「エビ―タ」エバ・ペロンは意外と親日家だった

2013-12-11 16:19:59 | 日記風


 劇団四季やマドンナの映画で有名になったアルゼンチンの大統領夫人だ。

 1919年にパンパス草原のフニンでロス・トルドスでバスク系アルゼンチン人の未婚のコック、フアナ・イバルグレンと妻帯者の農業所有者のフアン・ドゥアルテ都の間に5人の内の1人の私生児として生まれた。

 15歳で首都ブエノスアイレスに出て、女優を目指し、男を踏み台にしてファン・ペロンと結婚し大統領夫人となる。

 貧困層出身の彼女は親しみを込めて「エビ―タ」と呼ばれ、今もまだ愛され続けている。


 力強い女性としてミュージカル、映画共に絶賛を受けた。
 彼女の最期の夢は副大統領になることだった。

 しかし33歳で癌で死去する。

 ミュージカルナンバーで100年生きられたらどんな夢も叶うと歌う歌は切なくて心を打つ。
 
 
 本物のエバ・ペロン


 このエビ―タは、意外なことに親日家だったという。
きょう
 まだ15歳になってブエノスアイレスに出る前に、小学校を卒業し、アルゼンチンに移住してきた日本人の経営する「カフェ・ハポネス」で働いていた。

 ビトロレ―ラという店にある大型レコード・プレイヤーのゼンマイをまく仕事だったらしい。
 たいがいこの仕事は客寄せの意味もあり、美少女が務めるのが常だった。

 女優としてよりもラジオでの活躍が目覚ましかったエビ―タとしてはなんだか、運命的な仕事だったような…。

 どちらかというと、いい仕事ではなかったが、店の人に親切にしてもらい、それまで私生児として扱われていたエビ―タにずい分影響を与えたようだ。

 後年、大統領夫人になってから、貧困層の人々の意見を聞いた彼女に影響を与えたのかもしれない。

 今年はあまりゴロはよくないが、没後61年になるらしい。
 昨年は50周年の記念として彼女の顔がアルゼンチン・ペソ紙幣に印刷された。




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