
誰しもつい人と比べてしまって、
「私は何て駄目なんだろう。」とか、
「きっと、私なんか。」とか
否定的な考えや気持ちを持ってしまうことがあるかもしれません。
これが、自分を叱咤激励をする意味でとか、
うぬぼれを制御する意味でとかに
一時的に使用しているのならまだしも、
この時の感情が強烈であったり、
継続的にとか頻繁に持つようであるなら
自分を苦しめるだけの働きとしかならなくなります。
この時、「あなたにはこんな良い所があるじゃないの。」と言うような
その人の良い点を指摘してあげたとしても、
一時は、気持ちが楽になることはあったとしても、
多くの場合、何かの折に再び々気持ちを持つ事になります。
また、一生懸命話してくれる人に申し訳ないと思って、
「私にも良い所があるのか。そうだね。」と
本当は、そうは思えていないまま納得したようなフリをするかもしれません。
これでは、何とか助けになればと思っていたのに、
逆に、気を遣わせてしまうことになります。
ではと、
その人の言う劣等感を認めてしまって、
駄目であるのなら、今より良くなるためには何が出来るようになれば良いのか。
それが出来るようになるためには、何をすれば良いのかと、
生産的なことに目を向けれるように話しするのも、
ある危険性をはらんでいます。
と言うのも、
誰かや何かの良い所と自分の至らない点を比較して見てしまう心の癖が
変わらないままですから、
今の自分に何かが一つ出来ることが増えて、
気持ちが楽になっても
その状態は長く続かずに再び同じ気持ちを持つようになります。
だから、また次の出来ることを追い求めます。
そして、また次をと、
これでは回り続けていなければ倒れてしまうコマです。
永遠と次を追い求めることで
自分が持てるものが増えていくかもしれませんが、
いくら増えても自分を楽しめません。
人生の最後までそれを繰り返したとしたら、
ぞっとしませんか。
つまり、今の自分が持てるもので自分を楽しめなかったら、
自分の持てるものを増やした未来でも同じように楽しめないのです。
まだ、友人からのアドバイスを求めてであるとか、
自分で自分の背中を押してであるならまだしも、
突き進む力を得ようと、それを煽るセミナーや自己啓発に
参加してしまうと永遠と費用を講師に運び続けることになります。
セラピーの目的は、
クライアントが自分で考え、判断をし、行動できることを
助けることを目的としています。
このことは、セラピストとしての勉強をし、
実際にクライアントと向き合った人であるなら、
優秀なセラピストで有る無に関わらず、
まず取り組みの中心をそこに持ってはいかないものです。
当たり前のセラピーの目標としては、
自分のできない部分、気に入らない部分を闇に葬り、
自分が出来る部分、お気に入りの部分だけに光を当てれるようになるのではなく、
また、出来ると言う痛み止めで劣等感の痛みを誤魔化そうとするのでもなく、
今の出来ない自分も、出来る自分も
丸ごと認め、その自分を楽しめるようになることです。
催眠療法&心理療法 神戸ストレスカウンセリング・ルーム花時計