華麗なる腑抜けの世界

倦怠感溢れる日々を称揚しつつ

冥王星

2006-08-31 06:44:39 | 日々のひとりごと
 惑星から外れるそうです。ホルストの組曲「惑星」にも、冥王星という楽章はありませんでしたね。冥王星発見の時期的に、作曲が出来なかったらしいです。
 困るのは占い好きの人たち?

言葉の乱れ

2006-07-26 20:10:38 | 日々のひとりごと
 まずは下の記事から。



怒り心頭に「達する」7割 文化庁の日本語調査

 激しく怒る意味の慣用句として、本来の「怒り心頭に発する」を使う人が14・0%にとどまったのに対し、「怒り心頭に達する」を使う人は約5倍の74・2%に達するなど、慣用句の誤用が多いことが26日、文化庁の日本語調査で明らかになった。
 文化庁は「日常であまり使わなくなった結果、本来の言い方が分からなくなったのではないか」としている。
 調査によると、周囲の人に明るく振る舞うという意味の言葉として「愛想を振りまく」を選んだ人は48・3%。本来の言い方の「愛嬌(あいきょう)を振りまく」の43・9%より多かった。
 はっきりと言わないことを意味する慣用句「言葉を濁す」は66・9%で本来の言い方が上回ったが、「口を濁す」も27・6%に上った。



 ひどい話であるが、私自身も人のことは言えない。二十歳過ぎまで「役不足」の意味を間違えていた。「力不足」と同義だと思っていた。たとえば「谷垣禎一氏、財務大臣には役不足」という文の場合、「谷垣氏が財務大臣だって。はぁ。谷垣氏には実力不足でしょ」という意味でとっていた。正しくは「谷垣氏くらいだったら財務大臣じゃ物足りないだろう」の意味である。まー谷垣氏は大臣の器じゃないんだけど。
 この文化庁のレポートについては、NKHでも報道された。そして同局は、同じ時間帯に「富山のケースの場合では」という、珍妙な日本語を用いていた。
 私もよく「最もベター」などというおかしな表現を使うが。そりゃ「ベスト」だよ。

同姓同名?

2006-07-14 21:36:22 | 日々のひとりごと
 抗鬱剤・パクシル(パキシルという表記の方が一般的か?)について調べていたら下の記事に行き当たった。


 朴実さん:新曲「チョロプ」発表 在日コリアン2世の音楽家 /京都

◇卒業式での君が代演奏に抗議の意思込め
在日コリアン2世で、朝鮮の民族文化を紹介するグループ「ハンマダン」代表の音楽家、
朴実(パクシル)さん(62)=伏見区=が7日、朝鮮民族打楽器と西洋楽器によるアンサンブルの新曲を発表した。
題名は「卒業」を意味する「チョロプ~3・23~」。
2人の子供が通った京都市立小の卒業式での君が代演奏を止められなかった思いなどを音楽に託した。
 
きっかけは、87年の二男哲(チョル)さん(31)の卒業式。「君が代は植民地支配の責任者である天皇を称える歌。
子どもに強制するのは親として残酷」と、学校側に演奏取り止めを求めたがかなわず、当日は哲さん、
5年生だった長女幸子(ヘンジャ)さん(30)と演奏時に退席、抗議の意思を示した。
 
この時の悔しさを音楽に、と構想して19年。朝鮮音楽特有の変拍子を西洋音階にするとイメージ通りにいかず、
修正を重ねて昨年末に完成した。曲中では4種類の朝鮮の打楽器がリズムを刻む一方、
ピアノなど5種の西洋楽器が君が代の旋律を不協和音で奏で、朴さんの心象を表現する。
 
この日、上京区であった初演は、朴さんの母校・京都市芸大の同窓会の協力で実現。
「ハンマダン」メンバーでもある哲さん、幸子さんと朴さんの親子、同大の大学院生ら計10人が共演した
。初演を終えた朴さんは「『何が始まるのか』と会場の空気に緊張感があり、こちらも緊張した」とほっとした様子。
そして「いずれは大編成のアンサンブルにも挑戦したい」と意欲を見せた。【武井澄人】

5月8日朝刊
(毎日新聞) - 5月8日14時0分更新



 私は薬品の知識を得たかっただけだが、この記事に出会ってしまった。三つだけコメントしておく。

 1. 他国に住まう場合、私はその国の文化を尊重すべきものだと思うし、事実在外期間中、私はその国の文化的コード(規範)に即した生活を送ってきた。

 2. 数年前、フランスにおいてサッカーの試合がとりおこなわれた。開会式のプログラムに国歌斉唱があったのだが、一部の観客が国家を冒涜するという騒ぎがあった。招かれていたシラク大統領は怒って席を離れてしまい、一時式が中断するに至った。シラク大統領の態度は適切なものだと思う。

 3. 「西洋楽器が君が代の旋律を不協和音で奏で」たことについて。表現の自由は認められているし、これもひとつの芸術のあり方かもしれない。黒人発祥の音楽、ロックなどは確かに「反抗」を属性として持っている。しかしそれが認められるのは、メッセージ性と芸術性とが高い場合だけである。パクシル氏の場合はどうだろうか。

 パクシルを飲んで寝ます。
 

言う人間によって意味が変わる

2006-07-11 20:25:56 | 日々のひとりごと
 友人からメールをもらった。中に「結婚するなら何人でも良い」とあった。意味が分からない。唐突にそのフレーズがあったため、前後から文の真意を推し量ることが出来ない。問題は何人である。なんと読めばいいんだ。読み方によって意味が変わってくる。3パターンある。

 1.なんぴとと読む場合:結婚相手は誰でも良いという意味になる。
 2.なにじんと読む場合:結婚相手の国籍は問わないという意味になる。
 3.なんにんと読む場合:一夫多妻でも構わないという意味になる。

 書いた人が結婚を焦っている場合は1であろうし、外国人との交流が多い人であれば2だろうし、反社会的な思想の持ち主で、なおかつ好色な人間であれば3であろう。
 しかしながら、私にメールを書いた人物はパリ在住の艶福家(プレイボーイ)で、常軌を逸した行動が多く(というより気違いじみたところがあり)、なおかつ結婚を焦っている人物なのである。真意が読めません。

若き日の黒柳徹子

2006-07-09 19:28:31 | 日々のひとりごと
 ♪るーるる るるる るーるる



 「徹子の部屋」ではありません。右側の女性は、ウクライナの首相であらせられるユリア・ティモシェンコ女史であります。左側は麻生外相です。ティモシェンコ首相は元ガス会社の社長、麻生外相は元セメント屋の親分。奇遇です。
 わたしはすごく似ていると思うのです。いやいや、ティモシェンコさんと麻生さんの経歴ではなく、ティモシェンコさんと黒柳徹子さんのルックスが。そう思いません?


▲ユニセフの仕事をしているときの黒柳さんはこんな真剣な顔をしていますね。


▲若い頃の黒柳さんはこんな感じ? 


▲何か言いたげです。


▲歳を重ねるとこうなるのでしょうか?♪るーるる るるる るーるる

2006-06-24 20:03:35 | 日々のひとりごと
 まずは報道から。 


 「(EPA=時事)ギネスワールドレコードに世界最高齢として登録され、豪州の動物園で飼育されていた176歳のカメが22日、死んだ。「ハリエット」という名のこのカメは1830年にガラパゴス諸島で生まれたメス(03年撮影)」


 ご冥福をお祈りします。1830年生まれとは、恐れ入谷の鬼子母神でございます。1830年といえば、江戸時代です。和暦で天保元年。天皇は仁孝天皇、将軍は徳川家斉。1830年がどんな年だったかは、こちらをご覧ください。この亡亀(そんな表現はないと思うが)って、大久保利通や吉田松陰とタメなのね。
 白人のお姉様お二人にちやほやされてご満悦の亀翁。まー、女性も亀が好きですし。

出る杭は打たれる国・ジャポン

2006-06-23 17:40:45 | 日々のひとりごと
 堀江貴文、村上世彰、日銀の福井総裁。確かにまずいことをした。
 たしかに堀江、村上両氏は天下の御法を犯した科人ではある。しかし、似たようなことをしている者はいくらでもいるではないか。何故、彼らだけがさらし者になったのだろうか。
 福井総裁に関しては、現段階ではなんとも言えないが、少なくとも「道義的責任」に問われているだけであり、決して犯罪者ではない。「道義的責任」というのは「あんた、こりゃたしかに罪は犯しちゃいねぇが、心が痛まないかい?」レヴェルのものである。それなのに声高に辞任を求めるものの多さに驚き呆れた。日本人はそこまで潔癖な民族だったのかね。
 ともかく世間はちく騒ぎ過ぎではあるまいか。
 何故騒ぐかと言えば、村上氏ではないが「儲かり過ぎたから」である。「儲かってうらやましいな。いいな。いいな。いや待てよ。きっと悪いことでもしてるんだろう。そうだ、そうだ。そうに違いない。悪いことでもしなきゃ、あんなに儲かるはずがない。悪だ。ショッカーだ。貧しい俺たちこそ正しいんだ」みたいに。ニーチェが喝破しているように、一部のキリスト教は「強者」を「悪」、「弱者」を「善」とすることで、みじめな大衆を慰撫していた。構造はこれと同じ。貧富と善悪を同じ土俵で取り組ませちゃいかんよ。
 村上氏が嫌われるのは、儲け過ぎたからでなく、やり方が悪かったからだと麻生外相は言った。つまり嫉妬からではなく、遵法精神というか倫理観から村上氏を叩いたのだと。それも一理ある。が、やはり多くの人々は、違法行為よりも、儲け過ぎたことのほうがおもしろくなかったのではないか。秀でるものは妬まる。妬むだけならよいが、秀でたものを悪しきものとして叩くのは、日本の情けないところである(日本に限ったことじゃないかもしれないけど)。
 しかし「勝ち組」なら、「出る杭は打たれる」というジャポンの精神風土を理解し、韜晦に勤めるべきではなかったか。

ブランショ

2006-06-22 12:45:43 | 日々のひとりごと
 今日はブランショの『終わりなき対話(L'ENTRETIEN INFINI)』を読んでいる。レヴィナスやバタイユはしこたま翻訳が出ているのに、なぜかブランショの翻訳は少ない。あったとしても高価である。『終わりなき対話』も未だ翻訳が出ていない。お粗末な語学力で読んでいる。今日は「Connaissance de l'inconu」のところ。「不可知なものを知ること」という意味である。今現在、私がおかれている状況は「不可知なものを知ることとは何かがわからなくてどうしてよいかわからない」といったところであろうか。


 ところでブランショは、ほとんど写真を残さなかった。右上の写真は数少ないブランショの写真のひとつである。誰かに似てるなー、と思ったらデビッド・ボウイだった。


             


 あるいは「007 美しき獲物たち」でこの上なくユルイ芝居をみせてくれた時のクリストファー・ウォーケンにも似ている。    
 目の光り具合では、「怪奇大作戦(23話・呪いの壷)」に出てくる壷屋のあんちゃん(花ノ本寿)にも似ている。


               



 関係ないけど三船美佳って、AV女優のなんとか蘭に似てません?