日韓外相会議で、「人類のもっとも遠い親戚である」朝鮮族の外相もどきが、拉致問題について「協力できる部分があれば協力する」だって。
まったくもって他人事だ。
自分の国の方が、被害者が多いにもかかわらず、こいつらにはまともな感覚を望む、というのはやはり無理のようだ。
聞けば、あの国のやつらは、実際拉致被害者に対して冷淡だそうな。
なぜなら、拉致された人の大半が「漁民」だかららしい。
「どうせ漁民だ」と思っているとか。
さすがは、差別大国。
在日に対しても、その差別意識は相当なものらしいが、こんな国とまともな話し合いなどできるはずがない。
さて、そんな中、高橋クンは相変わらずのどかだ。
今日の天声人語。
ノルウェーの劇作家イプセンの没後100年ということで、日中・日韓問題がこじれていようが、子供が狙われた犯罪が多発してようが、まったく関係なくわが道を行っている。
文章の組立ては、もはや芸術の域(?)に達しつつある。
最初は、同郷の画家ムンクを登場させるが、これももちろんイプセンの前座にすぎない。
そして、わけのわからない展開の後、最後はこう締める。
『時は移った。しかし、世の中の制度と人間との間には、悩ましいものがあり続けている。そこに光を当てたイプセンは、今もなお新しい』
では、イプセンがいったいどこに光を当てたのか。
実は、文章を読み返しても、どこにも書いていない。
唯一、夏目漱石の「三四郎」の中の一節『イブセンの人物は、現代社会制度の陥欠を尤(もつと)も明かに感じたものだ。吾々も追々あゝ成つて来る』があるだけ。
つまり、自分がそう思ったのではなく、夏目漱石が小説の中で、主人公に語らせた言葉を、具体的な例をあげることなく、取り上げているだけなのだ。
どうだろう。
これもまた入試に出してほしい文章だ。
イプセンを取り上げる感覚もよくわからないが、自分の意見は一切言わない、徹底したこの姿勢は、さらにわけがわからない。
まったくもって他人事だ。
自分の国の方が、被害者が多いにもかかわらず、こいつらにはまともな感覚を望む、というのはやはり無理のようだ。
聞けば、あの国のやつらは、実際拉致被害者に対して冷淡だそうな。
なぜなら、拉致された人の大半が「漁民」だかららしい。
「どうせ漁民だ」と思っているとか。
さすがは、差別大国。
在日に対しても、その差別意識は相当なものらしいが、こんな国とまともな話し合いなどできるはずがない。
さて、そんな中、高橋クンは相変わらずのどかだ。
今日の天声人語。
ノルウェーの劇作家イプセンの没後100年ということで、日中・日韓問題がこじれていようが、子供が狙われた犯罪が多発してようが、まったく関係なくわが道を行っている。
文章の組立ては、もはや芸術の域(?)に達しつつある。
最初は、同郷の画家ムンクを登場させるが、これももちろんイプセンの前座にすぎない。
そして、わけのわからない展開の後、最後はこう締める。
『時は移った。しかし、世の中の制度と人間との間には、悩ましいものがあり続けている。そこに光を当てたイプセンは、今もなお新しい』
では、イプセンがいったいどこに光を当てたのか。
実は、文章を読み返しても、どこにも書いていない。
唯一、夏目漱石の「三四郎」の中の一節『イブセンの人物は、現代社会制度の陥欠を尤(もつと)も明かに感じたものだ。吾々も追々あゝ成つて来る』があるだけ。
つまり、自分がそう思ったのではなく、夏目漱石が小説の中で、主人公に語らせた言葉を、具体的な例をあげることなく、取り上げているだけなのだ。
どうだろう。
これもまた入試に出してほしい文章だ。
イプセンを取り上げる感覚もよくわからないが、自分の意見は一切言わない、徹底したこの姿勢は、さらにわけがわからない。
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