《 おことわり: 今日の記事は必然的にムスメ自慢になりますので、ご興味ない方はスルーして下さいね 》
レスター大学で3年間 English Literature を学んだムスメ。
(卒業後はどうするつもりなんだろ。学校の先生にでもなるのかな?)などと思っていたら、卒業を控えた2017年3月頃、
「あと一年、ジャーナリズムを学びたいんだけど・・・いいかな?」と言ってきました。
それはまぁいいけど、一人っ子だから親としてできるかぎりサポートするけど・・・競争の激しい分野だろうし、
「卒業後就職できる見込みはあるの?」と、気になって訊いてみました。
「うん、皆それぞれ適当なところに採用されていくから、就職率はほぼ100%みたいよ」と。
そんなうまい話、本当にあるのぉ~???と訝りつつも、あと一年だけキングストン大学に通わせてやることにしました。
『人間、やりたい仕事に就くのが一番幸せだし一番延びる』という考えで、オットーと私の意見は一致していましたから。
願書を提出し、スカイプでビデオ面接し、めでたく入学を許可され、2017年9月、キングストンに引越し。
のんびりまったりだったレスター大学とは対照的に、キングストン大学のコースはスパルタでした。
2017年11月半ば頃の、試験を控えたムスメと私のやりとりです。
試験を終えた週末はムスメ、友達に会いにレスターに行くことになっていました
(* 講師のサムさんをはじめ、出てくる人は皆仮名です。*)
そして届いた、ムスメからの試験結果報告
「ここ10年間に見たうちでトップ3に入る出来」って!やったねムスメ!!
12月になり職場実習が始まったムスメは、兼業講師サムさんのもうひとつの職場である日刊全国紙のオフィスで
働かせてもらえることになりました。テムズ川を挟んでザ・シャードの対岸にあるオフィスです。
まもなくムスメが書いた記事が定期的に新聞に載るようになり、私は
(まだ学生なのに?この新聞社、よほどの人手不足!?)と当惑しつつも誇らしかったです。
ムスメ、春にはジャーナリズムの “Postgraduate of the Year” に選ばれ、トロフィーを獲得
12月の職場実習は2週間でしたが、2週目からは賃金をいただけるようになり、その後も続けて定期的にシフトをもらえるようになり、
大学の勉強と新聞社での仕事を両立させながら一年のコースを終えました。
大学の寮を出なければならなくなり、8月末に私が手伝って、手頃な部屋が見つかるまで私の友人の母君シーラのお宅に
しかし9月半ば、ムスメが働かせてもらっていた編集部で、以前から噂されていた大幅な人員整理が行われることに!
フリーランスとして働いていたムスメは、簡単に整理の対象になり得ました。
なぜかムスメには解雇のお達しが来ませんでしたが、「たとえクビを切られても、ロンドンの方が仕事が見つけやすいから」と、
変わらずフリーランスとして同じオフィスで働きながら、部屋探しを続行。 しかし上の通達の翌日、職場のジョン先輩から、
「正規採用ではないけれどフルタイムのポストをオファーできるよ?
ナイト・シフト(午後4時から11時まで)が週4日、デイ・シフト(午前10時から午後6時まで)が週1日だから
ナイト・シフトが好きでないなら引き受けたくないかもしれないけど。興味があったらキース(上司)か僕に教えて」
と、ムスメの窮地を救うありがたいお申し出をいただきました。
ムスメはこのお申し出をありがたく受け入れ、シーラのお宅から列車通勤して週4夜勤と1日勤をこなしました。
夜勤の帰りはシーラ宅への最寄駅到着は真夜中過ぎになるため、タクシーを使うようきつく申し渡しました。
たかが£5程度をケチって何かあったらはじまらない! (参: おしかけ居候)
この人員整理の結果、フリーランスのうち『キープしておきたい』と思われたごく少数の人々のみが正式採用され、
それ以外は全員が去っていったそうです。
大学最後の “プロジェクト” (卒論のこと?)は9月末までに提出すればいいそうで、ムスメは9月に入ってからようやく仕上げました。
79ページって・・・ いったい何を書いたのやら・・・
2日後、仕事に遅れそうなのでサムさんに連絡したら、ちょうど今ムスメのプロジェクトを読んだというサムさん、
「グレートだ。上出来。」
ムスメはサムさんに「おとなし過ぎる」と重ねて言われてきたそうですが、「もう二度と言わないよ。キースは正しかった。」
後日ムスメに「『キースは正しかった』ってどういう意味?」と訊いたら、キースさんは前に
「おとなしくて悪いことはひとつもない」と言ったのだそうです。
10月半ば、サムさんからより詳細な評価が送られてきました。
「もう10年以上もこれほどの出来を見ていない。深みに落とされた君は、泳ぎ、すべてに耐え、
人としてジャーナリストとして大きく成長した。君が残した業績のすべてを誇りに思う。
もう二度と『おとなし過ぎる』なんて言わないよ。」
・・・賛辞の羅列 ムスメを鍛え導いてくれたサムさんに感謝!
10月末近く、上司のキースさんからメッセージが届きました。
「スポーツ・レポーター(嘘です)を募集しているから応募してみたらどう?できれば君にこの仕事を得て欲しいんだ。
君はスポーツ・レポーターに向いていると思うし、この仕事を得れば正規採用だから首を切られる心配もなくなる。
興味があったら履歴書にレターを添えて僕に送って。年棒は少なくとも1万5千ポンドにはなると思うよ」
ムスメは上司キースさんのアドバイスに従い、スポーツ・レポーターの仕事に応募しました。
ちょうどその頃手頃な部屋がカナリー・ワーフから徒歩圏内に見つかり、スティーヴの助けを借りて、
11月11日(日)に無事引越し。
11月18日(日)の23歳の誕生日は、レスターから来てくれた友人たちとお祝い。そしてその翌日ムスメから・・・
「採用になったよ!! 年棒は1万8千ポンド」 という喜ばしいメッセージが入りました!
(年棒1万5千ポンドや1万8千ポンドはウソです、これじゃロンドンでは暮らせません)
ムスメは「新卒の私のことは安めの年棒で雇えるから、その点で有利だったのかも」と分析していました。
11月末には、ジャーナリズムの詳細な成績評価が舞い込みました。
めでたく正規雇用されレポーターとして働き始めたムスメは、その後
「メイ首相の会見の取材に行ったよ!」 のメッセージとともに、こんな画像を送ってきました。
その晩のニュースを録画し、ムスメが送ってきた画像を手がかりにムスメを探してみた親バカ夫婦。
「あの頭は、もしかして!?」
ムスメに訊いてみたら、「そうだよ、あれ私!」
オットーだって私だって、首相にあれほど近づいたことはないのに。でかしたムスメ!
(って、べつに首相に近づきたいと思ったこともないですが )
その晩、会見の内容を記事にまとめて上司のキースさんに送ったところ、大絶賛の返信が返ってきたそうです。
翌日出社したらキースさん、わざわざムスメのところまで来て「素晴らしい出来だった、ありがとう!」と言ってくれたそうです。
そして迎えた、今月11日(金)の卒業式。
ムスメは最高成績である Pass with Distinction を獲得しました。
大学とか大学院の成績評価についてはちんぷんかんぷんなので、ネットから集めた説明を貼っておきます。
素晴らしい成績で大学院を卒業したうえ、好きな仕事にまで就けたムスメ。本当によかった。
私の娘にしては、アタマ良過ぎ。まさか病院で取り違えられた!? ・・・なんてことはないでしょう。
パタリロみたいなあの下ぶくれの顔形(ムスメにはナイショね)は、私からの遺伝でしかあり得ませんから。
私は努力嫌いのナマケモノだから、アタマはやっぱり、オットーからの遺伝だろうな!
認めざるを得ません。
「仕事が見つからない、お金もない、ロンドンで暮らせないから迎えに来て~」なんて言われたらどうしようかと思ってました。
ここダーズリーに戻って来られても、こんな眠ったような田舎町にはロンドン以上に仕事ないし!
でもこれで、ようやく本当に、親としての責任が果たせました。
あとはしっかりと自分の足で、自分の人生を歩んでいってくれますように。
頑張ってね、ムスメ
正直、ほとんど期待せずに。
なのでちゃんと仕事に就けてくれ、心底ホッとしています。
今度は親の私たちの番。
一人っ子のムスメに迷惑をかけずに終われるよう、頑張らねば!
それは自慢していいですよー。すごいです。
よっぽど優秀じゃないと学生のうちから働くことも、そのまま続けることも難しいでしょう。
素晴らしいですね。
親としてもとっても誇りに思うでしょう。
私も応援していますよ。
新米ジャーナリストさん、頑張ってくださいね!!!