妄念の凡夫

日々是称名

「歳をとっても死にとうないのう」

2015-01-18 23:50:08 | 日記

 母がMRI検査を受けたというので、実家へ電話。

 昨秋から、右肩がピクピクと無意識に痙攣するようになったそうだ。正月帰ったときも、上下する肩を左手で押さえていた。

「脳に白い影が、ちょこちょこあるらしいわー」

「医者の先生の所見は?」

「もう歳やから(今年の9月で78)、脳神経の先生もなんちゃ、いわへんわ」

「リハビリのすすめは?」

「なんもいわん。薬くれただけ」

「あ、そう。じゃあ、薬ちゃんと飲みなよ。インスリンも毎回きちんと打つんやで。お母さんの歳になったら、インスリンの副作用より、打たんことのほうが怖いからな」

「わかったわ。真面目にインスリン打つわ。でも、ほんまに、歳をとっても死にとうないの……」

「そうやろう。だから、血糖はインスリン打ってちゃんとコントロールしいや」

「わかった、ありがとな。おまえも元気でな」

 ちょっとは、意欲がわいてきたようだ。私も、母と対話することで、生きる意欲をもらっている。

なんまんだぶ なんまんだぶ

 

 

 


2015年の正月

2015-01-07 23:40:11 | 日記

2日~5日まで実家へ帰省。事実上、独居老人となっている母へのご機嫌伺いである。

松山に単身赴任中の弟がちょくちょく帰って面倒を見ているが、基本的に母一人とイヌ1匹の所帯である。

半年前の夏に帰ったときと比べて、母は急速に耄碌していた。

日々の生活にやる気がない。衣食住すべてに関して無頓着になっている。台所や居間はゴミだらけ。水屋には、飲んだあと洗わずにカピカピになったコーヒーカップが入っていた。

もうちょっとしっかりしていたはずだったが……。

弟の嫁に嫌われてほとんど別居状態。父が他界してから早や16年。一人で日々を生きていくことに倦いてきたのか。

とはいえ、私も孫を連れてくることのない長男なので(子供がいないから)、母のずぼらさを一方的に責めることはできない。せめて帰省中は話し相手になってやろうと思ったが、あまりにも同じ繰り言が多いので、いつも通り適当に聞き流すことになる。

「聞いとんか?」

「あっ、ごめんごめん」

あと何回、母との正月が送れることだろう。これからますます母とのコミュニケーションが取りづらくなるであろうことは、十分に予想される。

『ペコロスの母に会いに行く』というマンガがあったっけ。他人事じゃないなー。

「仕事があるけん」ということで、今回も東京に舞い戻る。帰りの新幹線でふと「東京で暮らす意味あるんかいなー」と思ったりするが、新横浜あたりから「あー、帰ってきた−」と安堵感に包まれるのはなぜだろう。ホントに勝手やなー。