相次ぐ捏造が非難され、そのことを記事にした週刊誌の広告掲載を拒否した朝日新聞が、今度は池上彰氏にも、連載中止を申し出されたそうだ。
理由は「朝日新聞は謝罪すべきだ」と書いたから、だとか。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1808278.html
文句を言うヤツは、すべて拒否するつもりらしい。
もうムチャクチャだ。
そんなこんなで、実は結構反省はしているのかと思いきや、まったくそうではないようだ。
しかも、社内では「誤った情報をまき散らす反朝日キャンペーンには断じて屈しない」とかいうメールを社員に発信しているみたい。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1808422.html
この中で、あの東電の「吉田調書」について、『「朝日新聞が書かなければ永久に世の中に知られることがなかったかもしれない衝撃の事実の連打で、これぞ価値ある第一級のスクープ」と自賛』しているなんて、完全に頭がイカれているとしか思えない。
新聞社としての良心の欠片もないわけだけど、看板コラムである天声人語も何が何だかわけがわからなくなってきている。
例によって、全文引用する。
<9月4日の天声人語>
中国料理の東坡肉(トンポーロウ)は日本でもおなじみの豚の角煮だ。その名前は、宋代の詩人にして役人だった蘇東坡(そとうば)に由来する。東坡は号で、本名は蘇軾(そしょく)。食道楽でもあったらしい▼エリート官僚ではあったが、当時の官界は政争が激しかった。40代半ばで都の南、湖北省の黄州(こうしゅう)に流される。その後、許されて、かなりのポストに就いたものの、60歳を過ぎてまた、さらに南の海南島に左遷される。浮沈の大きな人生だった▼黄州での作品に「寒食(かんしょく)」をうたったものがある。寒食とは冬至から105日目、火を使わず、作り置きの冷たい料理を食べる行事だ。詩は、皇帝のいる朝廷からも郷里からもはるか遠い身の上を嘆き、〈也(ま)た塗(みち)の窮するに哭(こく)せんと擬(ほっ)す/死灰(しかい) 吹けども起(た)たず〉と結ばれる▼人生に行きづまり、もはや道がないことを慟哭(どうこく)しようにも、燃え尽きた灰のように、その力さえ残っていない――。暗く悲痛な調べである。もっとも実際には日々の暮らしを楽しんだらしい。畑を耕し、友と会い、酒を酌みかわす。生涯の中でも優れた作品がこの時期に生み出されている▼寒食ならぬ冷や飯をいかに食うか。不遇を肥やしにするくらいの気合で乗り切れるか。それが、その人物の器の大小を左右するのではないか。後世に名を残した蘇軾の生き方にそう感じる▼きのう内閣改造と自民党役員人事があり、登用された者より退けられた者の身の処し方について考えたくなった。とりわけ、おととし政権を追われた民主党の現状を思いつつ
一言。
何が言いたいのかさっぱりわからない。
何なんだ「登用された者より退けられた者の身の処し方について考えたくなった」って。
気に入らないのなら、そう書けばいいのに、この文章だけでは何もわからない。
それと、今さら民主党の名前が出てくるのも意味不明。
一連のゴタゴタのせいで、いよいよ天声人語子も頭が混乱してきたのか?
もしかして、ホントに「朝日新聞の『終わり』の始まり」なのかも知れない。
理由は「朝日新聞は謝罪すべきだ」と書いたから、だとか。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1808278.html
文句を言うヤツは、すべて拒否するつもりらしい。
もうムチャクチャだ。
そんなこんなで、実は結構反省はしているのかと思いきや、まったくそうではないようだ。
しかも、社内では「誤った情報をまき散らす反朝日キャンペーンには断じて屈しない」とかいうメールを社員に発信しているみたい。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1808422.html
この中で、あの東電の「吉田調書」について、『「朝日新聞が書かなければ永久に世の中に知られることがなかったかもしれない衝撃の事実の連打で、これぞ価値ある第一級のスクープ」と自賛』しているなんて、完全に頭がイカれているとしか思えない。
新聞社としての良心の欠片もないわけだけど、看板コラムである天声人語も何が何だかわけがわからなくなってきている。
例によって、全文引用する。
<9月4日の天声人語>
中国料理の東坡肉(トンポーロウ)は日本でもおなじみの豚の角煮だ。その名前は、宋代の詩人にして役人だった蘇東坡(そとうば)に由来する。東坡は号で、本名は蘇軾(そしょく)。食道楽でもあったらしい▼エリート官僚ではあったが、当時の官界は政争が激しかった。40代半ばで都の南、湖北省の黄州(こうしゅう)に流される。その後、許されて、かなりのポストに就いたものの、60歳を過ぎてまた、さらに南の海南島に左遷される。浮沈の大きな人生だった▼黄州での作品に「寒食(かんしょく)」をうたったものがある。寒食とは冬至から105日目、火を使わず、作り置きの冷たい料理を食べる行事だ。詩は、皇帝のいる朝廷からも郷里からもはるか遠い身の上を嘆き、〈也(ま)た塗(みち)の窮するに哭(こく)せんと擬(ほっ)す/死灰(しかい) 吹けども起(た)たず〉と結ばれる▼人生に行きづまり、もはや道がないことを慟哭(どうこく)しようにも、燃え尽きた灰のように、その力さえ残っていない――。暗く悲痛な調べである。もっとも実際には日々の暮らしを楽しんだらしい。畑を耕し、友と会い、酒を酌みかわす。生涯の中でも優れた作品がこの時期に生み出されている▼寒食ならぬ冷や飯をいかに食うか。不遇を肥やしにするくらいの気合で乗り切れるか。それが、その人物の器の大小を左右するのではないか。後世に名を残した蘇軾の生き方にそう感じる▼きのう内閣改造と自民党役員人事があり、登用された者より退けられた者の身の処し方について考えたくなった。とりわけ、おととし政権を追われた民主党の現状を思いつつ
一言。
何が言いたいのかさっぱりわからない。
何なんだ「登用された者より退けられた者の身の処し方について考えたくなった」って。
気に入らないのなら、そう書けばいいのに、この文章だけでは何もわからない。
それと、今さら民主党の名前が出てくるのも意味不明。
一連のゴタゴタのせいで、いよいよ天声人語子も頭が混乱してきたのか?
もしかして、ホントに「朝日新聞の『終わり』の始まり」なのかも知れない。
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