kouheiのへそ曲がり日記

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無縁の原理

2005-11-10 11:15:00 | 日記
いまだに日本という国では、徳川家康の亡霊が大手を振って歩き回っている。

江戸時代以降、全ての人々は「有主」、「有縁」の原理に組み込まれた。
武士階層はもちろんであるが、農民階層においては、地主といえば親も同然、小作といえば子も同然、商人階層においては、主といえば親も同然、奉公人といえば子も同然、町人階層においては、大家といえば親も同然、店子といえば子も同然等々・・・。

それ以前の日本においては、つまり中世においては、「無縁」の原理が様々な方面で働いていた。
なぜ平安末期・鎌倉時代に優れた宗教家が輩出したのか、ということにも、この「無縁」の原理が強く作用していたと思われる。

「無縁」の原理が働くところ、そこは「自由」の場である。

カール・マンハイムは、資本家階級のイデオロギーにも、労働者階級のイデオロギーにも左右されず、より真正な意識をもちうる者として「浮動するインテリゲンチャ」層を措定した。

ジョセフ・ガベルは、「マルクスが弁証法の理論家になり得たのは、彼が労働者であったからではなく、存在の四辻に、いわば拘束されない立場にあったから」だと述べている。

どうやら、より真正な意識の持ち主になるためには、「無縁」の原理を体現しなければならないようだ。

縁をもたない、つまり社会的存在(社会的諸関係の総体)に拘束されない生き方が大事でありますぞ(笑)。