自治会町内会、その他昭和思考の愚考

タイトル通り昭和時代の時代遅れ思考を考え結果として現代社会生活にどの様に悪影響を及ぼしているかを書き留めたいと思います。

筋論クレーマー現る!?

2012-06-19 17:34:30 | 日記

最近色々クレーマーが多い世の中だが筋論クレーマーと聞き慣れない用語を聞いたので早速調べて見た。筋論クレーマーとはロジカルクレーマーとも呼ばれ論理立ててクレームを付けて来るクレーマーの事らしい。論理立てるとは一体何なのだろうか。風が吹けば桶屋が儲かると言うことわざがある。元々落語のネタで内容を説明するとこうなる。
風が吹く→砂埃が立つ(コンクリートやアスファルトなら昔に比べて少ないと思うが)→失明する人が増える(凄いこじ付けだなぁ)→失明した人は三味線屋になる(凄い無理がある。しかも職業差別だな)→三味線の需要が増える(有職者が増えれば道具の需要も増えるって事?)→従って猫の皮の需要が増える(事実な流れだけど・・・)→街から猫が居なくなり鼠が増える(猫の餌はカルカンじゃないんだねwww)→鼠は桶をかじる(最近は電線や住宅資材もかじるそうです)→桶の需要が増え桶屋が儲かる。

昔は目の不自由な方をメ■ラと呼んだり、飼い猫を捕まえてナメスなど動物愛護団体からクレーム付きそうな表現だが昔はメ■ラやツ▲ボの様な露骨な表現で語られていた事は事実である。しかし今は平成の世の中なので露骨な表現は避けた。参照にした昭和時代の本はしっかりと書いてあるけどね(笑)。さてこの論理、乱暴な論理だが勘違いしている人も多い事が事実だ。最終的に以外な所に影響が出る事を言ってるのだが何でもかんでも巡りめぐって皆が潤うとか風に受け取る意味ではないのだ。

なぜこんなことわざを筆頭に例えたか?。このことわざは自治会のこじ付け論理と同類であるからだ。
近所のとある住宅街に袋小路の道路が有るが市町村管理でなく位置指定道路または特定地主の私道とされている。多分日本全国そんな形になってるのが多いのではと思う。そんな道路があれば自治会は安全の為と称して色々と提唱してくる。例えば利用者でお金を出し合い立て看板を作り”この先行き止まり”などと立てるべきだ。加えて”たまに迷った車が行き止りまで行きバックしてくるので子供が危ない”とか。これだけ聞くと確かに危ない気がする。しかし現場を見たり順序良くじっくり考えて見ると極めて当たり前の事を話しているだけである。まず自治会側の言い分はたまにバックして戻ってくる車があるとしているが大型セダンやワンボックス車等で来客し訪問者宅の敷地内で方向転換できなければバックする事を選択するだろう。他に宅配業者のトラックなどもそれにあたる。確かに進入してくる車は100%居住者に関係している車とは言い切れない。袋小路と判りきった上で進入してくるドライバーもいる。しかしそんなのはホンの数%である。そんな数%のドライバーは明らかに袋小路と目で確認して判っても進入してくる。そんな理由を付け明らかに短い距離の道路にも”安全の為”と押し売りの提唱をする。確かに安全確保はが優先するのが大切である。しかしほんの数%興味津々でドライブしたがるひょうきんドライバーの為にわざわざ金を出して看板を立てる事が果たして効果的と言えるのだろうか

私なら自宅敷地と共用している道路が写る様に監視カメラを設置する。そしてそのカメラの近くにそれらしくSECOMかALSOKのステッカーを貼る。これで解決する。まず監視カメラが有る事で注意喚起を促せるし万一不幸が有った場合には進んで警察に動画提供できる。これ以上完璧なシステムは無いと思っている。しかし自治会側の見解は私と温度差がある様でなぜか看板策を譲らない
”停電になったらどうするの?”。”故障したらどうするの?”。”電気代掛かって大変でしょう~”。”お金あるのね~”。あのう~~。正直こちらの方法は看板よりリスク管理は上なんです。
停電になっても現代はバッテリーバックアップされています。故障を心配するより素人が下手糞な看板作って風雨で壊れたり近所のガキんちょに破壊されるより極めて長持ちします。電気代は掛かりますが微々たるものです。共益費で一晩中白熱電球点している方が電気代かかります。でもって今の製品はアジア製が多いので安く入手できます。

それに加えて自作の小汚い看板などひょうきんドライバーは見ないし見てみぬ振りして進入してくる。公安委員会が設置した標識なら法的力あるから従うけど任意の会の自作看板など無視されるのがオチである。もしちゃんとした物作ろうって話し合いして作ったにせよ地元の大工と塗装屋を儲けさせるだけに過ぎないね。交通安全委員の役が回って来た時に立ち番やってると目の前を携帯しながら走って行く車を何台も見ているが、あれアンタらじゃなく本物のお巡りさんだったら携帯電話を助手席や後部席に即投げると思うけどね。所詮自治会はなめられてるのでやるだけ無意味な存在。
それとなぜ自治会町内会側がこんなにも看板にこだわるのか。これには住民をまとめて行動させる所にヒントがある。住民どうしをコミニケーションさせる(ここがポイント)と称しもっともらしい事をでっち上げて住民共同で行動させる。つまり行動の内容は何でも良いのである。その行動について後付で如何にも正当っぽい理由をつけようとしているので私は共産主義組織と呼んでいる(実際そうだが)。もっと細かく言えば住民らに出資させ看板を作らせ社会的貢献をした形を作る事で住民らの道徳心を刺激させる。また集金や作業などの行動をさせることで各家庭の時間を裂くなどして家族で協力せざるを得ず結果動きから各家庭事情を把握できるメリットがあるのである。
それらを如何にも正当化する理由を淡々と述べる事こそが筋論クレーマー=自治会と私には写ってしまう。

もしかすると自治会肯定派の方々は私の事を筋論クレーマーだと思っているかも知れない。
しかし筋を通して話をする人捕まえてクレーマー呼ばわりしちゃうんだからね。日本人って灰色がよっぽど好きな人種なんでしょうか。同じ日本人として疑心暗鬼になってしまいます。



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