今だから…昭和さ ある男のぼやき

主に昭和の流行歌のことについてぼやくブログです。時折映画/書籍にも触れます。

ドドンパ誕生秘話(前編)

2006-11-15 14:16:55 | 戦後・歌謡曲

昭和歌謡曲が生み出した音楽のジャンルに「ドドンパ」というものがあります。
渡辺マリ「東京ドドンパ娘」が代表格。
ザ・ドドンパ・ソング

他には北原謙二「若いふたり」もドドンパです。
松尾和子&和田弘とマヒナスターズ「お座敷小唄」もアレンジはドドンパ。
三橋美智也「星屑の町」もドドンパ…。
変り種では美空ひばり「ひばりのドドンパ」なんてモノまであります。
神戸一郎もドドンパアレンジで「東京ラプソディ」を吹き込んでいます。
数年前には、氷川きよし「きよしのドドンパ」が登場してました。

この、今も一部に絶大なる支持があるドドンパですが、どうやって出来たのかは諸説あって今も不明です。

今回、アイ・ジョージ「ひとりだけの歌手」(1963年/音楽之友社)に興味深い記述がありましたので、ご紹介させて頂きます。

ドドンパについて書きたい。ドドンパは、さっき書いたような、ぼくのレコーディングの中から生まれたリズムである。ぼくたちはレコーディングのスタジオで、いつもメンバーが集まるまでの時間や、休憩時間に、ドラム、コンガ、ボンゴ、ティンバル、コーバル、ギロ、タンバリンなど、ありとあらゆる打楽器で、即興的にリズムを演奏して楽しむのだ。即興楽器だから、それぞれ勝手なリズムをでっちあげて、
「アイ・ジョージ式リズムだ!」
「変型マンボやで」
「大阪流アフロ・キューバン・リズムや」
と、命名して自慢する。

ある日、ふと誰かが、こんなことを言い出した。
「フィリッピンのペペ・モルト楽団が、変わったリズムをやっとったで」
「どんなんや、やってみいな」
そこで紹介されたのが、チャチャチャを変型したオフ・ビート・チャチャチャである。
二拍目に馬鹿に強いアクセントがあり、奇妙な面白さがあった。

「アローの"ちゃんねえ"(あるホステスのニックネーム)が東京でおぼえて来たダンスもあるそうや」
そう言って、もう誰でもご存知の、あの「ドドンパ」のダンスが踊られた。
「なんや、けったいなダンスやな、びっこの踊りやないか」
そんなことを、みんなでわいわい言い合って騒いでいたが、そのうちにぼくが、突然あることを思いついた。

「三拍目を三連音符にしたらどうだろ。よけい変わって面白いかもしれないよ」
三連音符くらいの用語はぼくだって知っている。やってみた。
ンパ、ドドド、タタ、ンパ……これで一、二、三、四、一、二というくり返しになる。
そこへ古川さんがやって来た。

「古川さん、新しいリズム作りましたよ。どうです、ちょっと聞いて下さいな」
ンパ、ドドド、タタ、ンパ……ぼくたちは面白がって、そのオフ・ビート・チャチャチャを何回もくり返した。
「何かメロディーを乗っけてみんかいな」
よっしゃと、やったろうと、即座にありあわせの楽譜を持って来て「ベッサメ・ムーチョ」を演奏してみた。
「いけるやないか」
「もう一曲、何かやろうか」
今度は、「キエン・セラ」をやってみた。意外に面白い。
「オフ・ビート・チャチャチャでは、名前がむずかしすぎるわな、新しい名前をつけようやないか」
みんな考え込んだ。
「ドドンパ!」
「それや、それがええわ。ドドンパ!いかしとるで。秋田のドンパン節みたいなもんや。純国産リズム、ドドンパ。よっしゃ今年の夏にアローで大デモンストレーションやって大いに流行らしてやろうやないか……」
ドドンパは、こうして、まったく即興的に突如として生まれた。



※アロー=「クラブ・アロー」大阪のナイトクラブ。アイジョージはここの専属だった。
※古川=古川益雄。「クラブ・アロー」支配人で、アイジョージのマネージメント担当。


続きは明日掲載。