木村伯龍のひとり言

大阪のミナミはアメリカ村の占い師の日記

夢の続き!

2014-01-31 23:05:19 | Weblog

前回は、「愕夢」でしたが、今回は、『思夢』です。  漢の高祖皇帝がいまだ天下を統一出来ていない時。ある夜の夢に、自分の身体が獅子になり、ライバルの項羽は羊となって現れ、獅子は羊を追いかけ追い詰めて、ついには羊の頭と尾を喰い尽したところで、夢から覚めて大いに喜んで『私が思うには、羊の文字の頭と尾を取ると王の字になる。これは、いつの日にか項羽を滅ぼし、漢の天下になり、王様となって君臨するという前触れなり』しばらくして、 垓下にて、項羽を滅ぼして、漢王の位に昇りつめた。これは、普段から項羽に勝ち天下統一しようという思いから見た夢である。・・・なるほどだね!次は『喜夢』だよ。


たまには、夢のお話!

2014-01-29 00:30:23 | Weblog

夢にも、いろいろ有るのですが、物事の未来を告げて実地に適合するのを真夢・正夢と言い。何の根拠もなく、物事の成り行きに合わないのを虚夢・空(から)夢と言います。また神仏の霊告よって見る夢を霊夢・瑞(ずい)夢と言います。身体や精神の老衰によって見る夢を病夢・労夢と言います。真夢と霊夢は信じて、虚夢と霊夢は取るに足ら無いとあります。その夢の中でも、周禮には、六種が中心とあります。その六種とは、正夢、愕(がく)夢、思夢、喜夢、悟夢,懼(く)夢です。

まず最初に『正夢』から・・・・昔、中国の殷の時代に皇帝が天より、良弼(補佐)を賜うという夢を見た時に、その夢の人相を写して、いろんな人に尋ねてみると、傅岩(ふがん)という所の土を運んだり扱う身分の低い人がいました。その人の人相風貌が良く似ている処から、登用して使ってみると「傅説(ふねつ)」という大賢人にして良く天下の政務を行い四方大いに治め万民は安泰であったという。

次に『愕夢」これは、日本のお話。昔、清和天皇の統治の時代。貞純(さだずみ)親王の権力が強く全盛期。家来の府生紀氏光(うじみつ)が夢を見たそうです。夢の場所は親王の庭園みたいな池で、見ていると、波がにわかに波ち大きく渦巻くとその中に、清和親王が忽然と現れ、白龍となり、『我、代々(よよ)源氏の神となって守らん!』という所で目が覚め、大いに驚いて夜が明けぬ前に、親王の御殿へ参上すれば、親王、すでに崩御した後なれば、大いに驚いたという夢。

次に『思夢』これは、漢の高祖がまだ天下を統一して、いない時の事。ある夜の夢に・・・・・・・この続きは、次回です。明日になるやら、明後日になるやら分かりませんが、頑張って書くね(笑)

 


無茶したら、あかん!

2014-01-19 01:50:20 | Weblog

テレビなどのバラエティ番組で、この寒い日に何も知らない人が、滝で水に打たれたりしているところを見ますが、あれは大変無茶な事でして、本来ああいう場合は修業をしている人から「火のお九字」を切っていただいて、それから水や滝に打たれるのが正しいやり方です。、「火のお九字」を切っていただくと、凍りつくような真冬の池の中や滝に打たれてもあまり寒くは無いと言います。知っている方と同伴なら良いのですが、知らずにすると大変だと思います。修業も大切ですが、お身体も大切です。


お迎えが来る!

2014-01-10 01:45:29 | Weblog

今年、八十歳になるご婦人が事務所来られて、私の前に座りました。人相を見ると、額の中心より、少し髪際の方に横になっている顔があるので、「今年は、法事の年ですね」と言うと、『そうです、今年は主人の三回忌です」と言いました。「先生には見えるのですか?』と言うので「誰でも見る練習さえすれば、見えますよ!」と言うと、「実は、私は一人っ子で兄弟がいません、また子供もいないので、主人が亡くなったので、今は一人ぼっちです。亡くなった両親に早く迎えに来て!とお願いしているのですよ」と言います。手相見ると生命線も頭脳線も長く元気に線を引いています。人相も法令線が長く綺麗に出ています。流年で寿命を見てみると、本人の右の頬骨の下あたりに、色が悪くて肉の薄い場所があるので、「この場所は、九十四歳の場所ですから、まだ、十四年ありますよ!」と言うと「まだ、そんなにあるのですか?」と言いました。「私は、早く死ねたら良いと思っているのに・・・」と言うので「奥さんね、迎えが来ないと死ねませんよ!」と言いました「迎えに、誰か来るのですか?』と聞くので「人が死んで、葬式をして、一年目が一周忌、二年目が三回忌というように、法事をします。この時に以前死んだ人間がやって来て、一緒にあの世へ行こうといます。お父さんやお母さんが迎えに来る事が多く、人によっては亡くなった親兄弟、仲の良かったお友達まで、枕元に迎えに来ます』と言うと、急に思い出したのか、「そう言えば、私が 小学校三年生の時、父が亡くなる時。親戚縁者が枕元にいっぱいお見舞いに来ていて、私は、隣の部屋で本でも読んでいなさいと言う事で、締め出されていました。でも、父親の最後だと思うと、こっそり、障子をあけて、お父さんの見える本棚の横にいました。父は生前より本を読むのが好きでしたから、寝ながらでも本が取れるようにと、小さなお手製の本棚が枕元に置いてありました。父は、意識が薄らいでいく中で、その小さな本棚がお坊さんに見えているらしく、お坊さんが今「枕経」を読んでいると言いました。そして、“今玄関にお母さんが迎えに来てくれたので、誰か玄関を開けておくれ!”と言いました。傍にいる人が急いで玄関を開けに行き、開けたと思うや否や、父は大きく背伸びをするように、両手を上にあげ、誰かの手を取り握るようにして、亡くなったのです。」と言いました。「今、思い出しました!」というので、「奥さんね、亡くなる前に、夢を見ます、そろそろ、準備をしなさい!と言うてくれますから、それまでは、のんびり、行かれたらどうですか!」・・・「お迎えが来るまでは、行けませんよ!」と言うと「わかりました!」と言って帰って行かれました。


当たらない霊能者の末路は、癌で苦しみながら、死んで往く!

2014-01-05 02:05:56 | Weblog

すごいフレーズで始まったのだが、自分のブログの下に、どこかの自称霊能者である連中が勝手に広告を出しているの見て、ふっと、もし、本当に霊能力があるのであれば、あまり、お金儲けにその能力を使わない方が良いと思うし、無ければなおさら、霊能力を看板にして、金もうけはしない方が良いと思う!・・・ずいぶん以前の話だが、私が20代の頃、京都の縁切り寺の管主が、お腹に腹水が溜まって、癌で亡くなった話を、あるお坊様に聞いたら、人には、前世からの宿題があって、その宿題をこの世で一つ一つしていくので、苦しむのも、悩むのも必ず因果の中にあって、それを法力や霊力で歪めればその報いは、頼んだ本人にも来るし、頼まれた霊能者にも来るのは当たり前だ!・・との事でした。霊能者の元気が勝る時は、どの様な無理もきくが一度、運気の落ちるや否やたちどころに、今までのツケがやって来て、本人のみならず、子供や孫までもそのとがめを貰う訳であるから、「触らぬ神に祟り無し!」という説明でした。それを若い時に聞いていたので、霊感ではなく、統計学の勉強を今日までして来たのはそういう訳があるからです。御蔭さまで途中で大きな事故や病気にもあわずに済んだのは、このアドバイスがあったからだと思って感謝しています。霊を見る人や、霊感で良く当てる人はいますが、お金儲けに使っている人は何処かで転んでいます。私の周りにいる霊能力を持っている人は、自分を高めるためや身内の人達のために頑張って使っています。そのような人の周りにいる人達はみんな明るく幸せそうです。


新年明けまして、おめでとうございます!

2014-01-01 03:42:27 | Weblog

貴方にとって,今年は幸多き年でありますように! また、悩み深き人は、その悩みの雲を吹き飛ばす元気や気力が出て来て、朝日の昇る朝に目覚める事が出来ますように! 一人寂しく夜寝る人は、そっと手を伸ばせば、暖かく優しい人の手がそこにあるように! 宝くじを買った人は、発表前の夢が正夢となりますように! 去年愛を失った人は、その倍も十倍も百倍も真実のある恋がやって来ますように!・・陰ながら祈っています。  今年は頑張ろうね!