今だから…昭和さ ある男のぼやき

主に昭和の流行歌のことについてぼやくブログです。時折映画/書籍にも触れます。

淡谷のり子「いのちのはてに」

2006-11-01 01:51:22 | 書籍

淡谷のり子生前最後の自伝が、「いのちのはてに-最後の自伝-」です。
この本は淡谷センセが体調を崩されて、引っ込んでから出たものです。
平成6年1月から数回のインタビューをまとめたもの。
ですので、すっかり気落ちしてる、らしくない淡谷センセの言葉も。
聞き手は北川登園・読売新聞編集委員(当時)。

トンでもないハナシがやたらに語られていてビックリ。
ちょっと上げてみます。
晩年の淡谷
・灰田勝彦さんはカワイイ子、イタズラッ子はディック・ミネさん。出演前にお姉さん、胸見せて下さい」って。見せると「これであがらない」って、二人して喜んでた。

・(『別れのブルース』が嫌いだそうですねという質問に)
母がはっきり言ったんです。「障子開ければ灯が見える、清水港の灯が見える」って。「あなた、浪花節歌うの」って。そう言われたんです。それで大嫌いになった。
それから、あれは音域が広くてね。高いところと、あまりに低いところと・・・。譜面が来たのはレコーディングの前日の午後でした。レコーディングに行ったら、ブルースじゃなくてブルーズだって。踊れるような歌い方をしろ、ってディレクターに言われて、そういうところからくさっちゃった。
女性歌手ビック4(左から渡辺はま子、笠置シズ子、淡谷のり子、二葉あき子)
(『夜のプラットホームは』)本当はアメリカ人が、わたしに歌わせたんです。十曲くれて。戦争になって強制帰国させられて、服部さんが作ったことになっちゃった。オーケストラに直しただけなんですけどね。だから、食ってかかったんです。そしたら怒ってしまって・・・。
二葉さんがレコーディングする前は、わたしがずっと歌っていました。でも二葉さんが歌いたくて歌いたくて、自分のものにね。そういうことなんです。
その根性が気に入らないんで食ってかかったんです。人のものを自分のものにする。しかも私の好きな歌なんです。だから、服部さんに、これだけはきちんと証明してね、って。それだけは、服部さんもわたしも生きているうちに、ちゃんとしなきゃいけない、って。いつだったか、服部さんは謝りました。

・藤山一郎さん。ピンちゃんは馬鹿話をしなかったけど、ほんとはイメージとは違うんですよ。ステージがあるのになかなか来ないから電話すると、彼女の家で眠りこけていた。車で迎えにいったんですよ。
(淡谷マネジャー)『藤山さんの半生を描いた番組に、淡谷さんが証言者で出たとき、藤山さんが楽屋へ飛んできて、「お姉さま、今日は僕の番組だから、そこのところは心得ていて」って』
高英男さんと
ほんと、わたしはオカマにもてますね。
ターキー(水の江滝子)と
・レズビアン。女に好かれる。変わった女。おかしいですね。レズビアンってしつこいんです。F・Kだとかいっぱいいましたよ。T・Mさんとか。
私は男好きだから、って言うんですよ。でも、手を握って離さないんですよ。F・Kちゃんは両方だったから。
淡谷センセです
・(淡谷マネジャー談)
「十年前、整形しませんかみたいな話があったらしいんですよ。目を二重に。そしたら、妹さんに『無駄な抵抗よ。今、その小さな目がクリッとしたら、気持ち悪い』って言われて止めたんですって」

笠置(シズ子)さんが楽屋風呂に入っていて、踊り子さんが通りかかったんですって。
笠置さんは「今、通るの誰や?」って。「誰々です」って言ったら、「背中、流し」って言うんですって。踊り子さんが「出番ですから」って言っても、「そんなの関係あらへんから、背中、流し」って。
そのとき、ちょうど淡谷さんが通りかかって、「あんた、いいから行きなさい」って、踊り子を行かせて、「はい、はい。お背中お流しします」って。
そうしたら、笠置さんは「あっ、淡谷さん、そんな何してはんね」って。
そういう洒落っ気、っていうか、偉そうにする人には辛抱たまらん、って方ですね(淡谷は)



特に「夜のプラットホーム」の話にはブッタマゲマシタ。
淡谷センセの半生が赤裸々に語られています。
裏話的話が満載なので、堅くなく読みやすいです。
絶版なので、興味のアル方は古本屋等を探してみてはどうでしょう?
色紙
ちなみに淡谷センセの「夜のプラットホーム」は後年の録音ですが、この全曲集に収録されています。絶品です。機会があればぜひ一度。