華麗なる腑抜けの世界

倦怠感溢れる日々を称揚しつつ

中谷美紀

2006-06-18 16:56:18 | 日々のひとりごと
 私はかつて中谷美紀のファンであった。次に柴咲コウのファンになった。次が仲間由紀恵でその次が長谷川京子である。性的嗜好、つまり女性の好みとは、そうそう変わらないものだなー、と思う。『修羅雪姫 恨み恋歌』の頃の梶芽衣子も好きである。つまりである、目に力がある女性が好きなのである。しかしながら、シジミみたいな目、彫刻刀で掘ったような目の女性が多い。それはそれで趣があってよい。

5年ぶりの天一

2006-06-17 13:41:27 | 外食
 久しぶりに天一こと天下一品にいってきた。京都の屋台から始まった、鶏ベースの濃厚スープで有名な、あの天下一品である。京都にいた時はよく行ったものである。5年ぶりであろうか。
 ところで、天一は本店から離れれば、離れるほど美味しくないという都市伝説がある。その通りだとすると、ホノルル店は相当まずいことになるが、まあ、いい。私が今日行ったのは都下の支店である。ホノルルほどではないが、本店からは相当離れている。とはいえ、フランチャイズなのだから、ある程度規格に沿っているわけで、私の知っている天一の味を享受することが出来た。懐かしさが手伝ってか、美味しく頂くことが出来た。
 ポタージュ系の天一のスープだが、果たしてスープなのだろうか。どうもたれのような気がしてならない。

テポドン2号

2006-06-16 20:52:00 | 社会
 しかしどこまで長閑な民族なんだ、大和民族は。飛んでくるらしいよ。恐らく太平洋のど真ん中にどぼん、ということに相成るのでしょう。しかし日本のどこかに着弾して、街が破壊され、人が死んだ方が、ある意味この国の為なのかもしれないね。平和ボケをさます為にも。でも無理かな。北朝鮮に無碍の人々が拉致され、殺されているのに、ほいほいと経済支援している国だし。もうそろそろお人好しは止めた方がいいよ。マキアベリじゃないけど、隣国にちやほやする国は滅びるというからね。しかもその隣国が普通の国じゃないのに…。

県名

2006-06-16 18:09:06 | 日々のひとりごと
 昨日なかなか思い出せなかった県、佐賀、滋賀、高知。何故思い出せなかったのか。答えは簡単である。旧国名の方になじんでいるから出なかったのである。私の場合、肥前、近江、土佐の方がしっくり来る。肥前、土佐は「薩長土肥」の「肥」と「土」であり、明治維新の際に多くの有能な人材を輩出した。「高知の鰹」より「土佐の鰹」の旨そうだ。土佐犬は強そうだが、高知犬だとしまりがない。「近江牛」なら売れそうだが、「滋賀牛」ではどうだろうか。近江の「江」は日本一の湖・琵琶湖をさすわけだから、近江の方が、私は好きだ。話は逸れるが鮒寿司はうまい。

 そういうわけで、旧国名の方が有名な場合、現県名を忘れてしまうことがある。また県庁の所在地があまり有名な場合も然りである。横浜、名古屋、神戸、仙台が容易に出てきても、神奈川、愛知、兵庫、宮城が出て来ない人も多いのではないだろうか。相模原市、豊橋市、洲本市、気仙沼市の人は憤懣やるかたなしである。

最後の都道府県

2006-06-15 19:46:40 | 日々のひとりごと
 今から全都道府県を思いついた順に書いていきます。一番最後にくるのはどの県でしょう。ちなみに私は東京生まれの神奈川育ち。数年京都と欧州におり(トータルで10年近くになる)、今は神奈川に住んでいる。

 東京、神奈川、千葉、埼玉、山梨、静岡、愛知、岐阜、富山、石川、福井、京都、大阪、奈良、和歌山、三重、ここで一旦つまりまって、高松がある県、愛媛、徳島、鹿児島、大分、宮崎、長崎、熊本、福岡、広島、山口、岡山、兵庫、長野、秋田、山形、宮城、青森、栃木、茨城、群馬、北海道。ここでストップ。カウントしてみよう。38。あと9県。あーんどこだ。新潟があったか。あと8県。最南端の沖縄を忘れていた。あと7県。岩手があったか。あと6県。セットで鳥取と島根を思い出した。あと4県。福島か。あと3県。関東甲信越と関西はOK。四国もOK。あと3県。どこだ。ああああああ。九州はどうだ。おそらくOK。あと3県。どこだ。そういえば佐賀があった。九州じゃん。あと2県。滋賀があった。最後はどこだ。わからない。調べる


高知だった。

私が嫌いな人たち

2006-06-14 22:10:01 | 日々のひとりごと
 狷介。「けんかい」と読む。中学生のとき「いぼすけ」と読んだことをここに告白するが、それはどうでもいい。意味は次の通り。


   けんかい 【狷介】<(名・形動)[文]ナリ
   心が狭く、自分の考えに固執し、人の考えを素直に聞こうとしない・こと。


 どうも私はいぼすけ、いや狷介な人間らしい。多くの友人がそういうのである。そうかもしれない。私を嫌う人は、私のこの性格故に嫌いらしい。私を好く人はこの私の性格故に好くらしい。あと「偏屈」「潔癖性」「わがまま」などともよく言われる。いずれにせよ寛容さがない性格のようだ。


 私はあまり人を憎まないようにつとめている。が、狷介な私のことだから人の好き嫌いが激しくなる。結局私の「誰とでも仲良くしよう」プロジェクトは挫折しているようである。事実、蛇蠍のように嫌っている人間が数人いる。顔も見たくない。声も聞きたくない。そんな連中である。しかしカウントしてみたら6人しかいなかった。中学高校時代のO.M、S.A、大学時代のM.T、M.S、O.A、留学時代のF.K。たった6人である。案外寛容なんだな。
 ところで私はどんな人間を嫌う傾向にあるのだろうか。6体のサンプルがあるのだから、これを手がかりに探ってみようと思う。
 今手元に6枚の紙がある。そこに彼奴ら名前を書く。次に彼奴らのむかつくポイントなどを書き出す。あああ、やらなきゃ良かった。昔の嫌なこと思い出しちゃったよ、と思いつつも作業を続行した。やはり共通点が多い。あまりにも分かりやすい結果が出てしまった。結果はこんな感じだった。

 1. 衒学趣味
 2. 人を見下しがち 
 3. 断定口調 
 4. 虚栄心が強く上昇志向 
 5. 傲慢 
 6. 金銭に対する執着が強い 
 7. 自慢にならない自慢を繰り返す(あるいは友人や身内の自慢話をする)
 8. ミーハー 
 9. 思い込みが激しい
 10. 自己相対化できない
 11. 普段は強気だが、相手が強く出るとおもいっきりビビる 
 12. 人のプライヴェートにやたら立ち入る 
 13. 人のコンプレックスにつけ込む言動が多い 
 14. 人のあら探しが好き
 15. 相手を否定したがる  

 
 こんなところであろうか。重複する部分も多いので、少し整理してみよう。
 まず1の衒学趣味、4の虚栄心、上昇志向、7の自慢話をひとつにして、ふつうにa. 強い虚栄心としよう。つぎに2の見下しがち、3の断定口調、5の傲慢、9の視野狭窄、10の自己相対化ができない、15の相手を否定したがるをまとめて、b. 自分至上主義にする。12から15はまるっと、すりっと(「トリック」の仲間由紀恵風)、c. 他者支配への欲求でいいと思う。6と8と11は保留。
 
 つまりである、我があまりに強く、他者に認めてもらいたいがあまり、なりふり構わずアピールし、それに飽き足らず他者をも支配、否定しようとする奴。あるいは必死のアピールが奏功せずやけくそになり他者を否定しようとする奴が、私はきらいなのである。自分が大事なのは誰でも一緒であるが、それを韜晦するだけの品性を持ち合わせるべきではないか。まー基本的には他者に対する劣等感とか恐れに対する過剰反応なんかがあるんだろうね。

 保留した5の金銭への強い執着だが、それは私が古い価値観の持ち主であり、金金言う人間が嫌いなだけである。もう少し寛大になりましょう。同じく保留した8のミーハーだが、ひとつは「情報通だと思われたい=すごいと思われたい」虚栄心に連なるからで、もうひとつは移ろいやすいものに熱狂する軽薄さゆえであろう。11は「へたれ」だから。自負があるなら突っ張り通して欲しいよ。

 結局行き着くところは一般論でしたね。渋谷の女子校生風に言うならば「自己チュー超ウゼー」である。結局は自己と他者の距離の置き方の問題なのだろう。

 あー。疲れた。
 くだらなくて済みません。

死者のまなざし(日本テレビ「すいか」[再])

2006-06-14 18:12:09 | テレヴィ
 徹夜明け。ふらふらしながら日を過ごし、夕刻帰宅。牛肉のトマト煮を作りながらテレヴィを見ていた。舞台は、古び、朽ちかけているが、どこか瀟酒なアパルトマン。そこに住まう個性豊かな女性たちの日々を、その心の襞まで丁寧に描きあげたヒューマンなドラマである。かといって暗いものではなく、ユーモアに富み、エスプリの利いた作りとなっている。キャストも芸達者ばかりである。
 
 今日はお盆、すなわち死者の帰還の話である。幽霊譚であったが、程度の低いSFでもなければ、下卑たオカルトとも違っていた。「迎えに来るよ」と約束したものの不履行のまま逝ってしまった恋人、死別した双子の姉、社会的に「死んだ」同僚。そんな愛おしくも、二度と逢うことの出来ない人たちとの甘やかな記憶が、今回の肝であった。死んでしまった身近な人間というのは、死してなお、人に影響を及ぼし続けるのである。生き残ったものは、死者に二度と逢えないが(当たり前だが)、死者に対して詫びたいこと、言いたいこと、尋ねたいことを多々残している。でも死者は応えてくれない(当たり前だが)。あたかも人は、死者に対して決して返すことの出来ない負債を抱えているようだ。死者に対する人々の強い思い入れが、人々に幽霊を見せているのであろう。死者を思う「我」は、死者に見つめられ、死者に声をかけられている「我」なのである。
 
 浅田次郎の小説などにはよく幽霊が出てくるが、あれはもう逢うことが出来ない愛しい者への切ない思いを効果的に表現している(小説の手法としては手あかがついたものなのだろうが)。「英霊の聲(こえ)」が聞こえるのも、国に殉じた人たちへの感謝の気持ち、詫びたい気持ちがあるからであろう。かほどに、死者の力は大きいのである。私は仏教徒でも神道の信者でもない。オカルトにも否定的である。しかしそういう「幽霊」の存在は認めている。

初めてのサッカー観戦(NHK・BS1「2006FIFAワールドカップ・G組 韓国×トーゴ」)

2006-06-14 00:52:14 | テレヴィ
 「日本初戦、に敗れる」(朝日新聞朝刊)。サッカーである。盛り上がってます。ひとつサッカー観戦でもしてみようと思い、韓国×トーゴ戦をテレヴィで見てみた。初めてのサッカー観戦である。昨日もちょっとだけ見たのだが、あれは見た部類ではない。今日は真剣に見た。春のWBC以来のスポーツ観戦である。その前にスポーツ観戦をしたのは、アテネパラリンピックのフェンシングである。

 なかなかおもしろかったし、興奮した。私はサッカーを語る為に必要な語法を持ち合わせていないが、少し感想を述べたいと思う。まず・・・・。ああ、もうダメだ。おもしろかったのだが、うまく表現できない。ああああああ。なんせ初めてのことで。

 ただ感じたことがある。トーゴの選手は身体能力値が高い。ただ緻密さが感じられず、あきらめが早い。そのように感じた。韓国の選手は戦略戦術に長け、精度が高く、勝利に執着する熱烈たる気概が感じられた。大雑把に言えば、トーゴは体で、韓国は頭で勝負していた。トーゴ人の鍛え上げられた身体が織りなすリズミカルなプレー、韓国人の頭脳と情念が生み出す巧みなプレー、いずれも素晴らしかった。トーゴが斧なら、韓国はカミソリといったところか。どっちが極端に優位に立つでもなく、緊張感が漂う試合運びであった。よくわからないが、アフリカ人とアジア人の資質の違いが顕著にあらわれていたのではないだろうか。うう。これが私が生まれて初めて記したスポーツ感想文です。

 正直なところ韓国という国はあまり好きになれない。しかし良い試合を見せてくれてありがとう(特にアン選手となべやかんに似た選手のプレーはゾクゾクするものがあった)。韓国のプレーヤーおよびサポーターには、品性とゆとりのある態度であとの試合に臨んで欲しい。少なくともグラウンドに太極旗を立てないように。負けたとき、焼身自殺をしないように。あと日本が負けたとき、必要以上に喜ばないように。

似て非なるもの

2006-06-13 15:14:41 | 政治
 味噌。よく似ているが、ものは全然違う。では下の写真を見ていただこう。


 写真A

 
 写真B


 よく似ているが、別人である。

 写真Aはやっかみ抜きにしても底辺レヴェルの国会議員・杉村太蔵氏である。テレヴィやゴシップ誌でよく見る顔だ。最終学歴は大学中退(筑波だがテニス推薦で入学し、留年を繰り返す)、すなわち高卒。外資系証券会社に勤務(派遣社員)。浮かれた面を晒しつつ放言(呆言)。大いにひんしゅくを買う。言動に品格なし。政策も持論も持っていない。ニート、フリーター、ヒラリーマンの味方を装いつつ、腹ではそれらを見下していることが、言葉の端々から読み取れる(ブログを見れば明らかです)。真偽のほどは知らないが醜聞多し。婚約報告の為に職場放棄することも。無能なのに傲慢という、最悪な男である。
 
 写真Bは、民主党の小川淳也議員である。東大卒。官僚出身。大好物はうどんである。杉村(←呼び捨て)同様一回生議員。予算委員会では麻生太郎と中川昭一を説教する。初めは「何様のつもりか」と思ったが、言っていることは正論であり、嫌味もなく、熱い何かが感じられ、私は感心してしまった。説教する相手が相手だけに、肝も座っているのだなあ、思った。今現在、与謝野馨(「みだれ髪」孫)に質問をしている。民主党議員に見られがちな不毛な揚げ足取りもなく、さわやかである。はっきりものを言うが、棘がない。話し方もエレガントである。

 少し顔が似ているだけで、小川議員が、「よう、タイゾー」などと声をかけられていたら嫌だな、などと案じている。「この国を変えたい。この国の政治を変えたい。熱い思いと多くのみなさまの共感を胸に」活躍される小川議員と、「自分の暮らし向きを変えたい。この国の政治などどうでもいい。辛辣な批判と多くのみなさまの反感」を喰らっているタイゾー。一緒にしちゃいかんよ。