今だから…昭和さ ある男のぼやき

主に昭和の流行歌のことについてぼやくブログです。時折映画/書籍にも触れます。

時代の顔~佐良直美

2005-07-25 11:39:19 | 昭和の名歌手たち
佐良直美がデビューしたのは昭和42年5月。
デビュー曲の名は「世界は二人のために」
未だに歌い継がれるヒット曲で、数年前にはCMにも使われた。
その後も「私の好きなもの」「すてきなファニー」「愛の結晶」「ギターのような女の子」
と中・小ヒットを出していた。

そして、69年7月「いいじゃないの幸せならば」発売。
あの時代にあったどこか虚無感が漂うフォーク調歌謡曲である。
「歌は世につれ」、その言葉を証明するような1曲。

ちなみに69年のレコード大賞歌唱賞(大賞候補曲)は
・池袋の夜(青江三奈)
・港町ブルース(森進一)…最優秀歌唱賞
・ひとり寝の子守唄(加藤登紀子)
・人形の家(弘田三枝子)
そして、「いいじゃないの幸せならば」(佐良直美)
この年の他のヒット曲は
・夜明けのスキャット
・雲にのりたい
・長崎は今日も雨だった
・みんな夢の中
・京都・神戸・銀座
・禁じられた恋
・君は心の妻だから
・グッド・ナイト・ベイビー(これはまだ明るい)
・恋の奴隷
・時には母のない子のように
・初恋のひと
・ブルー・ライト・ヨコハマ
・夜と朝のあいだに
・真夜中のギター
・風(これはまだ明るい)
・フランシーヌの場合
見事に「夜」や「暗さ」という言葉で括ることができる。
私は生まれていないので、この時代の空気はわからない。
だが、「いいじゃないの幸せならば」がこの時代を最も濃く表したものに思えるのだ。
そして、あまりに濃すぎるがゆえにあまり歌い継がれないように思える。
だが、この虚無感、今でも十分に通用する。いや今だから再び通用する。
そう思えて仕方ない。

大賞受賞後も「どこへ行こうかこれから二人」「赤頭巾ちゃん気をつけて」
当時の人気テレビドラマ「肝っ玉母さん」の主題歌、盆踊りの定番「二十一世紀音頭」など
歌の仕事もしてはいたが、大賞のジンクスもあってか、ヒットは出せなくなる。
そのためか紅白では洋楽を歌っていた。「オー・シャンゼリゼ」「ラブ・ミー・テンダー」「ハウンド・ドッグ」「オブラディ・オブラダ」…。
「世界の音楽」「サウンド・イン・S」と言う歌番組の司会者だけある。
歌いこなすのには歌唱力がなければチープなものに、しかし彼女はそういうことはなく、硬軟どちらの歌い方もでき、好評を博した。
最後ののヒットはスチールギター入りカントリー・フォーク「ひとり旅」、美空ひばりも持ち歌にしていた。

しかし、作詞・作曲をこなす上に素晴らしいタレント性を持っていた佐良の人気は衰えることは無かった。
国民的人気ドラマ「ありがとう」にも全シリーズ出演。
さらに国民的行事「NHK紅白歌合戦」にも67年から79年まで実に13回連続出場。
そのうち72・74・75・76・77年は紅組司会も担当し、好評を博した。
今観ても、小気味いいしゃべり口・ユーモアセンス・盛り上げ方…実に素晴らしい。

残念ながら80年ごろに吹き出した問題で芸能界に嫌気がさしたのと声帯ポリープを痛めたのが原因で、佐良は事務所を閉鎖した。それは事実上の引退である。

ただ、今でも石井ふく子の舞台「初蕾」では佐良の作曲した音楽が使われている。
まったく芸能界から縁を切ったわけではない。

冷たいのは所属レコード会社のビクター。
ベスト盤ひとつ発売していないというあの当時を代表するスターとは思えない対応である。
以前8曲入りのベスト盤は出ていたがもう廃盤である。
そんな中、<COLEZO!>シリーズの中で「素晴らしいフォークの世界」が復刻された。
なぜベスト盤より先にマイナーなアルバムなのか、理解に苦しむ。

「素晴らしいフォークの世界」自体は半分が当時のヒット曲のカバー、半分は書き下ろしである。
カバー作品・書き下ろし曲、共にレベルが高く、なおのこと、佐良の歌の総決算のようなBOXの類のもの、せめてベスト盤の発売を、そう思わずにはいられない。