妄念の凡夫

日々是称名

騙した人が悪いのか? 騙された自分がバカなのか?

2014-10-25 00:50:42 | テレビ
 ビデオに録っておいた10月19日放送のNHKスペシャル『カラーでよみがえる東京~不死鳥都市の100年~』を見た。
 軍神・広瀬武夫中佐の銅像が戦後に引き倒されるシーンで挿入された、伊丹万作(伊丹十三の父)の言葉が印象的だった。
 その原文は結構長かった。青空文庫に収録されている。

 どうやら、「自由映画人集団」に名前を貸した伊丹氏が、文化運動のために賛同しただけなのに、映画界の戦犯追放のために利用されたことに対して憤慨し、脱退を申し出ている文章である。
 この文章の白眉は、「現在の日本に必要なことは、まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱な自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである。」というところであろう。

 仏教の「自灯明、法灯明(自州、法州)」に通じるなあ、と思った。

↓リンクはこちら。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000231/files/43873_23111.html
『戦争責任者の問題』(伊丹万作)

以下抜粋。

・いうまでもなく、これは無計画な癲狂戦争の必然の結果として、国民同士が相互に苦しめ合うことなしには生きて行けない状態に追い込まれてしまつたためにほかならぬのである。

・だまされたということは、不正者による被害を意味するが、しかしだまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはないのである。だまされたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。
 しかも、だまされたもの必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、私はさらに進んで、「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」ことを主張したいのである。

・そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。

・「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。
 一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない。この意味から戦犯者の追求ということもむろん重要ではあるが、それ以上に現在の日本に必要なことは、まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱な自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである。

・こうして私のような性質のものは、まず自己反省の方面に思考を奪われることが急であつて、だました側の責任を追求する仕事には必ずしも同様の興味が持てないのである。





臨死体験も脳の仕業

2014-09-15 23:21:43 | テレビ
 9月14日放送のNHKスペシャル『臨死体験 立花隆 思索ドキュメント 死ぬとき心はどうなるのか』を見た。
 死から生還した人々が次々に証言する「臨死体験」。幽体離脱や神秘体験(光の輪のような神々しいイメージに邂逅する)などは、脳神経科学で説明できるようになったという。
 心肺停止後、すぐになくなると思っていた脳の働きが、実はしばらく残っていて、微細な脳波を発していること。脳は、ウソの記憶を現実と思い込むこと(ファルスメモリー)。意識は脳の特定の部位にあるのではなく、蜘蛛の巣のようにニューロンの回路がつながった状態のことではないかということ。死の直後に脳の辺縁系からエンドルフィンが多量に放出されて、幸せな気持ちが高まるのではないかということ……これらから、臨死体験は脳の生理学的反応ではないかという可能性が、かなり高くなってきている。
 しかしながら、そのような現象を自分がどう受け取るのかは、科学の問題ではない。
 番組に登場した研究者の奥さんが脳腫瘍を抱えて死を待つのみ、という状態が放送された。その奥さんは敬虔なカトリックだそうだが、脳生理学者の夫はひたすら妻の不安を取り除くような言葉をかけ続け、甲斐甲斐しく妻の不安に向き合っていた。「どのようなしくみで現象が起こるのかを解明するのは科学の役割だが、なぜそのしくみがあるのかを解明するのは科学の役割ではない」という言葉が印象に残る。その奥さんは、番組が放映される前に亡くなったという。
 立花さん自身も、ガンの再発を経験し、残された命が残り少ないことを自覚している。20年前から取り組んだ謎が、かなり納得できるところまできたという満足げな表情をされていた。
 番組の最後で、死後に心はあるのかというテーマで、死後はあると転向した脳生理学者と再開し、対談していたが、結論は出なかった。当然である。それは、自身の問題だからだ。
 臨死体験者にべらべら喋らせてお茶を濁して終わりだろ……と思っていたが、予想に反して視聴後にさわやかな感覚が残る、いい番組構成だったと思う。

自己の確立、他者への関わり

2014-07-27 19:18:02 | テレビ
 録画しておいたNHK・Eテレ『日本人は何をめざしてきたのか 第4回 司馬遼太郎』を、翌日曜の夕方に見た。
 亡くなって18年。つい先日のことのように思えるのだが、時間はあっという間に過ぎていた。しかし、司馬さんが最後まで持っていた問題意識は、いまなお、これからも私に必要な指針なのだった。
 番組の最後に、親交のあった上田正昭・京都大学名誉教授が述べた言葉が印象に残った。

「……やさしい人間になれ、人の痛みのわかる人間いなれ、いたわりを知れ、この3つが人間として大事だと強調している。
 それだけであれば、私は感動しない。
 『訓練しなければそういう人間になれない』と書いている。……訓練しなければ、自然のままではそういう人間にはなれない。やさしい人間になるためには訓練しなきゃいかん。他人の傷みが分かる人間になるためにも、訓練がいる。もちろん、自分で考え、自分を見つめ、他人をよく知るということです。その訓練をしなければ、そういう人間にはなれない。どうかそういう人間になってほしいという思いを込めた……」

 まさに、菩薩道ではないか。
 常々、私は紋切り型で人物評をしがちだったので、恥ずかしくなってしまった。

 以下は、『二十一世紀を生きる君たちへ』(司馬遼太郎)から引用。

さて、君たち自身のことである。
(前略)
 君たちは、いつの時代でもそうであったように、自己を確立せねばならない。
--自分にきびしく、相手にはやさしく。
という自己を。
そして、すなおでかしこい自己を。

 二十一世紀においては、特にそのことが重要である。

 二十一世紀にあっては、科学と技術がもっと発達するだろう。科学・技術が、こう水のように人間をのみこんでしまってはならない。川の水を正しく流すように、君たちのしっかりした自己が、科学と技術を支配し、よい方向に持っていってほしいのである。

 右において、私は「自己」ということをしきりに言った。自己といっても、自己中心におちいってはならない。
人間は助け合って生きているのである。

 私は、人という文字を見るとき、しばしば感動する。ななめの画がたがいに支え合って、構成されているのである。
 そのことでも分かるように、人間は、社会をつくって生きている。社会とは、支え合う仕組みということである。
 原始時代の社会は小さかった。家族を中心とした社会だった。それがしだいに大きな社会になり、今は、国家と世界という社会をつくり、たがいが助け合いながら生きているのである。
 自然物としての人間は、決して孤立して生きられるようにはつくられていない。

 このため、助け合う、ということが、人間にとって、大きな道徳になっている。
 助け合うという気持ちや行動のもとのもとは、いたわりという感情である。
 他人の痛みを感じることと言ってもいい。
 やさしさと言いかえてもいい。
「いたわり」
「他人の痛みを感じること」
「やさしさ」
 みな似たような言葉である。
 この三つの言葉は、もともと一つの根から出ているのである。

 根といっても、本能ではない。だから、私たちは訓練をしてそれを身につけねばならないのである。
 その訓練とは、簡単なことである。例えば、友達がころぶ。ああ痛かったろうな、と感じる気持ちを、そのつど自分の中でつくりあげていきさえすればよい。
 この根っこの感情が、自分の中でしっかり根づいていけば、他民族へのいたわりという気持ちもわき出てくる。

 君たちさえ、そういう自己をつくっていけば、二十一世紀は人類が仲よしで暮らせる時代になるにちがいない。
(後略)






自分探し

2012-04-10 08:38:18 | テレビ
自分探しなんか止めたらええねん。
なんぼ追いかけたって、自分の背中は絶対見えへんねん。
そんなんやったら、店でキンチョール探すほうが絶対ええねん。
おっちゃん最近、先週かな、そんなこと気づいたんや。(松本人志)


蓋し名言。


韓流αで『私の期限は49日』放映中!

2011-10-30 20:14:45 | テレビ
 10月25日から関東ローカルでしょうが、フジテレビで『私の期限は49日』が始まっているようです。
 いいドラマなので、是非見てください。

 ヒル2時8分ぐらい~3時、フジテレビ・韓流αの枠です。
 
 演技的には善徳女王をやってたイ・ヨウォン(ソン・イギョン役)がいいのですが、ストーリー的にはナム・ギュリ(シン・ジヒョン役)のほうが感情移入しやすいです(私、男なんですけど、人間一般として)。

 チョン・イルが演じるスケジューラー役もいいところいってます。