私には、管理しなければならない家が3軒あります
一つは、私が中学生の頃に建てた木造平屋
そこには、父方の祖父母と両親との5人の生活がありました
私が25歳の時、父の定年後
古い家の前、敷地ぎりぎりに、道路に面して建てた鉄骨3階建
1階部分は両親が暮らし
2階と3階には、娘との親子3人の生活がありました
私たち家族は、転勤族でしたが
娘が中学と高校時代の6年間はこの家で両親と過ごすことができました
やがて娘は大学進学に伴って上京
母が亡くなり、父は施設へ
家の前には、大きなマンションが建ち
そこを購入して、夫婦二人で住み始めて
3年が過ぎました
娘が5月に結婚して、将来は故郷へ帰れることもわかりました
少しずつ先の見通しが立つようになりました
古い家の中に納まっている家財の量といったら半端ではありません
何しろ物のない不自由な時代を生きた祖父母と両親です
私とて、そんな祖父母や両親に育てられたわけですから
物を捨てることに罪悪感はあるし、物への執着も大きいです
ああ、私は物に囲まれて気が狂いそうです !
それでも何とか夫の助言もあり
工事をしてくださる方との出会いもあり
ようやく古い家の1階部分を取り壊し
その奥の木造平屋部分を取り壊す決心をいたしました
古い家のあまりの家財の多さを見て
協力するとおっしゃっていただきました
これまでひとりで何とかしなければと
ずっと気負っておりましたから
ほんとにありがたいと思えました
昨日は、母の持ち物の処分を再開しました
母の洋服は、ほとんどが同じ傾向、同じ趣味のものです
そして結構、私も好きなよいセンスをしております
着てみると、サイズもほぼ私にぴったりなのです!
さてここで、使えるかもと・・すべてをとっておこうとすると
これはいつまでたっても片付けません
何とか衣装ケース一つに絞り込みました
60歳を過ぎて、娘の私が結婚して、生活にも余裕ができ
ようやく母も自分の好きな物を自由に買うことができたのでしょう
いまの私が使ってもうれしい趣味の良い絹のスカーフも何枚か出てきました
でも母は、やはり昔の人です
それらの洋服もスカーフもコートも
日常の生活には使うことができなかったのです
それらは、いつかのためにとすべて仕舞い込まれ
やがて忘れ去られてしまったものばかりです
晩年、それらの仕舞い込んだものを探せば
使えるものがたくさんあったと思うのですが・・
じゅうぶんに生かしきることができずに終わってしまいました
やはり良いものを普段の生活に使うことはもったいない
「贅沢」という罪悪感から逃れることができなかったのでしょうね
人様にお願いして
一気に処分してしまえばすべてが終わりでしょうけれど
そうできない娘の思いもあります
母は生まれて初めての入院をして
一度も家に帰ることなく、75日目に亡くなりました
病院へ行って検査してもらおうと決心した前日に出かけた
木彫り教室のかばんが出てきました
ハンカチにくるまれて小さな湯のみが入っておりました
湯のみの口が少し欠けていました
それは私が九州へ旅行に行った時
祖父母への土産にと、熊本で買った夫婦茶碗でした
祖父母は、それぞれ亡くなるまでその茶碗を使ってくれてました
母はその小さいほうの湯飲みを、木彫り教室用にしていたのです
お仲間とのお茶の時間を楽しみにしていたのでしょう
農家の生まれで、街の女学校へ行かせてもらえなかったことを
悲しがっていた母です
彫刻刀がたくさん入ったお菓子の空き缶には
飴玉も入っておりました
お仲間と飴の交換をして、飴をなめながら楽しく木彫りをしたのでしょう
5年前のその飴をなめてみました
重すぎます!
いつの日か私も娘のもとを去る日がやってきます
娘もこんなふうにするのでしょうか・・
何か不思議ですね・・
いくら悩んで、私はもっとよくやろう!と思っても
やっぱりあまり変わらないことになりそうです
そしたら
もっといまを楽しく生きたほうがよいかもです