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少し前、家族に病人がいて、そのことでしばらく重く苦しく悩んでいたことがった。
そういう話を少しはする。でも聞いても面白くないだろうと思うからあまり深い話はしない。
それでいて…。
その家族の病気で悩んでいた頃、2回ほどある人々から言われたことがあった。
その方々も具合が悪いらしいのですよ。
だからと言って家族がいない。だから誰か面倒見てくれる人が欲しかったのか、はたまた他の何らかの具体的なアドバイスが欲しかったのか。
具合が悪くてという相談…のようなもの受けた。
こういうのってこちらとしては、手が空いている余暇の時間に来る。
やっと家族の病気から離れて、自分の時間になった所へその話が来る。
これって、こちらにとってはきついのよ。やっと病気の話から離れて自分の時間で好きなことをできるときにまた病気の…今つらいんだという話は…正直心をえぐられるようなもので、私は自分の余暇であってもまた病気の話をされなければならないのかと恨みがましい気持ちまで抱いてしまう。
その話をする側も困っているんだと思う。
けれどいう相手を間違っているわよ。
家族に病人がいる人が、それを差し置いて他の人を助けたりしないものよ。
家族に病人がいて、苦しくても、それを置いておいて、他の人の面倒を診るってないわよ。
単に病気の家族の世話をしているというと、優しい人って思ってしまうんでしょうね。だからきっと力になってくれると、単純に考えているんだと思う。
苦しんでますわよ。
その2人ほど、具合が悪くて…という話をされた方々は、両方とも腰が悪かった。
年齢を考えれば、それもあるだろうと思えるし、それはうちの親もかつて言っていたので、これは簡単にどうにもできないと思う。
病院に通うとか、必要があれば市や区の福祉を頼るとか…そういうことしか言えないわ。
けれど不思議だった。
何故、病気のことで苦しんでいるのに、また病気話がきてしまうのか。
そういう流れでそうなってしまうのかもしれない。
けれど助けてほしいと思っているのは私なのに、他の人に助けてほしいと言われても…実際何もできないわよ。
まして、更に精神的負荷をかけられると思えば、避けるようになる。
私自身が持たなくなるから。
どんな関係であっても、病んでいるとき、貧困のとき、共につらいと思う。
こういうときに本当に助けてくれる人が大切なのだと思う。
そういう人間関係を築いておくしかないのかなと思うが、これは意外な人が意外なときに助けてくれるというのもまたあるにはある。
困ったとき、いろんな人を頼るしかないのかと思う。
けれど具合が悪いと言ってる人、家族に具合が悪い人がいると言っている人は避けてあげて。
すでに手一杯に苦しんでいるから。
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