here and now

子育て

暑い夏

年の差

1歳1か月の

兄弟の子育てを

日々がんばっている娘です。


親元を離れ

都会の暮らし

夫や友人の助け

行政のサービスを受けて

たくましいおかあちゃんやってます。


がんばらないとやれないけれど

がんばり過ぎない。



実は、娘も私も

一人っ子です。

だから

ふたりの兄弟まごの成長の一つひとつが

新鮮な驚きです。



前々回のブログに書きましたように

私の母は

愛されない悲しみを

幼い自分に隠しながら

大人になりました。


幼子であれば

当然に持ってもよかった

幼い時に許されるはずの

自己中心的な思いを

受け容れられずに


無意識の中に

甘えを隠して

大人になったものだから


私の母が

母親になった時



どうしても

幼い私のわがままを

受け容れることができなかったのです。


母は、常に

「おまえはなんとわがままな人間なのだ」と

私を責めました。



母は、後妻として

嫁いだ自分の母親の立場を思い

幼子らしいわがままを

懸命に抑えることで

乗り越えた人です。


しかし

幼い時にじゅうぶんに

甘やかされずに大人になった

人間は

もろいものです。


母は、自身の

子どもらしいわがままを

私に投影して

激しく私を責めました。



甘えを受け容れてもらえない私は

いつまでも

わかってもらえるまで

母に訴え続けました。


母は、私のことを

「おまえは蛇のように執念深い」と申しました。


私は、執念深い自分を恥じ

反省し

なんとか立派な大人になりたいと

努力をいたしました。


5歳の時に通ったキリスト教の幼稚園で

私は、罪を悔い改め

光の子らしく歩むこと

父と母を敬うことを

こころに誓いました。



  *  *  *



私が、小学生の頃だったでしょうか

一度、母に尋ねたことがあります。


「どうして私にきょうだいを産んでくれなかったの?」と

母は、責められたと思ったのでしょうか・・・。


「おまえが小さいころに

きょうだいなんかいらないと

自分から言ったじゃないか

おまえは、もし弟か妹が産まれたら

殺してやるからねと言ったじゃぁないか」と。



なるほど

私には

そう申した覚えがありました。

己のやきもちを恥じ

なんとか立派な人間になりたいものよと

がんばってまいりましたが

がんばったからとて

がまんしたからとて

決して立派になれるものではございません。



私も

ひとりしか

子どもを育てることができませんでしたけれど。



娘は、

ありのままの自分に気づき

それを受け容れる

勇気と愛を

こころに育ててくれました。





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