理恵子は、親友の奈津子さんの言う通り、進学のため遠く離れる織田君との交際も、これからは自由に出来なくなると考えると、心の中に穴があいた虚しいような心境で、自分の部屋に入るとベットに横たわり腕枕をして壁に貼られた織田君の写真を見つめながら心の整理をした。
思いを巡らせながらも、昼間、飯豊山麓のスキー場で思いっきり滑り、静寂な雪に囲まれた窪地の中で考えた様に、この際、織田君の勉学に迷惑にならないためにも、また、自分自身の自立のためにも、自然な形で別れることがベターだと彼女なりに決心した。
心が決まるとベットから起き上がり、早速、壁に貼られていた彼のユニホーム姿の写真をはずし、これまでに勉強を教えてくれたときに彼が書いたノート類やプレゼントされた各種のマスコット等を、小さな木箱に丁寧に仕舞うと部屋の棚の奥にしまいこんだ。
そのあと机にむかい、雪椿の薄い模様が印刷された便箋に、文案を深く慎重に考えることもなく、頭の中をよぎる想い出と、その時々に感じた余韻で胸が詰まりながらも、思いつくままに一気にペンを走らせ、頬に流れる涙をタオルでしきりに拭いながら、別れの手紙をしたためた。
織田君に手紙を書くなんてことは、いままでに一度もなく、書きながら自分でも妙な気持ちになった。
『織田君、大学合格おめでとう。 君の合格が何故か自分のことの様にうれしいです。
けれども、目出度い合格にもかかわらず、これが私達のお別れになるなんて、人の運命はなんと皮肉なんでしょうねぇ。
昨日、奈津子さんや江梨子ちゃん達とスキーに行き、冷たい雪にまみれて冷静に君との今後の交際を考えた末、色々迷いや悩み、それに人に言っても理解してもらえない寂しさを全て承知の上で、君とのお別れを自分一人で考えた末の結論なのです。 いまも寂寞感で心が潰されそうです。
それでも、わたしが決意した理由は、奈津子さんが「恋人の卒業とお別れは、自分達が一人歩きする第一歩でもあるので、全て前向きに考えて頑張りましょうよ」との一言で目覚めたからです。
人前をはばからずに、春の陽差しの中で、大声で君の野球を応援をして、あとで君に恥ずかしいからこれからはやめてくれと、笑いながら怒られたこと(本当は、嬉しかったのでしょう~、本心はどうだったの?)
夏休みに、わたしの家族と飯豊山麓の奥深い温泉に旅行したとき、靄のかかる夕暮れ時に散歩に出た際、ゴウゴウと音をたてて流れる渓谷にかかる高い吊り橋の上で、揺れて怖がるわたしを君の太く逞しい両腕で私を包み込む様に抱擁して、さりげなくキスをしてくれたとき、わたし、文章ではとても表現できない、身が崩れ落ちるような生まれて初めての感動を覚えたわ。
想い起こせば数えきれない程の楽しい想い出を残してくれ、わたしが女性として確実に成長していることを自覚させてくれた君に、お別れの寂しさがあるとわいえ、感謝の気持ちで胸が一杯です。
どうか、東京に行かれても、都会の若くて綺麗なチョウチョに手を握られないようにくれぐれも注意してね(半分はやきもちかもしれませんが、本当に心配しております(フフッ)君ならば大丈夫と思っておりますが・・。
心に湧き出る想い出と感動をそのままに書きとめましたが、本当に有難うございました。
お体には気をつけてくださいね。 理恵子より 』
と、書き終えると、母親の鏡台から一寸拝借した薄い口紅を唇に塗り、自分の名前の下に軽くキスのサインをして、白い封筒に入れて宛名をかかず糊ずけして、機会をみて渡すべく机にしまいこんだ。
まだ二人は蒼いときに巡り逢い、蒼いままに恋をしたが、心ならずも別離を心に誓う悲しみを、窓越しの雲間に見え隠れする早春の朧月に向かい、亡き母を偲び、涙目で「これからも、わたしを見守ってくださいね」と手をあわせて祈った。 月も泣いている様に見えた。
居間に戻ると、節子母さんは一人で針仕事をしていたが、その脇に座り炬燵に入った。 彼女は理恵子の表情から胸中は充分過ぎるほど、自身の若き日の経験から察しがつき、顔を見ずに「人の前では泣かないことよ」と言いながら熱い紅茶をいれてくれた。