妄念の凡夫

日々是称名

不忍池と湯島のガス灯

2013-11-30 01:27:34 | 日記・エッセイ・コラム
Dsc_0105_2Dsc_0113 デジタル一眼カメラを職場で購入したので、写真の練習に不忍池へ。上野の紅葉ももう終わりで、かなり落葉している。池に生い茂っていたススキや蓮もみな枯れていて、すぐ曇りがちになる空とあわせて更けゆく秋を感じさせる(いや、もう冬か)。
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 水面に目をやると、枯れて茶色くなった蓮の花托がたくさんゴロゴロと落ちていた。その隙間をヒョコヒョコと泳いでいく、これまた茶色い鳥(鴨か雁か、私は区別がつかない)。澱んだ汚い池の水でよく泳いでいられるなあ、と思ったが、いやフレーミングによっては、前衛的な日本画のように見えなくもないのでパチリ。案外いい写真が取れたカモ。
 帰りは湯島天神を通ることにした。男坂を昇るとガス灯が一つだけある。
 ♪湯島通れば思い出す~小蔦・主税の心意気~♪ で有名な「湯島の白梅」の三番にも出てくるそうだ。
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数の問題には非ず

2013-11-18 00:11:34 | 仏教
法然上人ご法語ブログ」より、勝手に現代語訳

前篇 第16 他力念佛 勅伝第21巻


 念佛の数を多く申すものをば自力をはげむという事、是れまたものも覚えずあさましき僻事なり。



 数多く念仏申す者を「自力を励んでいる」ということ、これまた道理のわかっていない浅ましい間違いです。


 ただ一念二念をとなうとも、自力の心ならん人は、自力の念佛とすべし。



 ただ一つの念仏、二つの念仏を称えても、自力の心で称えようという人は、自力の念仏とすべきなのです。


 千遍万遍をとなえ、百日千日、よるひるはげみつとむとも、偏に願力をたのみ、他力をあおぎたらん人の念佛は、声々念々、しかしながら他力の念佛にてあるべし。



 千回万回念仏を称え、百日千日、夜昼励んで念仏につとめても、ひとえに阿弥陀仏の本願力をたのみ、その本願力を仰いでいこうとする人の念仏は、その一声一声の念仏が、しかしながら阿弥陀仏から回向された本願他力の念仏であるはずなのです。


 されば三心をおこしたる人の念佛は、日々夜々、時々尅々に唱うれども、しかしながら願力を仰ぎ、他力をたのみたる心にて唱え居たれば、かけてもふれても自力の念佛とはいうべからず。



 ですから、至誠心・深信・回向発願心の心を起こした人の念仏は、昼も夜も、時時刻刻に唱えても、しかしながら阿弥陀仏の本願力を仰ぎ、その本願力をたのんだ心で称えているのであれば、けっしてそれを自力の念仏というべきではありません。


『白い道』(三國連太郎・著)を読了

2013-11-16 00:03:56 | 仏教
 30年前に映画化されたが、その当時は思想的にうちひしがれていたので、「どうせ見たところで……」ということで映画は見ていない。
 いまや文庫でも新刊での入手は難しく、Amazonから中古本で取り寄せたところ、上が毎日新聞社刊の単行本(消費税の表示がない! 古る~)、中と下が講談社文庫と不揃いになった。
 じわじわと始まるが、終わりに近づくにつれてなんだか散漫……。ええっー、これで終わりなのーという尻切れトンボ。肝心の御開山聖人の話が少なすぎるやん(そうなった理由は、著者のあとがきに記されているが)。
 ともあれ、子どものころ、山口百恵の赤いシリーズに出ていた白髪のじいちゃんに、女性以外でこんな遍歴があったとは。
 書かれた70年代のバイアスがかかっているような気がするが、リアルな祖師像を書こうとした強い意思が見受けられる。大原問答はのちの浄土宗の創作だと推理しているし、恵心尼文書が明治になって発見されたのには人意的なものを感じると述べている。第一、範宴(聖人の得度時の名前)の出自は貴族ではなく、被差別民であるとしている。当時の比叡山のボス慈円との関係もそんなたいそうなもんではないらしいことが覗える。
 絵伝や各地に残る逸話をそぎ落とし、聖人の実像に迫ろうとしたのだろう。でも、九条兼実の娘(中宮・任子)との逢瀬の描写に関してはいただけない。それで生まれたのが善鸞さんやなんて。それ、まるで三國さんの実生活やん。佐藤浩市さんとの関係を彷彿とさせますな。
 これが書かれた時点で三國さんが念仏を喜ばれておられないことは、文章を読んでわかる(以後はわからないが)。この小説から読み取れるのは、ただただ、差別と艱難辛苦の民の中に溶け込んでいった泥臭い聖僧の姿でしかないのである。
 『教行信証』の序文が好きだと仰っている割には、聖人の回心体験が小説には全く反映されていない。
 時代考証や文献上の教学に関してはかなり細かいところまで描写していて、大河ドラマ「平清盛」みたいな埃っぽい匂いがプンプンするのに、浄土信仰に関しては、地獄一定の凡夫の嘆きしか出てこないのだ。高度成長時代の文化人が捕らえていた〝反骨の聖・親鸞〟というステレオタイプの域から脱していない。映画ともども未完で終わっているのは甚だ残念である。


●上中下を揃えるのは難しいと思います。

白い道―法然・親鸞とその時代〈上〉 (講談社文庫)白い道―法然・親鸞とその時代〈上〉 (講談社文庫)
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『リンカーン』と『声をかくす人』

2013-11-10 21:05:49 | 映画
 DVDを2本、続けて見た。
 1本目は、リンカーンが、奴隷制を認めない合衆国憲法修正案を可決するために、議会工作に苦労した話。
 2本目は、リンカーン暗殺の共謀犯とされた下宿屋の女主人、メアリー・サラットが無実なのに政治的思惑から処刑される話。

 どちらにも共通するのは、「政治」ということ。「正義」(Justice)すら、政治の力でどうにでも変化する、ということ。その政治すら、そのときどきの状況でいかようにも変わるということ。

 奴隷解放宣言を出しながらネイティブアメリカン(インディアン)には情け容赦のなかった大統領は、偏狭な南部シンパの白人俳優に殺され、その犯人のアジトだった宿屋の女主人は息子をかばい神に祈りながらも絞首刑となる……個々の悲劇を踏み潰しながら、歴史は淡々と変わっていくのみ。




●スピルバーグは勧善懲悪主義者なのか?


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●価値判断をこちらに委ねるロバート・レッドフォードには好感が持てる

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