Yuuki Shrine, Tsu City, Mie Pref.
さてさて、伊勢志摩パールヴィレッジオートキャンプ場でキャンプを楽しんだワタクシ達ですが、
そのまま大阪に帰るのではなく、帰路は県庁所在地である津市に立ち寄りました。
ワタクシ達は結城神社という神社に向かったんです。
ネットに「結城神社で2月10日から梅まつりが行われる」と書かれていたんです。
「まだ満開には早いやろうけど、梅まつりをやってるくらいやから、そこそこ梅が咲いてるやろ」と考え、
結城神社に立ち寄ることにしたんです。
結城神社は後醍醐天皇を奉じて「建武中興」の樹立に貢献した結城宗広公を祀ってあるとのことでした。
ワタクシは後醍醐天皇を支え、鎌倉幕府を滅ぼす際に大活躍した楠木正成が出自した大阪府千早赤阪村に
ほど近い場所に暮らしているので、建武の新政ってどこかなじみ深さを感じるんですよ。
結城神社に着くと、境内はさほど多くの人で溢れているわけではありませんでした。
というのも、まだ梅は三分~四分咲きという感じで、地元の人は満開が近づくと参拝に来るのでしょう。
とは言え、梅の花の淡い色合いには心惹かれます。春というと「柔らかさ」「暖かさ」「穏やかさ」という言葉を
ワタクシは連想するのですが、最近は春でも強い日差しの日もあり、イメージは変わりつつありますね。
ましてや今年の2月は異常なまでの暖かさが続き、「柔かな春の日」が少ないような気がします。
最近は四季の移ろいも変わってきましたね。
まだ蝋梅の花が残っていました。蝋梅には青空が似合うのですが、ちょっと雲が多かったんです。
春になって花見で愛でる花といえばもちろん桜のことですね。
言うまでもなく桜は日本人に古くから愛されてきた花であり、春を象徴する花です。
でも、実は奈良時代は桜より好かれた花があったんですよ。
それは梅です。奈良時代の花鑑賞といえば、梅をさしていました。
貴族たちの間では造園する際、梅を入れることが定番となっていたようです。
当時、日本は遣唐使を介した中国との交易が盛んでした。中国文化や中国の物品も多く日本に伝わり、
その中の1つに梅があったのです。香立つその花は珍重され、桜よりも人気があったんですね。
使用したカメラ:FUJIFILM X-T30
ちなみに、平安時代になると花といえば「梅」ではなく「桜」を指すようになっていきました。
そのきっかけは遣唐使が廃止されたことにより、中国の文化や風習が日本に伝わることがなくなり、
日本独自の文化、風習が生まれていったからなんです。花一つをとっても、歴史というのは面白いです。
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さてさて、伊勢志摩パールヴィレッジオートキャンプ場でキャンプを楽しんだワタクシ達ですが、
そのまま大阪に帰るのではなく、帰路は県庁所在地である津市に立ち寄りました。
ワタクシ達は結城神社という神社に向かったんです。
ネットに「結城神社で2月10日から梅まつりが行われる」と書かれていたんです。
「まだ満開には早いやろうけど、梅まつりをやってるくらいやから、そこそこ梅が咲いてるやろ」と考え、
結城神社に立ち寄ることにしたんです。
結城神社は後醍醐天皇を奉じて「建武中興」の樹立に貢献した結城宗広公を祀ってあるとのことでした。
ワタクシは後醍醐天皇を支え、鎌倉幕府を滅ぼす際に大活躍した楠木正成が出自した大阪府千早赤阪村に
ほど近い場所に暮らしているので、建武の新政ってどこかなじみ深さを感じるんですよ。
結城神社に着くと、境内はさほど多くの人で溢れているわけではありませんでした。
というのも、まだ梅は三分~四分咲きという感じで、地元の人は満開が近づくと参拝に来るのでしょう。
とは言え、梅の花の淡い色合いには心惹かれます。春というと「柔らかさ」「暖かさ」「穏やかさ」という言葉を
ワタクシは連想するのですが、最近は春でも強い日差しの日もあり、イメージは変わりつつありますね。
ましてや今年の2月は異常なまでの暖かさが続き、「柔かな春の日」が少ないような気がします。
最近は四季の移ろいも変わってきましたね。
まだ蝋梅の花が残っていました。蝋梅には青空が似合うのですが、ちょっと雲が多かったんです。
春になって花見で愛でる花といえばもちろん桜のことですね。
言うまでもなく桜は日本人に古くから愛されてきた花であり、春を象徴する花です。
でも、実は奈良時代は桜より好かれた花があったんですよ。
それは梅です。奈良時代の花鑑賞といえば、梅をさしていました。
貴族たちの間では造園する際、梅を入れることが定番となっていたようです。
当時、日本は遣唐使を介した中国との交易が盛んでした。中国文化や中国の物品も多く日本に伝わり、
その中の1つに梅があったのです。香立つその花は珍重され、桜よりも人気があったんですね。
使用したカメラ:FUJIFILM X-T30
ちなみに、平安時代になると花といえば「梅」ではなく「桜」を指すようになっていきました。
そのきっかけは遣唐使が廃止されたことにより、中国の文化や風習が日本に伝わることがなくなり、
日本独自の文化、風習が生まれていったからなんです。花一つをとっても、歴史というのは面白いです。
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今日も風が強く寒い一日でした。
しかし、日毎に春めいてきているのは感じます。
三重県は、浜松から遠く感じ、意外と行ってないのですよ。たぶん数えて数回しかないと😓
そろそろ小伊勢さん参りもやりたいのですか。
神社に梅の花がよく似合いますね。
ここ結城神社にも梅の花が咲いていたのですね。
白梅、紅梅、とてもきれいです。
万葉集でも桜より梅を詠む歌が多いそうですね。
そうそうここは梅どころ。
今が盛りとばかりに魅せてくれてて、
たいへんよかったではありせんか。
ここは前一度尋ねてましたが、
もう長い事行ってなんくて懐かしくて、
それも今も拝見したところでした。🤩
ぽち
奈良時代は、桜ではなく梅~。
遣唐使の廃止により、梅から桜へ。
勉強になります。
あまり人も多くなく、いい感じで
梅見ができましたね♪
凸
3,4分咲きでも、とても綺麗です
花見と言えば、奈良時代は梅の花
平安時代の桜になったのですね
また一つ勉強しました(^^)v
梅の花には可愛らしさも感じます
ブロ友さんが良く載せていたので
名前は知っていました
そうですね、花と言ったら梅の花という時代がありましたね
💻コメントや応援👍を有難う御座いました。感謝&✌で~す!
@☺@今日も「結城神社~の🌺・花」を見せて貰い素敵でした!👍&👏のブログですネ!
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🎥を見て頂いた感想コメントも宜しくお願いします。
🔶お互いに今日も元気で頑張りましょ~👋・👋!
親しみを感じます。
今一度建武の新政の勉強をしてみます。
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こちらでも梅の花を
よく目にするようになりました。
梅の花が咲き始めると
春の兆しを感じささやかなときめきが…🎵
梅も桜もそれぞれの良さがありますね^^
☆