妄念の凡夫

日々是称名

クルマバカ

2009-11-29 02:20:45 | 趣味
Rimg0002 自動車ディーラーの担当さんから熱心なお誘いを受け、栃木市にあるテストコースでの試乗会に参加した。「ハイエンド仕様のクルマに乗れますよ」という囁きにコロッとほだされ、わざわざ外環道→東北道と片道2時間かけ(高速代は3700円)、ガソリンも結構消費し、しかも有料のイベント(3500円也。記念品はいただいたけど)……。興味のない人からすると、ホントに時間と金と資源の無駄遣いもいいところだ。
 私が乗ったのは、Audi TT〝S〟 クーペ。2000CCエンジンのターボ過給に磨きをかけ、最大272馬力・トルク35.7kgm/2,500-5,000rpmという、まあ兎に角速く走るスポーツカーのハイエンド仕様(通常のTT クーペは最大200馬力)。
 しかし、試乗会のプログラムは至って真面目。あくまでも安全運転のためのカリキュラムだった。
(1)高速周回
 オーバルコースを高速でぐるぐる回り、直線コースではベタ踏みで時速150キロまで加速。その加速感を体で覚えようというもの。カーブのところはバンク角最大45度という急傾斜になっていたが、70キロで走っても全然平気だ。体が斜めっている怖さよりも、遠心力で路面に吸い付いている快感のほうが勝っていた。病みつきになりそう。
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(2)スラローム走行
 クネクネと続くヘアピンカーブをコースアウトせずに曲がりながら走る。これが結構苦手。ハンドル捌きの腕がもろに現れる。前を走るノーマル車のおじさんにかなり差をつけられてしまった。
(3)低ミュー路ブレーキング
 ミューとは、摩擦係数のことで、低ミュー路とは、「摩擦係数の低い道=スリップしまくりの道」のこと。路面に水をわざと撒いてすべりやすくしているコースの上を急加速→急ブレーキ(足をたたきつけるような)して、しかもステアリング切って障害物をよける! という限界状況の体験。これも結構むずかしかった。最近のブレーキ制御は不思議なもので、フルブレーキをかけたあとでもステアリングは切れる。つまり、曲がれるようにできてる。「だから、不意の障害物が目前に現れても、決して諦めずに危険回避に努めてください」とは、講師の方の弁。ありがとうございます。

 こんなテスト走行は初めてじゃないけど、10年ぶりかなあ。一見、時間と金の無駄遣いのような気がするが、運転の限界状況を体で知ることは、やってて損ではないと思う。貴重な体験でした。限界走行を体験したせいか、帰りの高速は比較的スムーズに運転できたと思う。

 そういえば、テストコースのある板東平野のど真ん中は、交通事故で死んだコバヤシの故郷だ。なんまんだぶつ。


言葉に出していう

2009-11-27 01:31:30 | 仏教
 久しぶりの真宗座談。
 やはり、仏法はナマの人の声にふれなければ伝わらない。もちろん文章も大事だが、生の声で聞くことで頭に直接響いてくる。「観想念仏より称名念仏」というのも、音で聞くことの重要性を意味している。
 しばらくナマの法から離れていると、いつの間にか懈怠・邪見・驕慢になっている我が身が露わになる。天狗になって合点したつもりで一杯の私の〝煤払い〟の場はやっぱり必要だ。

……このまま死んだら、地獄に堕ちると言われているけど、「なんとかなるんじゃないか」という気持ちがちょっとあるんです。


……何もかもも投げ出して、余計なことを考えずに称名しているつもりなのだけれど、まだスッキリしない。10年も聞いてきているのに。

……けっきょく自分の後生がよくわからない。そんな私を承知の上で、阿弥陀様は先手先手で待ってくださっているんですよね。後生がわかってから来いじゃないんですよね。そのまま来いとおっしゃってるんですよね。

……親を親とも思わないどころか、自分の欲のために親を利用しつくし、仏法や仏様を足蹴にしてきたと思うのだが、「だから何ですか~?」という感じしかしないんです。


 こういったナマの言い分に接することで、じゃあ私だったらどのように答えてあげればいいのか? を考えてみるのだが、なかなか名案が思い浮かばない。どん詰まりで苦しんでいる同行の方にどんな言葉で話せばよいのか? 自分の非力さを痛感する。天狗の鼻っ柱をへし折られたような気がする。

 疑ったままでいいから、兎に角念仏を称えなさい。信じられなくても「お前を救うぞ」とおっしゃっている仏の名を称えなさい。これしかないのだ。


始まりの始まりを問うこの私の行き先は?

2009-11-24 00:48:42 | 仏教
 八つになりし年、父に問ひて云はく、「仏は如何なるものにか候ふらん」と云ふ。父が云はく、「仏には、人の成りたるなり」と。また問ふ、「人は何として仏には成り候ふやらん」と。父また、「仏の教によりて成るなり」と答ふ。また問ふ、「教へ候ひける仏をば、何が教へ候ひける」と。また答ふ、「それもまた、先の仏の教によりて成り給ふなり」と。また問ふ、「その教へ始め候ひける、第一の仏は、如何なる仏にか候ひける」と云ふ時、父、「空よりや降りけん。土よりや湧きけん」と言ひて笑ふ。「問ひ詰められて、え答へずなり侍りつ」と、諸人に語りて興じき。(吉田兼好『徒然草』243段)


 かように「始まりはなにか」を問い詰めると、無限ループの穴の中に陥ってしまう。同様に、この話を「前世の私」に置き換えると、「前世の前世は?」「その前の前世は?」「その前の前の前世は?」……と、問いかけが終わらなくなってしまう。まさに無始よりこのかた迷い続けているのである。
 その迷いを断ち切っていただけるのが、阿弥陀仏のご本願である。
 念仏させていただくしかあるまい。
 なんまんだぶつ
 なんまんだぶつ
 なんまんだぶつ
 なんまんだぶつ


イヌバカ

2009-11-21 01:30:05 | ペット
 ゴンタを不注意で早死にさせてしまった無念は、いまも心に残っているが、イヌバカの性根は死ぬまで治らぬものらしい。大泉学園のペットショップでゴールデンの子犬がいるという情報をネットで見つけるや、いても立ってもたまらず、ウチに連れて帰ってしまったのは7月のこと。手足が太くてシロクマのようなので、NHKの番組で有名になった愛媛・とべ動物園のホッキョクグマにちなみ「ピース」と命名。もうすっかりでかくなったが、まだまだ子イヌ。こいつがやんちゃでやんちゃで……。異常に筋力が発達していて、ケージの枠に足指を引っかけてよじ昇る! あるときはてっぺんまで登って、モモンガのように飛び降りた! 恐るべし。ゴンタの息子であるルパンも暴れん坊だったが、さすがにこいつにはタジタジ。いっきに黄昏れたような老けぶりを醸し出している。まあ、新入りを家族として認めてやっているので、ルパンも大人になったのだろう。
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(写真上)怖いもの知らすのピース
(写真下)遠くを見つめるルパン


小沢一郎さんの仏教観

2009-11-17 23:52:17 | ニュース
「成仏するのは仏教だけ」小沢幹事長、改めて文明観披露

 民主党の小沢一郎幹事長が16日の記者会見で、仏教観と文明観を改めて披露した。
 10日に和歌山県の高野山金剛峯寺を訪れた際に、キリスト教を「排他的」「独善的」と指摘。これに対し、「日本キリスト教連合会」が「キリスト教に対する一面的理解に基づく、それこそ『排他的』で『独善的』な発言」と抗議文を送っている。
 これを受けて小沢氏は16日、「(仏教の世界観では)生きながら仏にもなれるし、死ねば皆、仏様。ほかの宗教で、みんな神様になれるところがあるか。根本的な宗教哲学と人生観の違いを述べた」と説明。さらに、エベレストに挑んだ登山家の「そこに山があるから」という発言を引用し「西洋文明は自然も人間のために存在する考え方。(エベレストの)地元では霊峰としてあがめられて、征服しようという考え方はアジア人にはほとんどない」と語り、西洋思想は人間中心だが、東洋思想は人間が自然の一部だと強調。最後は「僕も君も、死にゃ仏になれるんだ、だから」と締めくくった。
2009年11月17日2時9分(朝日新聞 asahi.com より)


 天下のasahi記者でもでもこの程度か? タイトル自体がヘン。仏になる(成仏する)教えなのだから仏教なのであって、キリスト教で成仏するのはヘンでしょう?
 キリスト教団体から抗議が寄せられたそうだが、真宗教団連合から抗議の声が上がってもよさそうなものだ。だって「死ねば皆、仏様」じゃないんだもの。また、小沢さんは仏様と神様をごっちゃにしているし。
 抗議を受けても撤回しない小沢さんの態度は、ある意味、信念があるといえるかも。でも、どこか石原完爾のような大日本帝国臣民の仏教観の臭いをそこに嗅ぎつけたのは、私だけじゃないだろう。王道楽土、八紘一宇、五族協和をかかげた満州国建設のスローガンは、事変成功の記念写真の後ろに掲げた大きなお題目によって推進された一面があり、そのあとの日中戦争や南方出兵によって、その独善的な押しつけ思想がどれだけ東アジアの人たちから嫌われたことか……。
 でも、誤解なきように。私は石原完爾を毛嫌いしてないし(なかなかの人間だったと思う)、今回の小沢発言自体も、いわゆる左翼的に批判するつもりなど毛頭ない。小沢さんも政治家なんだから、文明批判を述べるときはもう少し言葉を尽くしたらいかがでしょうか、ということです。いきなりキリスト教世界を批判しても、宣誓式でキリスト教の神に祈る国の軍隊を100年近く受け入れようという国なんだから、日本は。世界を動かしている欧米というのは、キリスト教的世界なんだから(ロシアも含めて)。政治の世界では相対的に考えないと。日本的宗教観は、世界では圧倒的少数派なのだから……。

 まあ、好意的に解釈すると「僕も君も、死にゃ仏になれるんだ、だから」というのを〝心底〟痛感しているのなら、頼もしいと思いますよ。小沢一郎という人は。
 まあ小沢さん、一足お先にお待ちしておりますよ(でも、小沢さんが彼岸に来られるのは、あと10億年以上かかるかもしれないけど)。

津田町神野(こうの)に田中半九郎と云える人、庄松に向かい、「さてさて困ったことには、耶蘇教(やそきょう)が入り込みかけた」と云えば、庄松の曰く、「耶蘇教が入り込んでも、凡夫が仏になるより上のことは来んぞ来んぞ」と云えり。(『庄松ありのまま記』54条)


《凡夫が仏になるより上のことは来んぞ》

なんまんだぶつ、なんまんだぶつ

↓結構おもしろかった。でも、結局は、歴史の憎まれ役・東条英機のほうが早く念仏称えたんですよね。

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