here and now

自分を受け入れる器が。

こころの病気を持っていたり

生き辛さを感じている方の中には

親に対する

複雑な思いを抱えている方が多くおられます。

 

 

私は、そんなみなさんの親に対する

こころの叫びを聴かせていただくことが

得意ですし、好きなほうです。

「こんなにも私の気持ちをわかってもらえたのは

あなたがはじめて!ありがとう!

どうしてわかるんですか?」

と、返されたりすることがあります。

 

 

私自身は、親については、あまり語らないように気をつけています。

周囲の反応がこわいからです。

でも、時々、ふっと、誰かにわかってほしいと

さびしい気持ちに襲われることがあります。

 

エンカウンターグループとかワークショップとか呼ばれていて

自由に自分の気持ちを表現できる場所があります。

そこで語られる私の話には

人として醜い部分や聴き辛い部分が

多く含まれているので、反応は、様々です。

 

そんなに過去ばかり見つめていてはいけない。

「いま、ここ」のことを考えなさいと諭されたり。

こういうタイプ(つまり、失愛恐怖)の人の話を

聴くのが、「いちばんしんどいんだよ」と反応されたり。

 

実は、そんなことは、私だって、わかっています。

ただ、どうすれば治るかわからないから悩んでいるのです。

答えは、自分で、苦しんで、見つけるしかありません。

 

あるワークのグループで、私が話し始めたら

ファシリテーターの先生が、腕枕をして、寝ころんでしまわれました。

過去の話を繰り返す私の話はつまらないと態度で示されたのかな?

そろそろ話をまとめて切り上げようと思った時

子どもさんのことで悩んでおられるひとりのメンバーが

「私、これ以上話を聴いておられません。

気分が悪くなったので、出て行きます。」

とおっしゃって部屋を出て行かれました。

私は、場の空気を読めずに、自分の話しを続けてしまった

自分を反省して、話をすることをやめました。

しばらく沈黙が続いた後に、他のメンバーが別の話をはじめました。

内容は、弱い立場の人を心配し、悲しみ、痛みを感じているというお話でした。

もらい泣きを始める人もおりました。

やはり自分のことで悩んでる私は、レベルが低いのかな?

と、こころの中で思い。

確認する勇気はありませんでした。

 

休憩時間になった時に

私の左隣におられる方にお尋ねしました。

「私の話、どう感じられました?」

「なんか、ものすごく冷たい家庭ね。氷みたいに。」っておっしゃいました。

私は、こころの中で、あなたが「氷みたい」と感じた家庭が

私にとっては、たった一つのだいじな家庭でもあるのだけれど。

と思ったけれど、言葉にできませんでした。

 

そして、右隣におられる方にも、同じ質問をしました。

その方ご自身、親御さんとの関係で、こころを病みながらも

がんばって生きておられる方でしたが。

その方は、「私は、別に、嫌な気持ちはしなかったよ。

むしろ、もっと聴きたいと思ったよ。」とおっしゃいました。

そのことばをお聞きして、うれしいと思ったけれど。

伝える勇気と自信も、ありませんでした。

 

 

私は、いつも話を聴ける人でありたい。

よき隣人でありたい。

と願いつつも・・・。

自分のこころの中の、ドロドロしたものを

扱いかねて、無気力な、うつ状態になることが

たびたびあります。

 

それでも、信じていることがあるんです。

 

自分自身を受け入れる器や

自分自身を許している器が

他の人を受け入れる器や

他の人を許す器に

つながっている。

 

ありのままの自分を受け入れた時

ありのままの自分を許した時

生きていてよかったという喜びや

生きる元気が湧いてくる。

 

 

 

 

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