妄念の凡夫

日々是称名

慌てない慌てない、一休み、一休み

2016-10-23 12:13:06 | うんちく・小ネタ

今週の『開運! なんでも鑑定団』。

一休宗純の仮名書きの書、源氏物語・明石の巻に出てくる恋文の一節だという。

しなやかな仮名書きだが、銘はない。果たして……

なんと、真筆! 1000万円!

当時、人から依頼されて書くことも多かったらしい。銘を書かなかったのは、内容が自分の著作ではないからだろうということらしい。

めでたし、めでたし。

さて、そのとき一休さんの紹介で、なんで一休というのかを初めて知った。

一休と名のる前の宗純が、25歳のとき、琵琶法師の平家物語を聞き、「洞山三頓の棒」という中国の公案の真意を大悟する(なんでやの?)。

そのとき詠んだ歌が、

  有漏地より無漏地へ帰る 一休み

  雨ふらば降れ 風ふかば吹け

それを聞いた師匠の華叟より「一休」の道号を授かったのだそうだ。

 もともとが一休みなのではない、大悟したから一休みなのだ。

 それまでは有漏でしかなかった、それが無漏へ帰れる身になった。

 死ぬまでは、無漏の境地までのほんの一休み、ということを味わいたいものだ。


忘備録

2015-05-10 10:17:30 | うんちく・小ネタ

Cowards die many times before their deaths;

The valiant never taste of death but once.

臆病者は何度も死ぬが、

勇者は一度しか死なない。

 

Of all the wonders that I yet have heard.

It seems to me most strange that men should fear;

私はいままでいろんな不思議なことを聞いたが、最も変だと思うのは、

人々が死を恐れることだ。

 

Seeing that death, a necessary end,

Will come when it will come.

死、避けられない結末、それは来るときには来るのだ。

 

Julius Caesar by William Shakespeare 

 

 


もったいない

2012-10-01 00:35:14 | うんちく・小ネタ
 久米宏さんのpodcast「ラジオなんですけど」を聞いていたら、「もったいない」について話していた。
 北海道や秋田、富山あたりまでの北国では、「もったいない」のことを「いたましい」というらしい。
 何が痛ましいのか。
 「もったいない」を漢字つきで書くと「勿体ない」となる。では、「勿体」とは何か。
 Wikipediaで調べると、こうあった。


もったいない(勿体無い)とは、仏教用語の「物体(もったい)」を否定する語で、物の本来あるべき姿がなくなるのを惜しみ、嘆く気持ちを表している。



 久米さんも、本来あるべきさまが全うされないので痛ましい、という意味だと説明されていた。もともと仏教から来ていて、誰もが佛となるべき性質を備えているのにそうならないから痛ましいのだ、とも。流石、蘊蓄がある。
 ただ、そこで問題となるのは、本来あるべきさまを実体としてとらえるのは、仏教の大原則「諸行無常」「諸法無我」に反するのではないか、ということ。
 ググっていると浄土宗のホームページにぶち当たった。「勿体」まで分析しなければならないらしい。


「もったい」というのは、世の中の事々物々すべては、みな互いにもちつもたれつの関係でこそあれ、それ自身単独でわが本体とすべき存在ではない、という仏教の基本的な考えを示すもので、「体なし」すなわち「勿体」という漢字をあてるのである。逆にいえば「勿体」は事物のすべてが互いに多くの縁でつながっている状態を示し、「勿体ない」はその一端をつぶし汚す結果を招くところから出たわけである。

いわば「おかげ」を無視して万物のいのちを無駄にする心が「もったいない」に通じるのである。



 「勿体」の「勿」は「ない」という意味である(例:勿論)。つまり、「勿体ない」とは、「体がないことが、ない」という意味なのだ。縁起や空を台無しすすることだから、痛ましいのである。

むだな身に勿体なさの日永哉

           一茶 文化13(1616)年



「ふしだら」の語源

2012-07-24 02:07:39 | うんちく・小ネタ
 とある記事を読んでいて、「ふしだら」という単語が気になった。


ふしだら
[名・形動]
1 けじめがなく、だらしないこと。また、そのさま。「生活が―になる」
2 品行が悪いこと。身持ちが悪いこと。また、そのさま。「―な関係になる」
[補説]「しだら」は、音楽での手拍子とする説や、自堕落(じだらく)の音変化とする説などがある。
(デジタル大辞泉)



 「ふ」は否定の接頭語「不」でしょう。もちろん。

 では、「しだら」って??????……

 スペースキーを何回たたいても、うちのMacのAtokは変換してくれない。
 しょうがない、ネットでググるか。
 ありました。

 「しだら」とは、修多羅のことでつまり「Sutra(経)」の音が変化したものだそうな。
 「正信偈」にも出てきますね。


      天親菩薩造論説
      帰命無碍光如来
      依修多羅顕真実
      光闡横超大誓願


 インドでは、経文を「多羅葉(たらよう)」という葉っぱに書き留め、散逸しないように糸や紐などを通してまとめていた。もともとは、この糸や紐のことを「Sutra(修多羅)」といい、秩序よく束ねることを意味していた。したがって、秩序のない、だらしないさまのことを「不修多羅(ふしだら)」というようになったそうだ(「語源由来辞典」http://gogen-allguide.com/hu/fushidara.html)。

 流石ネット時代だねえ。なんでもわかっちゃう(わかったつもりになっちゃう)。「ふしだら」な思いつきが、「正信偈」にまでつながるとは。なんだか、恐縮してしまった。