今だから…昭和さ ある男のぼやき

主に昭和の流行歌のことについてぼやくブログです。時折映画/書籍にも触れます。

女とお酒とブルースと…青江三奈の夜

2005-07-19 23:38:35 | 昭和の名歌手たち
青江三奈の記憶…私の世代だと「伊勢佐木町ブルース」の♪タラタッタ タラララ~ ア~
のフレーズくらいしか浮かばない。

私が青江三奈の名を認識したのは、彼女が2000年7月2日に亡くなったと訃報が流れたときである。紅白出場18回の大歌手逝く…。もう当時は歌謡曲について興味を持ち始めていたので、頭にはとめておいた方がいい。後に役立つのでは?の思いがあったのを覚えている。
何よりワイドショーに出ている水前寺清子の憔悴ぶりが強烈であった。

それから約2ヵ月後、テレビ番組「昭和歌謡大全集」の追悼コーナーにて、淡谷のり子・渡辺はま子・池眞理子と、逝った年齢は不足のない大往生の女性歌手(それでも残念ではあった)と共に青江三奈の映像が流れた。「まだ亡くなった気がしません。どこか海外旅行へでも行ったみたいで」とチータは番組内で語り、「恍惚のブルース」のVTRを見ながら、号泣していた。

54歳…【井原静子(本名)は昭和16年5月7日生まれなので享年59歳】あまりに早い死、そして、作曲家花礼二氏(代表曲:国際線待合室)との結婚・遺産騒動…。
ワイドショーで騒がれていた記憶はあるが、肝心の歌の記憶が無い…。
おそらくテレビ東京かNHKでは追悼特番を放送したと思うのだが…。
それを録画しておけば、貴重な財産になっただろうし、故人に対する追悼にもなっただろう。
残念でならない。

その後、私が青江三奈を聴いたのはそれから数年後である。
NHKの30分番組で、司会は水前寺清子。
「盛岡ブルース」や『ふたりのビックショー』での「伊勢佐木町ブルース」の映像が流れていた。
やはり、チータは号泣していた。当時の新曲を歌うときも泣きっぱなしだった。
しかし、あのハスキーな歌声は3年前の私には理解できず、ほったらかしとなった。

それがである、つい2年ほど前から好きになりだしたのである。
きっかけは「恍惚のブルース」、昭和41年の紅白歌合戦の再放送を見たことがきっかけだった。
妙に沁みた。
それからは、徐々に慣らすように永遠のスタンダード歌謡「伊勢佐木町ブルース」「新宿サタデー・ナイト」あたりを聴くようになった。
決め手はたまたまテレビで見た「池袋の夜」の映像。
それからしばらくして、ラジオでも「池袋の夜」。

今や、どんどん歌謡曲に遣って行く私にとって、青江三奈は欠かせない。
MDにも江利チエミ・由紀さおり・布施明・佐良直美・高英男・クールファイブなど共に常に1・2曲収録して携帯している。

夏の夜、私が夜道を歩く時口ずさんでしまう歌は「上を向いて歩こう」より「池袋の夜」や灰田勝彦「燦めく星座」が圧倒的に多い。
晴れた夜、月を見ながら聴く青江三奈はまた格別である。

一度、コンサートに行って見たかった。
お気に入りの歌手の殆どが休業や故人である私はいつもそうやって臍をかむのだった。

もしコンサートのVTRがあるならDVD化して欲しい。
歌手にとって、本来ステージこそ100%以上の魅力を発揮する場所と信じているから…。

裏か表かまた裏か… 「酒場にて」

2005-07-19 11:09:39 | 江利チエミ
江利チエミの数少ない歌謡曲のヒットである「酒場にて」。
(酷い本だと歌謡曲のヒットはこれ1曲だけと書いている本もある)
この歌は初のチエミ艶歌などと紹介されがちだが、実際は違う。
(「この雨に濡れて」や「ひとり泣く夜のワルツ」などがあり、いずれも小~中ヒットの模様)
ただ、離婚騒動や義姉による借金騒動で(一般的に)暗いイメージになりつつあった江利チエミが
「死ぬこともできず今でもあなたを想い」などと歌う。
企画を出したレコード会社も酷い。さすがの本人も渋ったらしい。

実際のところ、インパクトという点はあったとは思う。
が、それだけでは曲は売れない。
(離婚後「ひとり暮らしの詩」なる曲も出していたがヒットには至らず)
やはり曲の良さ(有線でかかりそうな曲)と江利チエミの歌唱にヒットの秘密がありそう。

「初のチエミ艶歌ではない」というのは本当だが、この曲には今までの江利チエミの歌にない新しいものである。
♪消えた~あ~~の部屋~ の節回しはジャズのフィーリングであり、限りなく重くなり勝ち、泥臭くなりがちの曲・詩をサラッとうたってのける。
今まで数人の歌手がこの歌に挑戦しているのを聞いたが、みんな失敗だった。
チエミの歌唱は簡単なようでそこにはしっかりプロの技がこめられていた。

その辺を感じ取ったチエミファン(それでもNOな人はいただろうが)
そして、有線層、チエミに興味が無かった人も「これは」と手を伸ばして、借金返済に大いに役立ったと思われる。
「昔のヒットだけの往年の名歌手」と「現在進行形でヒットを出している大物歌手」
宣伝をする際、どちらがしやすいだろうか?当然後者である。
まして、大看板・江利チエミ。大いにプラスになったであろう。

そしてなんと75年の紅白歌合戦、江利チエミにNHK側からオファーが来た。
「チエミをトリに」という声も上がっていた。
しかし、江利チエミは断った。

68年を最後に、司会2回・当時の最多出場者・大貢献者であるチエミを「ヒットが無い」という
ムチャクチャな理由(アンケートには上位にいたのにも関わらず)、一説には上のお偉方が「飽きた」と一言で切り捨てられたとも、「歌唱力が落ちたから」(42年にポリープ手術)とも…そんなあんまりな理由でベテラン優遇の69年に落選。
落選の反響が凄まじかった+美空ひばり司会ということで、70年にNHKは出場を依頼。
が、チエミは辞退。
「去年より歌唱力が上がったとは思えませんので」
その後、再びひばりの「本来出るべき人がいない。私もそろそろ…」発言でひばりへの配慮で
71年に再び出場を依頼。
「ヒット曲がございませんので」とチエミ、再び一蹴。

ヒットも出た、今度こそ…と3度目の依頼。
逃した魚はデカイ、チエミ・女の意地をみせつけたのであった。

今でも歌い継がれるヒット曲「酒場にて」
江利チエミ晩年のイメージ、まんまと思われがちだが、実際はチエミには当時恋人がいたらしい。
死後、封印されてしまい、「チエミの晩年=暗い、どん底」とテレビでは言われがちだが、仕事も亡くなるまで精力的に行っていたり、雪村いづみとのタッグマッチコンサートや「春香伝」、亡くなった為流れた「エプロンおばさん」(長谷川町子原作)など、どん底の人間がここまで良い仕事を
できるであろうか。まして江利チエミは美空ひばりの好敵手である。
と…こう見るとどうやってみても酷いものではなかっただろうと私は思う。
このことを触れないのは語る人が少ない(今や雪村いづみくらい?)
のと型にはめたがる&テレビ局側にチエミを知る人がいなくなったことが原因だろうか。
ぜひ今後江利チエミをテレビの特集で取り上げる時は「不幸」を強調しないで頂きたい。

と…普通はここで文を終えるが、私はこの曲のB面「陽気なスージー」にも触れたい。
この曲はA面「酒場にて」とはまた違う「新たなチエミ・ソング」であるからだ。
A面とは180度変わって、この歌は底抜けに明るい。
今まで取り組んだことがあまり無いであろうブギのリズム、しかし日本のうた…。
洋楽の江利チエミのイメージを生かしつつ…実はこういう歌は無かった。
江利チエミ/前田憲男の組み合わせが功を奏した、そんな出来でした。
この曲がA面だったら…、「酒場にて」はヒットしました。私も好き。
でも「陽気なスージー」は私の中では特別な1曲、この歌をステージで歌い踊る江利チエミを見てみたかった、きっと水を得た魚のように見事に歌っただろうと思うと残念でもあります。
ぜひ復刻してほしい1曲。
シングルお持ちの方、もう一度ターンテーブルに落として聞いて見てほしい。


※この「酒場にて」は私が初めて買ったEPであります。

意外にも挑戦者・前川清

2005-07-19 02:36:58 | 昭和の名歌手たち
前川清は演歌歌手では無い。
本来、歌謡曲の歌い手である。80年代で歌謡曲のカテゴリーが消滅し、無理やり演歌に流されてしまっただけであり、特にソロ当初はまったく演歌色は無い。

彼のソロデビューは1982年。
萩本欽一の番組でも使われた「雪列車」という曲である。
作詞:糸井重里 作・編曲:坂本龍一
従来の前川清(=クールファイブ)の歌とはまったく違う曲におそらく「えっ」と思った方もいただろう。一方で新たなファンを獲得できたようにも思える。
大ヒットとは言えないがそれなりに成功したように思える。
ちなみに未だにカラオケで男性が結構よく歌うことがあるらしい。

そういう挑戦をてっとり早く纏めたCDがある。
「前川清コレクション 雪列車~ひまわり」(TECE-30304 テイチク)だ。
このCDは前川清がテイチクに移籍し、福山雅治に提供してもらった「ひまわり」までの各種アーティストに書いてもらった曲のベスト盤である。
(正直なところ、ベスト盤では無く、ちゃんとアルバムを作ってほしかった…)

普通のベスト盤とは違い、若干愛情はある作りである。
ピクチャーレーベル、シングル「ひまわり」同様の福山雅治撮影のジャケ…。
「東京砂漠」「そして、神戸」などの代表曲は排除された曲目…。
1 雪列車(坂本龍一)
2 涙(中島みゆき)
3 最後の手紙(村下孝蔵)
4 ファニー(鈴木茂)
5 うつっちゃったみたいな(井上ヨシマサ)
6 北のHOTEL(高見沢俊彦)
7 流木(近田春夫)
8 明日に(2001 Version)(梶原茂人)
9 他の男・別の女(坂本龍一)
10 雨を聴きながら(福山雅治)
11 I Love You So(矢野顕子)
12 なきむし姫の物語(矢野顕子)
13 終着駅 長崎(さだまさし)
14 酔いしれて(村下孝蔵)
15 決断(伊勢正三)
16 ひまわり(福山雅治)

5はヒップホップというのだろうか…とにかく唖然としてしまう出来。
14は素晴らしい出来である。シングルでもいける。

他もなかなかの出来である。さすがといえる。
中島みゆきの2など、ホントにびっくりするぐらいの出来。
10は「ひまわり」のカップリングで、福山雅治のアルバム曲だそうだ。
原曲とは違うボサノバアレンジがまた良い。


しかし…彼の中でもっとも凄いアルバムがある。
「バラードセレクション~明日に」(GRCE-1003 ガウス)
1 明日に
2 恋人
3 涙
4 HOWEVER
5 愛がほしい
6 ラブ・イズ・オーバー
7 花の時・愛の時
8 最後の雨
9 蛍…どこかで
10 真夏の果実
11 抱きしめて
12 乾杯

サザンやGLAYのカバーに自分の名曲…。
ヤフオクに出品されれば毎回1万円をこえる人気商品(もう入手不可)。
私もまだ聞いたことすらない。
ぜひお持ちの方、聞かせてほしいものである。
こういうものこそ再販してほしい…。


一度、騙されて聞いてみてください、前川清を。
恥を捨てて(笑)。予想以上にいいものである。

そして歌は生まれた~恋文

2005-07-19 01:21:09 | 70年代・歌謡曲
「恋文」作詞:吉田旺、作曲:佐藤勝
1973年8月に発売され、スマッシュヒットし、この年のレコード大賞では最優秀歌唱賞に輝いた。由紀さおりの代表曲である。

作詞の吉田旺の弟が、当時由紀さおりの所属していた事務所のスタッフだった。
彼は兄から預かっていた詩を、何の気もなく机の中に入れっぱなしにしていた。
それを由紀さおりのマネージャーが、やはり何の気なしに見つけたのだった。
「候文の歌とは、面白い」と早速この詩を由紀や他のスタッフに見せた。
それが「恋文」だった。

候文の文体そのものに独特のメロディーのようなものがある。
イメージを損なわずに曲をつけることは大変な作業。
「さて…」と考えに考えた結果、黒澤明の映画音楽で著名な作曲家である佐藤勝に白羽の矢が立ったのだった。

彼は詩に2パターンの曲をつけ、持ってきた。
一つ目を由紀やスタッフに見せた後にこう言った。
「実は、もうひとつ作ったんだけど、ちょっと恥ずかしいんですよね。こっちを使うなら、ペンネームを別に作ろうかと思うくらいでね」

由紀は後にこう回想している。
「おそらく、先生にとっては歌謡曲っぽくなりすぎたかな、と躊躇されたのだと思います」

どちらにするか、協議し、由紀が歌っていくうち、彼も「二つ目の方がいいかな」とやっと納得し
こう由紀に言った。
「僕の曲は、3年に1度のペースでヒットするんだ。だからこの曲もヒットするよ」

作曲家・佐藤勝としては「若者たち」(同名ドラマ主題歌)、「昭和ブルース」(非情のライセンス主題歌)などのヒットがある氏がそう自信を持っていっただけあり、この歌はヒットした。
とはいえ、爆発的ヒットではなく、じわりじわりと…というヒットである。

2代目中村鴈治郎(3代目、中村玉緒の父)がワイドショーに出る際、歌は聴かないが、「恋文」は好きで、ぜひにと競演を依頼されたというエピソードがこの歌のヒットの仕方を示すいい例である。

歌詞のイメージは
和服を着た女が巻紙を片手に筆で思いをしたためている、そんな姿が浮かぶ。
当然、ステージ衣装も着物で…とスタッフも考えていた。
が、「あまりに決まりすぎていて、嫌だ」と由紀が反対し、ステージ衣装はドレスに。

歌う際も、「なにぶん、候文ですから、殿方にとって、耳障りにならないよう歌うのに、人には言えない苦労がありました」と後に由紀が語っている。

ちなみに♪アズナブール流しながら~
のアズナブールは、フランスの歌手の名前である。
その辺の絶妙な詩がまた素晴らしい。

聞けば聞くほど…そんな歌である。