笑顔で~穏やかな心で~

毎日の生活の中で思うこと・・感じるままに♪

優しかった祖父

2014-07-19 | 思い出
おとといは祖父の命日でした。
もう何年になるんだろう~23年前かなあ~

初孫だった私は、よく可愛がられたようです。
二年後に生まれた妹は双子。
母も祖母も大忙し。
そのため、祖父が私の子守役だったようです。
一緒に布団で寝てて、私に布団を掛け自分は背中が出て・・・・

祖父は父と性格が全く違い、おおらかで、穏やかな祖父でした。
高校時代、雨や雪で自転車が無理なとき、父に車でバス停まで送ってと頼むのですが
寝ぼすけの父はなかなか起きてくれません(><)
そんな時祖父は「おじじが運転できたら、毎日でも送っていってらるのに・・・」
そういってくれた祖父。

小学校の頃、たった一度だけ怒鳴られ、玄関の外に出されました。
何が原因か忘れましたが、祖父が凄く怒ったことしか記憶がありません。
泣きじゃくる私を中に入れてくれたのは、祖母でした。

病気で入院する前は、物忘れがはげしくて、何度もゲートボール行こうとしたり
何度も同じことを祖母に聞いたり、手術したことも忘れ歩こうとしたり・・・
離れていた私が知らないことがまだまだあったんだろうな~
父がよく愚痴をこぼしていました。

入院中は二人の伯母たちが付き添ってめんどうを看てくれました。
いよいよ危ないと・・・でも何ともいえないと連絡もらった。
でも次の日、長男の陸上競技の大会でゼッケンを付けるなど準備があって・・・
朝、息子を送り出してから行こうとしたら連絡が入り、かけつけた。

病院では私以外の親戚がみな来ていて・・・
意識のない祖父に声をかけた。
残念ながら反応はなかった。
そして、10分ほど後に息をひきとった。

親戚の人は私が来るのを待っていたんだと。。。。


その頃、子育てで忙しく、今思うとあまり病院にも行けなかったな~
申し訳ない思いです。

アルバムを開き、優しい祖父を思い出していました。


白山登山

2014-07-01 | 思い出
今日は山開き!

白山の頂上から見るご来光は最高だったようです。
と・・・ニュースで観ました^^;

白山登山は高校三年生のとき、初めてバレー部員達や先生と登った。
7月終わり頃だったので、天気も安定してとっても綺麗なご来光を見ることができた。

そして主人との結婚が決まり二人で・・・
その後、友人たちと・・・
長男5歳を連れて・・・
そして、子供を預け、夜の山道を二人で歩き、頂上の岩場の蔭に小さなテントを張って昇る朝日を・・・
三人の息子達を連れ5人での登山は最初で最後。

主人は白山頂上に散骨してほしいと病院での言葉。
そして本人の希望どおり、ほんの少し細かくした骨をあるところから・・・次男と散骨。
翌年、三男と登山。
その翌年、一人で日帰り登山。

山をこよなく愛した主人。
センチメンタルだった山男の主人。

テレビでは残雪の上をアイゼンつけて登っている様子が映し出される。
主人と友人たちと残雪の上を歩き、頂上近くでキレイな雪を堀り、
持っていったゆで小豆の缶詰と一緒に食べる!
これまた最高~~~~!!!

そんな白山登山の思い出を懐かしみながら、ぼおっ~~~と観ていた。

今は足も衰えたが、以前より歩いているから、登れるか?
ちょっと自信ないなあ~
7月終わり頃から8月上旬はお花がとても綺麗です!
皆さん、白山に登ってみては、いかがですか?

主人が言っていました。
決して山をバカにしてはだめ!
山をあまくみてはダメ!
準備を整え、体調を整え、登山を楽しんでくださいね^^v

運動会

2013-10-09 | 思い出
日曜の暑い暑い日に、町内の運動会がありました。

班長でもあり、また係りも引き受けたので張り切って出かけたのはいいのですが・・・・
予報では曇り一時雨がぬけるような青空!
この時期にはめずらしい30度ちかくあった真夏日で暑さに参ってしまいました。

それでも、運動は大好きな私。
本当は係りより、走りたいところなんですが^^;
何年も走っていないと、それこそ、またアキレス腱を切ってしまいます(><)

その昔、私達親子は運動会でよく走りました。
息子達は脚が早く負けず嫌いで、よく賞品をいただいてきました。
私もママさんバレーで鍛えていたため、走るのは得意でした。

長男が小学校3年生の時です。
あの頃、1,2年。3,4年。5,6年生で80m走があり息子は一学年上の子と走ます。
ヨーイ、ドン!!
途中まで息子は競い合い、ちょっとの差でなんとか一位でした。

小学校の学年では、走ることは負けたことのない、ずっとトップだった長男。
負けるかもしれない・・・・という不安から
最後の混合リレーの選手に頼まれていたのを、「出ない!」と言うんです。
すねて、うつむきながら出場したくないとブランコに乗る長男に
負けてもいい、一生懸命に走ることが大事!
頼まれて一度引き受けたのだから、負けても最後まで!
こんこんと、と言うか命令でなく長男の心に訴えかけました。

どれくらい話したでしょうか。
やっと出ると、しぶしぶ。。。

それでも走りだしたら一人追い越し、機嫌も直り、ルンルンの長男。
今思い返すと、あのときが最初の彼の挫折だったのでしょう^^;
そして長男は中学、高専と陸上をして全国大会で優勝したこともあるのです。


役員で、係りで、順番で、と嫌々ながら運動会にきていても
競技になると、みんな笑顔になる。
綱引き、玉入れ、借り物競争、リレー・・・・
係りだったので競技する人の横で本当に「いい笑顔」が見れました。
応援席も役員も大笑い!

笑顔っていいなぁ~






白山が好き♪

2011-10-27 | 思い出
今朝、白山に初冠雪だったそうだ。

↑これは3年前の11月6日に撮った写真です。

白山をこよなく愛した主人。
夢が叶うなら・・・
白山の山小屋で年中過ごしたい、それくらい白山が好きだった人です。
中学生の時に初めて登り44回くらいでしょうか・・登ったらしいです。
私と二人で登ったのは、たった一回!
家族や友人達とも登ったが、何より一人での登山が好きだった。
冬山も滑り止めの金具を付け手にはピッケル。
さすがに、結婚してからは冬山は行かなかった。

そんな山好きでセンチメンタルな主人が亡くなってもうすぐ12年がたつ。

独身時代、私の友人達と初めて一緒に登った時に教えてもらった歌がある。
女三人で主人に歌詞を教えてもらいながら登ったっけ。
楽しくて楽しくて行進曲のように歌ったけれど。。。。。

本当はとっても悲しい歌だった。

    『いつかある日』

いつかある日 山で死んだら 古い山の友よ 伝えてくれ

母親には 安らかだったと 男らしく死んだと 父親には

伝えてくれ いとしい妻に 俺が帰らなくても 生きて行けと

息子たちに 俺の踏み跡が 故郷の岩山に 残っていると

友よ山に 小さなケルンを 積んで墓にしてくれ ピッケル立てて

俺のケルン 美しいフェースに 朝の日輝く 広いテラス

友に贈る 俺のハンマー ピトンの歌声 聞かせてくれ


山で死んだわけではないが、歌詞のようになってしまった。
息子三人と私。
何より母思いの主人だった。

私は白山へは9回。
亡くなってからは次男と一回、三男と一回、一人で一回。
みな日帰りだ。

白山は本当に綺麗な山だ。
眺めても、登っても。
そんな白山に今度はいつ登る事ができるかな^^;

高校入試

2011-03-09 | 思い出
長い間、ブログを休んでいました(><)

壁紙だけが替わり記事はそのまま・・・・と教えられたのです。
えっ?
試していただけなのに、替わっていました^^;

私は、いたって元気でして、仕事も減って収入も減ってしまいましたが、楽しみも見つけました♪
それは、また今度ということで・・・。



ところで、今は高校の入試の時期です。
自分の頃は田舎なので○○か△△しかなくて、当然頭の中と相談すると、○○。
それも危ないと言われながら、お陰様で合格!
父が発表を見に行ってくれたような????
電話の前で待っていたような????
遥か昔で、忘れました^^;

高校時代は部活のバレー漬けで三年を過ごし、スポーツだけは、大の負けず嫌い!
その根性を勉強に生かせればよかったのですがねえ~~


息子達の高校入試は、それぞれいろんな思いをしました。
勉強しなさいと言わなくても、自分で計画立てた子。
友達がなんと言おうと、自分がしなきゃ!と思ったら付き合わず勉強した子。
言っても、言ってもなかなか勉強しないで、あきれてしまった子。

三人三様の高校受験だったけれど、親としては、それぞれの合格を祈り「コーヒーたち」をして願掛けした。
お茶だったら、断つことはできないが・・・・コーヒーなら、OK
これって、願掛けになったんだろうか^^;

お陰様でみな合格させていただきました。
行ける学校がその子にとって縁のある学校と聞き、ありがたいな~~と思いました。

二人は高専で5年だったけれど、それぞれの思いで多き学生時代を過ごした。

この時期合格、不合格とあるが、落ち込むことなく楽しい高校生活を、思い出に残る高校生活を送ってほしいものです。

着物

2010-05-20 | 思い出
実家の畑の手伝い(草むしり)をしようと意気込んで行った。

雨・・・・。

それでも、母は庭の草むしりをしていた。
手伝うよ、と言うと「いいよ、休んでいて~」
と言ってくれたが、母の日も何もしなかったので、せめて・・・と。
玄関に行くといいよ~と言いながらも手袋、長靴、腕抜きが置いてあった(笑)
だんだん雨がひどくなってきたので、やめた。
さて・・・午後は何をしようか。

そうだ!この前、祖母の部屋を片付けたとき祖母の着物をどうしようか話していた。
母の妹であるおばちゃんと相談したら~~と言っていたのを思い出し・・・
おばちゃんに電話した。

さて、本題の着物のお話です^^;

祖母のタンスの着物を一枚一枚取り出し確認。
ほころび、虫食い、汚れなど見ながら
「あら~~懐かしい~~」
「これ、よく着ていたね~」
「この着物は○○ちゃんの結婚式で駅まで走った時に着てたのやね~」
「参観日に着物をきたおばば(母)がきれいで・・・友達から羨ましがられ、嬉しかった」
「おしゃれな、おばばやったから着物が多いわ~」

などと姉妹の話しを聞きながら片付けの手伝いをした。
捨てる着物、古着に出すもの、残すもの、小物などに再利用できそうなものと仕分け作業だ。
着物の好きだった祖母、合計30枚以上あったw(゜o゜)w

そんな中にあった一枚がこの着物~~~♪
加賀友禅の大振袖!
祖母が作ってくれ、私から妹達、いとこと何度も何人も袖を通したものだ。
手入れが良くなかったのか、シミや汚れで着れないが懐かしくて、持ってきた。
いとこの結婚式に私の結納、結婚後のあいさつ回りに着たっけ。。。。

着物の大好きな私は祖母の着物で何か作れないか・・・
いや・・・何かつくってくれる人はいないかと友人に相談した。
手つくり小物を作る彼女は知った人がいるらしい。
けれど、せっかくだから自分で簡単なもの作ってみたら~~?
これなんかどう?
ティッシュを包むカバー。。。。
ステキだけれど、私にできる?
一応、教えてもらったけれど・・・・成功したらアップします^^;

それにしても、昔の人は着物を大切にして洗いはぎしたり、染め直ししたり、物を大切にしたよね~~
着物を着ると背筋が伸び、シャンとするよね~
たまには着物を着て金沢の町を歩くものいいよね^^v





卒業

2010-03-16 | 思い出
ラジオの話題は卒業だった。

卒業で思い出すのは・・・
小学校の卒業式は少人数の小さな田舎の学校。
中学校もみな同じ学校に行くし泣くことなんてないと思ってた。
卒業式もみな終わり教室に帰る途中の階段で・・・・
ある女の子が泣き出した。
それにつられ・・女子が全員で教室に入っても泣いていた。

その後、卒業証書をもってみんなで職員玄関の前で記念写真!
今泣いた顔はどこにいったのか・・・
みんな大笑いで肩を組んだり足を出したり笑い転げている写真が残っている。
写真がなければ、思い出さないかもね~~~

卒業式の歌に「仰げば尊し」「蛍の光」を歌った。
意味もよく解からなかったがそれでもいい。
この歌は受け継がれてほしかった。
今では、歌わない学校が多いのだろうな~~~~
ちょっと寂しい。

ずっと「仰げば尊し」を歌うと涙が出た。
小学校では涙を流すほどの感動をいただいた先生はいなかったが・・・
何故だか、泣けた。

小学校のころから涙もろかった私です^^;

初心

2010-03-04 | 思い出
あっと言う間に3月。
ひなまつりも終わってしましました。
息子しかいないためお雛様はこけしや、木目込み人形を並べるだけです。
それでも、桃の花にチューリップ、菜の花と春らしくしました。


さてさて、「初心」というタイトルにしましたが、これはヘルパーになった頃の勉強も忘れてはいけないなぁ~と思ったものです。

あることで、研修を受けた頃のファイルを出してみました。
教えられるままに勉強したわけですが、今読み返すとこういう事なんだ。ああいう事なんだと今に当てはめられ、実感することばかりです。

研修は50代が多く、とりあえず資格を取っておけば、家族のために・・・という主婦が多かったのです。
そんな中で70代の人も何人かいました。
そのうちの一人は「今後、自分が介護されることになるかもれない。そのときに介護を勉強していれヘルパーのことも解かりスムーズに良い介護が受けられる」とのことです。
また、同居しているおばあちゃんの介護したいという19才の男の子もいました。

思い出しました。
ある研修で講師が言います。
隣の人と向かい合ってお互いの良いところをいくつでも見つけて声に出して言い合ってください。
私たちはあまり知らない研修生同士、誉めあいました。
何でもいいのです。
髪型が似合ってるとかスタイルがいいとか、声がステキだとか笑顔がいいとか・・・
そうです。笑顔です。

相手の良いところを見つける時、人はけっして怒った顔や怖い顔、難しい顔をしないものです。
確か認知症の研修だったと思います。
どんな人でも良いところはあるもの。それをしっかり見つけ笑顔で接することが大切だと。

これって、私たちの生活の中でもいえますよね~
相手の良いところを見つけ、声に出してほめる。
誰も嫌な思いはしません。知らず知らずにお互い笑顔に・・・・
私も介護の中で仕事が上手いとか早いとか誉められるより
「笑顔がステキ」だと言われたいです^^;

研修プリント一行です。
「福祉は人生勉強そのもの」
仕事をとおして、常に人生勉強させていただいていることに感謝です

十年を振り返り・・・

2009-11-06 | 思い出
主人が亡くなって今日で10年になる。
早く感じたり、長く感じたり・・・・
いろんなことが出来涌いた。
息子達のこと、義母のこと、仕事のこと、会社のこと。
事故があったり、入院したり・・・・

それでも、ささやかな楽しみも見つけた。
ネットで楽しむこと、ネットで繋がった友人達に会えたこと。

仕事でいろんな人と出会い、いろんな感動をもらえたことも、私にとって大きな力になった。
自分で言うのもなんですが・・人の幅を広げてくれたような気がする。
まあ~体の幅も広がったのですが(笑)

これからも、家族のため、大切な人のため、私を必要としてくれる人のために、
元気で!前向きに!笑顔で!感謝を忘れない日々を送りたい。
それを亡き主人は望んでいたと思うから・・・

愛する命を送るとき

2009-10-24 | 思い出
午前10時、たまたま新聞のテレビ欄をみる。
「愛する命を送るとき」
題名だけですぐにテレビを見ることにした。
9年前に放送された番組が映し出された。

ご主人が大病になりホスピスに入ってから71日間の奥さんが書いた絵日記。
怖い気持ちや不安な気持ちを絵日記という形で暗くならないようユーモラスに書かれてあった。

絵日記は自分ではなく客観的に記者がかくような感じだ。
それをドアに張り出したことで、まわりの人の心まで楽しませたこともあった。
何より心細さや不安を紛らわすためだったような気がすると・・・後で語っていた。

ホスピスに居る間の夫婦の時間や心境を話していると・・・・
10年前の今頃、病気と闘っていた時のころが・・・・思い出された。

このご主人のように本心を話さなかった主人。
言いたいことはいっぱいあったはずなのに・・・
私を苦しめるとでも思ったのだろう。

最後を看取るとき、
大好きな山の歌のカセットでも流してあげればよかったとか
温かいタオルで顔や手足を拭いてあげればよかったとか
もっと、こういう態度をとればよかったとか
何より・・・・
こう言ってあげればよかったと。。。。
テレビを見てて後悔ばかりが頭をよぎる。


しかし、10年近くたった今は、後悔しながらも、あれでよかったんだ。
考えても時間は戻らない。 
いつか、天国で会えたときに話そう~なんて思えるようになった。

時間は、ときには大切だった思い出を忘れさせてしまうが、
この忘れることができるから、前を向いて生きていけるのだと思う。
私の場合は忘れすぎ!なのですが 

さあ~~~て、頑張ろう!!
いつまで生きられるかわからないけれど、生かされる命を大切に「生」を生きいらなきゃ d(^-^)ネ!