華麗なる腑抜けの世界

倦怠感溢れる日々を称揚しつつ

死者のまなざし(日本テレビ「すいか」[再])

2006-06-14 18:12:09 | テレヴィ
 徹夜明け。ふらふらしながら日を過ごし、夕刻帰宅。牛肉のトマト煮を作りながらテレヴィを見ていた。舞台は、古び、朽ちかけているが、どこか瀟酒なアパルトマン。そこに住まう個性豊かな女性たちの日々を、その心の襞まで丁寧に描きあげたヒューマンなドラマである。かといって暗いものではなく、ユーモアに富み、エスプリの利いた作りとなっている。キャストも芸達者ばかりである。
 
 今日はお盆、すなわち死者の帰還の話である。幽霊譚であったが、程度の低いSFでもなければ、下卑たオカルトとも違っていた。「迎えに来るよ」と約束したものの不履行のまま逝ってしまった恋人、死別した双子の姉、社会的に「死んだ」同僚。そんな愛おしくも、二度と逢うことの出来ない人たちとの甘やかな記憶が、今回の肝であった。死んでしまった身近な人間というのは、死してなお、人に影響を及ぼし続けるのである。生き残ったものは、死者に二度と逢えないが(当たり前だが)、死者に対して詫びたいこと、言いたいこと、尋ねたいことを多々残している。でも死者は応えてくれない(当たり前だが)。あたかも人は、死者に対して決して返すことの出来ない負債を抱えているようだ。死者に対する人々の強い思い入れが、人々に幽霊を見せているのであろう。死者を思う「我」は、死者に見つめられ、死者に声をかけられている「我」なのである。
 
 浅田次郎の小説などにはよく幽霊が出てくるが、あれはもう逢うことが出来ない愛しい者への切ない思いを効果的に表現している(小説の手法としては手あかがついたものなのだろうが)。「英霊の聲(こえ)」が聞こえるのも、国に殉じた人たちへの感謝の気持ち、詫びたい気持ちがあるからであろう。かほどに、死者の力は大きいのである。私は仏教徒でも神道の信者でもない。オカルトにも否定的である。しかしそういう「幽霊」の存在は認めている。

最新の画像もっと見る