梓みちよはナベプロが力を入れてデビューさせた歌手である。
当初は「ボサノバ娘」をキャッチフレーズだった。
その後、田辺靖雄との「ヘイ・ポーラ」がヒットする。
通称「マイ・カップル」、他にも「けんかでデイト」「いつもの小道」をこのコンビでヒットさせる。
そんな中、本当は永六輔のこの誕生を個人的に詞を書き、中村八大が曲をつけた曲が梓に転がり込む。
「こんにちは赤ちゃん」
このささやかながら言いたいことはしっかり言っている詞、口ずさみやすい曲。
人気テレビ番組「夢で逢いましょう」の今月の歌として、世に出たこの歌は話題となった。そして、本命と言われた畠山みどりの「出世街道」を押さえ、レコード大賞を受賞した。梓みちよの健康的なイメージも定着した。
だが、実際は酒もタバコも麻雀もたしなむ梓はやりにくかった。
「私はこんな女じゃない」、やがて曲も売れなくなってきた。
やがて自分のイメージを作った「こんにちは赤ちゃん」を憎むようにもなった。
そして、徐々に自分のイメージを変えていこうと決心した。
「新婚さんいらっしゃい」の司会もイメージチェンジに一役買った。
だが、やはりこの曲なくしてイメージチェンジは語れない。
「二人でお酒を」
この曲は平尾昌章が自身のリサイタル用に書き下ろした作品だった。
それを聴いた梓が是非にと希望し、レコーディングしたのだった。
当時は歌謡曲全盛時代、毎日どこのテレビ局でも歌番組があった。
梓のあぐらをかくパフォーマンスは視聴者の度肝を抜いた。
大好評だった、見事に梓は「大人の女」にイメージが変わった。
この曲のヒットに、ザ・ピーナッツはショックを受け引退の意思をより強くしたと言われている。「ここまでは私たちに出来ない…」
昭和49年の紅白歌合戦では紅組司会の佐良直美以外全員が応援であぐらをかいて
梓の歌に花を添えている。
さらに余談だが、今の女性があぐらをかくことは普通の光景となっている。
その後も「大人の女」路線を突き進み、「淋しがりや」「あかいサルビア」「メランコリー」「よろしかったら」などをヒットさせる。
「良い歌だから」と後輩の歌も躊躇することなく、ステージで披露したり、アメリカで本場の舞台を見て自身の物にしたり、芸の精進は怠っていない。
そのため、レパートリーは広い。
歌は、自信が感じられる歌唱が嫌いという方もいるが、やはり巧い。
「梓みちよの世界」をしっかり確立しているため、カバーも安心して聞ける。
宝塚出身だけあって、もとの芸がしっかりしているのも大きいと思う。
コンサートでは長年「こんにちは赤ちゃん」はあまり歌いたがらなかったが、アメリカでの公演の際の反響がきっかけで、自分の浅はかさに気がついた。
そう40周年のコンサートの際に話している。
「『こんにちは赤ちゃん』が元キーで歌えなくなったら引退する」とも発言。
今は披露するようにはなってきたと思われる。
最近はあまりテレビで見かけないが、たまには良い歌を聞かせて欲しい。
当初は「ボサノバ娘」をキャッチフレーズだった。
その後、田辺靖雄との「ヘイ・ポーラ」がヒットする。
通称「マイ・カップル」、他にも「けんかでデイト」「いつもの小道」をこのコンビでヒットさせる。
そんな中、本当は永六輔のこの誕生を個人的に詞を書き、中村八大が曲をつけた曲が梓に転がり込む。
「こんにちは赤ちゃん」
このささやかながら言いたいことはしっかり言っている詞、口ずさみやすい曲。
人気テレビ番組「夢で逢いましょう」の今月の歌として、世に出たこの歌は話題となった。そして、本命と言われた畠山みどりの「出世街道」を押さえ、レコード大賞を受賞した。梓みちよの健康的なイメージも定着した。
だが、実際は酒もタバコも麻雀もたしなむ梓はやりにくかった。
「私はこんな女じゃない」、やがて曲も売れなくなってきた。
やがて自分のイメージを作った「こんにちは赤ちゃん」を憎むようにもなった。
そして、徐々に自分のイメージを変えていこうと決心した。
「新婚さんいらっしゃい」の司会もイメージチェンジに一役買った。
だが、やはりこの曲なくしてイメージチェンジは語れない。
「二人でお酒を」
この曲は平尾昌章が自身のリサイタル用に書き下ろした作品だった。
それを聴いた梓が是非にと希望し、レコーディングしたのだった。
当時は歌謡曲全盛時代、毎日どこのテレビ局でも歌番組があった。
梓のあぐらをかくパフォーマンスは視聴者の度肝を抜いた。
大好評だった、見事に梓は「大人の女」にイメージが変わった。
この曲のヒットに、ザ・ピーナッツはショックを受け引退の意思をより強くしたと言われている。「ここまでは私たちに出来ない…」
昭和49年の紅白歌合戦では紅組司会の佐良直美以外全員が応援であぐらをかいて
梓の歌に花を添えている。
さらに余談だが、今の女性があぐらをかくことは普通の光景となっている。
その後も「大人の女」路線を突き進み、「淋しがりや」「あかいサルビア」「メランコリー」「よろしかったら」などをヒットさせる。
「良い歌だから」と後輩の歌も躊躇することなく、ステージで披露したり、アメリカで本場の舞台を見て自身の物にしたり、芸の精進は怠っていない。
そのため、レパートリーは広い。
歌は、自信が感じられる歌唱が嫌いという方もいるが、やはり巧い。
「梓みちよの世界」をしっかり確立しているため、カバーも安心して聞ける。
宝塚出身だけあって、もとの芸がしっかりしているのも大きいと思う。
コンサートでは長年「こんにちは赤ちゃん」はあまり歌いたがらなかったが、アメリカでの公演の際の反響がきっかけで、自分の浅はかさに気がついた。
そう40周年のコンサートの際に話している。
「『こんにちは赤ちゃん』が元キーで歌えなくなったら引退する」とも発言。
今は披露するようにはなってきたと思われる。
最近はあまりテレビで見かけないが、たまには良い歌を聞かせて欲しい。