようかな」って軽いノリで足を運びました。溜池山王に。
そしたら,なんかやってる!
しかも当日券売ってるし!
気が付けば当日券買ってるし!
うーん。外は寒い!
で,演目はこれでした。
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【東京交響楽団第530回定期演奏会 】
曲目 ブルックナー:交響曲第8番 ハ短調(ノヴァーク版)
指揮 ユベール・スダーン
開演 18:00
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今回も初物づくし。
まず東京交響楽団が初。
指揮者好きの私としては,もちろんユベール・スダーン氏を拝見するのも初。
ブルックナーを生で聴くのも初。
8番聴くのも初。
おいおい,大丈夫か?自分。
80分超えの大作。ご期待通りに,第1~2楽章は熟睡。
でも3楽章は良かった。美しい。
4楽章も寝なかった!
第4楽章で,オーボエだかクラリネットだかファゴットの方が裏口に駆け込んで,またいそいそと戻ってきていた。どうしたんだろ?
カーテンコールでは,スターン氏が階段でずっこけていた。
みんな初体験(笑)
私の前にいたお客様は,第1~2楽章は起きていた。
でも,3~4楽章では確実に寝ていた。
私と睡眠の周期が逆だったみたい。やはりいろいろだなぁ。
人生色々。
会社も色々。
お客様も色々。
お後がよろしいようで(?!)
※ユベール・スダーン※
1946年オランダ・マーストリヒト生まれ。オランダの音楽院で指揮法を学び、これまでに、ヴィレム・ヴァン・オッテルロー、ジャン・フルネ、フランコ・フェラーラの各氏に師事。
1971年ブザンソン国際指揮者コンクール優勝、1973年カラヤン国際指揮者コンクール第2位、1975年グィード・カンテルリ国際コンクール優勝に輝いている。これまでに、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、バンベルク交響楽団、ロンドン・フィルハーモニー、ウィーン交響楽団、オスロ・フィルハーモニー、ストックホルム・フィルハーモニー、ゲバントハウス管弦楽団、パレルモ交響楽団、ヒューストン交響楽団、ダラス交響楽団、モントリオール交響楽団、ニューヨーク・フィルハーモニック他に客演、またプラハの春、ブルックナーフェスティヴァル、ザルツブルク音楽祭など数々の音楽祭にも出演している。
1981年~83年フランス国立放送管弦楽団の首席指揮者、1983年~86年オランダ・ユトレヒト交響楽団の首席指揮者。1985年パルマのテアトロ・レジオでのオペラの成功をきっかけに、イタリア各地で数々のオペラを指揮。ヴェネツィア、ボローニャ、トリエステの歌劇場、スポレート音楽祭、ラヴェンナ音楽祭などに招かた。1988年アルトゥール・トスカニーニ交響楽団の首席指揮者、1985年~88年メルボルン交響楽団首席客演指揮者。
日本へは、1975年初来日。都響(1980年)、新日本フィル(1975年~2回)、札響、日本フィル(1992年、93年)、広響(1997年、99年、2002年、03年)、群響(2002年)、大阪センチュリー響(2003年)等と共演。
1994年よりフランス国立ペイ・ドゥ・ラ・ロアール管弦楽団の音楽監督および、ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団の音楽監督。東京交響楽団とは1997年より定期的に公演を重ね、1999年に同団の首席客演指揮者に就任し、2004年9月に東京交響楽団音楽監督に就任、同時にモーツァルテウム管弦楽団では首席客演指揮者として2007年まで契約となる。