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www.prosveta.ch(出典)
個人的見解なんですが、ずっとこう思っていました。
書き手って自分の作品を矢も楯もたまらず書く。
そして、書いて書いて書き続けて、あるとき、気づく。
歴史という存在だ。
もちろん、リサーチを普段からしている。雑学がある。
だから本格的に歴史に触れることは割と率が高いと思います。
そして気づくんです。
歴史には個人の思想は適わない。
そして個人の限界を悟る。
私はここが、その書き手の1つの転機になると思っていました。
そしてそのあとに来るのが、宗教なんです。
歴史の良くも悪くも出来事を見ていくと、最後には宗教に行きつく。
私の好きな作家たちもそうでした。
だから、ここら辺はかなり確実な考えでした。
でも、ここまで来てしまうと次に来るもの…ない。
作家はそこが1つのあがりだと思っていました。
作家はそこがどんづまり、そうとらえていたんですが…。
ある日、松本清張作のドラマをCSで見ていて、目からうろこが落ちました。
ドラマなので、清張さん本人がお書きになった台詞かどうかは判りません。
でも、確実に脚本を書いた人間は書いている。
なにも書くことがなくなったとき、その者は、そのとき、本物の作家になるんだ。
目からうろこですよ。
今まで思っていたことと真逆の考え方なんだもん。
あがりじゃなくて、完成する。
でも更に考えてみると、逆も真なりなんですよね。
紙一重っていうか。
書きたいと思うことと、作家というのは、別物なんです。
成仏したっていうか。
そこはもう段階が違うさの世界でした。
あ…成仏できるのか。
学ぶことなど、本当にたくさんあります。