木村伯龍のひとり言

大阪のミナミはアメリカ村の占い師の日記

手相教室の案内です。今回は、気色・血色です。

2015-10-25 02:30:48 | Weblog

11月21日(土)と12月19日の2回コースです。新大阪です。1時~3時の3時間です。気色・血色についての授業です。少し難しいが、覚えたら手相が百倍面白くなります。今回が、気色血色の初めての手相教室です。詳しくは、私のホームページを見るか、事務所へ連絡ください。066-212-1672 次の手相教室はいつに成るのかは分かりません。プロの方もおいでください。何処かで習わないと、独学では時間がかかり 過ぎて、たどりつけないと思います。


人の上に立ったら、部下の目を見ろ!

2015-10-20 07:25:59 | Weblog

40代の男性のお客さんが来られて、部下の取り扱いについての相談をうけました。いろいろなタイプの部下がいてるので、どの様に相手を見るのかが難しいと言うので「相手の個性の判断をなさるより、相手の今の状況を判断して。相談に乗るのが得策だと思いますよ!」と言うと「どのようにしてみればよいのでしょうか?」と聞いて来たので「部下の目を見ることです、昔から、御者が荷台に荷物を載せて、走り出そうとした時に馬の目を見ます。荷物が重くて、馬が苦しそうなら、目に力が入り、りきんで動こうとします、逆に重くなければ、馬は、りきみもせず、力もいれずに動き出すので、目は普通です。部下が今やっている仕事が、能力以上なら目には、その様に出ているでしょうから、相手に聞かず、サラッと影からお手伝いすれば、感謝されるでしょう。人気はこの様にしてとる事です。 


手に豆が出来ている。

2015-10-15 08:25:07 | Weblog

20台後半の女性が、事務所に来られて、6年付き合っているのですが。さあ~結婚と言う段になって、お金がないので、同居で共稼ぎをしてくれと言い出しました。ただ、同居は嫌ではないのですが、本人は先方の御両親とはそりも合わないし、考え方も違うので、それは無理と思っているとの事でした。しかしながら、結婚はしたいし、変わりの人もいないので、迷って相談に来ましたとのことでした。本人の名前と生年月日と相手の名前と生年月日で相性を見ると、彼氏彼女と言う事では、相性は合うのだが結婚するほどの縁が有りません。また、人相を見ると、この先、別れ話になることが分かっているので、「早く別れましょう!一人の自分は、別れたくないと言っていますが、もう一人の自分は別れるべきだとすでに決断しています」というと。すると、「そうでね」と言ったので、これから新しい出会いが有るとすれば、何月と何月がチャンスです。と言うと、最後に「後ろからおされって、 別れる気になりました」と言うので「別れると言うのは、最初から貴方の中にあった、お話です。私は後ろから、押すのが仕事です。だから私の手には、ほら、押し過ぎて、豆ができていますよ(笑)


観相学(手相・人相)の歴史について

2015-10-13 20:31:33 | Weblog

たまには、観相学(手相、人相)の歴史に付いて、語りましょう。観相学の原本は、中国の宋の時代の陳希夷先生の「神相全編」より始まります。日本には。遣唐使の時代に入ってきます。630~894年です、仏典などと一緒にやって来たので、大事にされました。観相だけではなく、鬼門とんこう、後の九星学などもやって来ました。 その当時字が読めるのは。公家か坊主か知識人くらいです。戦国時代、臨済宗の僧侶である。安国寺恵瓊が織田信長を見て。将来。高転びするでありましょう。と言った話は有名です。江戸時代になって、徳川家康が経済振興策を取り、飛躍的に景気が良くなって行った慶安の時代、初めて「神相全編」が世に出てきます。江戸が始まって五十年くらいです。経済が豊かになり、文化も盛に成ってきた時です。みんな占いに興味のある人は、これを読みました。人相見で有名な、水野南北先生も。海常先生から、三日その講義を聴いて、旅に出ます。水野南北先生は、1760年~1834年の人です。元禄時代は。上方(大坂・京都)を中心に町民文化の花開く時がやって来ます。当時、京都に菅沼梅荘という先生が居られて神相全編から始まって、自分なりの観相学の一門を立てていました。菅沼梅荘先生の方が水野南北先生より五十歳くらい先輩です。菅沼梅荘先生の「菅沼梅荘相貌録」を読んでみると、水野南北相法の骨格的な本だと思います。その頃、江戸では石龍子という先生がいて、漢方医と観相を両方していたが、一番当たる占い師として、有名でした。この当時は、一子相伝の時代だから、勉強するにも大変な時代いう事は、間違いないと思います。人相が研究されていく中で、上方に蘆塚斎先生がいます。人相の本はいっぱい有るのですが、手相の血色気色をかかれた本はあまり有りません。蘆塚斎先生の本は、変体かなで書かれているので、少し工夫がいります。宝暦六年に書かれた、「手相即座考」が有名です。どの世界にも、必ず一度は危機が来ます。安永八年、三代目石龍子先生が、京都の占いの許可をしていた、土御門家が勝手に占いを、自分らの許可無くするのはけしからん!と京都の町奉行所に訴えました。石龍子先生は観相は医術であると、立証したので、石龍子先生はお咎めが無く、反対に土御門家は御用をはずされたとなっています。この年、この判決が有って、菅沼梅荘先生の「相法玉振録」が出ます。人相の気色を絵入りで書いておられます。人相を勉強する人にとって一度は目を通す本です。三代目石龍子先生の時、神相全編の手直しが入り、「神相全編正義」がようやく完成を見ます。

取り留めなく書いてきましたが、実は、手相の気色血色の本を出そうと思って、資料を作っています。その中で、蘆塚斎先生の「手相即座考」と石龍子先生の「神相全編正義」が参考に成っています。天道先生などから、いつ本を出すのだ!と言われて、延び延びになっていたら、いつのまにか尻に火が付いて。ぼうぼう山にも、いないのに、後ろから燃える音が聞こえています。急がなければ、こんなブログを書いている暇がない・・急がなければ!(笑)

いつも、退屈なブログを読んで頂き、ありがとうございます。(ペコ)☜これは、頭を下げて礼をした音です。放ったらかしでも、いつも100人から読んで頂いています。余ほど暇なのか、する事がないのか(笑)そんな事は有りませんね。とにかくありがとう(ペコ) 


ちょっと嬉しいお話!

2015-10-02 13:47:02 | Weblog

少し前のお話です。でも今月のお話です。お客さんとお話をして『どうして、此処に来たのですか?』と聞くと「友達だ不妊治療していたのですが、なかなか上手く行かず、諦めようとした時、こちらへ来たのです。先生は、まだ行けるから大丈夫だ』と言われたので、友達は、諦めていたのですが、これが最後と思って、もう一度だけチャレンジしたら、出来たのです。それで私も、今日聞きに来たのです」という事でした。なんとなく嬉しいね~、占いが当たった事より、子供が出来て、喜んでいるお客さんがいることの方が、うれしいね~・・・・・やっぱり最後に出て来るのは、希望と水戸黄門だな(笑)