吉松ひろむの日記

高麗陶磁器並びに李朝朝鮮、現代韓国に詳しい吉松ひろむの日記です。大正生まれ、大正ロマンのブログです。

喧嘩

2005年05月29日 17時56分47秒 | Weblog
 喧嘩と言っても諺の話である。
 友人のA氏と利川のT窯へ行った。
 酒好きなA氏は早くソウルへ帰りたくて、登り窯(今はすべてガス窯)の炎口でどうも落ち着かない。
 私は運転手のU君に合図してまだ午後三時なのに井戸端へ行って手を洗った。
 大きな洗面器だったので、彼の手の横へ私の手をいれた。
 突然、
「さぁ!吉松先生と喧嘩をしょうか!」と言う。
 はてな…喧嘩?私は首をひねった。
「ハッハッハ…ウリナラの格言ヨ…同じ器で二人一緒に手を洗うと あとで喧嘩するヨ…と言われてるヨ」
 A氏の眼はテレビのコメデアンのように悪戯っぽい。
「よしよし、今夜はフカ酒をおごるよ…あいつはフカみたいに興奮 させるからな…」
 私逹は国道へでた。
 ラッシュが始まっていた。
「U君!もっとスピード頼むヨ」
 A氏は子供のように気がせいている。
「ハハハ…慌てる乞食はもらいが少ないぞ…」
 私がからかうと、
「両班は尻から琵琶の音!…」A氏はすかさず答えた。
 これはなにごともせかせか慌てる両班を揶揄した諺。
 相変わらず両班きどりだ。
 南大門あたりから渋滞がひどくなった。
 ソウルでは渋滞緩和の策として自動車ナンバーを奇数日、偶数日と分けて乗り入れ指導をしたが、違反車は減らない。
「明洞まで歩いて十五分だ!ここで降りよう」ミスター琵琶はたまらず車を降りた。
 結局、二十数分かかって目的の日式料理店に到着したが、なぜ日式にするのか理由は日本酒、しかもその店にヒレ酒があるからだった。

ある酒宴

2005年05月29日 13時03分00秒 | Weblog
鐘路の日式料理店で文化財専門委員二人、国立文化財研究所長、東国大学教授、韓国を代表する陶芸家、そして私の六人で酒宴を開いた。
 発起人は友人の酒豪、文化財委員のA氏である。この店は東国大学の教授逹の溜まり場でもあった。
 文化財研究所は主として古墳の発掘調査を行い、天馬塚(新羅時代)の発掘もK氏逹メンバーがおこなったのだ。
 古墳発掘にさいしてかならず地元の農民が強く反対し、発掘し始めるとかならず激しい雷雨にやられたと言う。
 王のたたりで、天変地異が起きると信じていたからだ。
 K氏は戦前、日本のM大学で学んだ工学博士である。
 昼間は電気メッキ工場で働き、夜学で単位を取得したと言った。 K氏は日本の松本清張を尊敬しているがその理由が面白い。
 来韓した清張と会ったK氏は贈呈本の清張の署名が…きちんと楷書で書いてあり、それに感動したヨ…と言う。署名はいかにも達筆風なくずし文字が多いが、清張のは人柄がにじんだ文字だったと言ったが面白い感想だ。
 東国大学のG教授は戦後生まれ、いわゆるハングル世代の四十三才、A氏は…彼は日本嫌いの男ヨ…とG教授を紹介した。
 この店の酒は大関である。あっと言う間に一升瓶二本が空になった。三本目がテーブルに置かれ、グラスにこぼれるほど注いだG教授は、
「秀吉はなぜ天皇を倒さなかったか…そのわけを聞かせてほしい」 と私に訊ねた。
「秀吉はこの国の壬辰倭乱(イムジンウェラン)の李朝実録に宣祖 王の二十五年、倭酋と記録されてますね…酋は未開人の意味…後 陽成天皇に秀吉はたびたび参内してますヨ、尊敬してるのです… 倒す気持ちは考えてもいない…」
 説明になっていないが、A氏が通訳してくれた。
 G先生は納得しかねた表情だった。私は韓国民謡の(コレタギ)東京ワ偉イ 偉イワ 天皇 天皇ワ人間 人間ワ私。を思い出した。「去年、学術会議で大阪へ出張、日本の良さが少し分かった!」 とG教授は言い、グラスを傾けた。
「また来月、ここで会を開こう!」
 A氏は名目はどうでも酒宴の好きな人物である。