『トニオ・クレーゲル』より

ハンス、君はあの街角のところで僕に約束してくれたように、本当に『土曜日の本』を読んだだろうか。
そんなことはやめたまえ。
僕はもう君にそれを求めたりしない。
誰かに一所懸命つくった詩集を焼き捨てられて、死のうとするような学生詩人の話が君に何の関わりがあるだろう。
君は文学と冷たい孤独とを見つめて、その明るく澄んだ瞳を曇らせたり、夢見ごこちに霞ませたりしてはならない。
・・・君のようにしていられたら。
もう一度初めからやり直して、君のように成人して、思い悩んで眠れぬ夜を過ごしたりすることなく、堂々と楽しく素直にまっすぐに秩序正しく、神とも人とも和解して、無邪気で幸福な人たちに愛されたなら。
そしてインゲ、お前のような娘を妻にめとり、ハンス、君のような息子を持てたなら。
認識と創造の苦悩との呪縛から解き放たれ、幸福な凡庸性のうちに生き、愛し、光の世界を称えることができたなら。
もう一度やり直す・・・。
しかし無駄だろう。
やはり今と同じことになってしまうだろう。
一切はこれまでと同じことになってしまうだろう。
なぜなら、ある種の人々はどうしたって迷路に踏み込んでしまうからだ。
それは彼ら詩人たちにとって、そもそも生きていくべき正しい道というものがないからだ。
誠実で健全でまともな人間というものは、決してものを書いたり、演じたり、作曲したりはしないんだ。