吉松ひろむの日記

高麗陶磁器並びに李朝朝鮮、現代韓国に詳しい吉松ひろむの日記です。大正生まれ、大正ロマンのブログです。

茶房

2005年05月11日 09時12分22秒 | Weblog
茶房にて

 景福宮近くの茶房に入ってみた。
 若者や学生逹でテーブルはいっぱいだったが日本人と察したチマ、チョゴリの正装をしたママが隅のテーブルへ案内してくれた。
 近代風の建物だが窓は格子窓で木製のテーブル色は光沢のある茶褐色、窓辺に李朝ものの月餅白磁壺が飾ってあり落ち着いた雰囲気の茶房だった。
 ソウル市内の至る所でハングル看板の薬局や茶房をみかけるが、茶房は喫茶店のこと。 この店には麦酒、菓子、人参茶もある
 茶房は茶を司る房だが、高麗、李朝時代からあり、本来は茶のほか、薬草もあつかっていた。
 ママの客席をまわる姿は白鳥が舞う風情があって私はその美しさにみとれてしまった。 出されたよく冷えた麦茶で喉を潤していると学生逹が議論を始めた。大学教授批判の話らしい。
 すると入ってきたスーツ姿の二人、それとなく見ていると、先輩らしい男性がカップを手にとり、どうぞと後輩男に勧め、後輩は先輩が一口飲むのを待って初めてカップを手にした。長幼の礼儀を重んずる儒教が生きていると思った。
 アガシ(娘)に…本貫は?…と訊ねると…光州の韓です…先生様は僑朋でしょう…と答えた。私の拙い韓国語を耳にして在日韓国人二世と間違えたのだ。
 テーブルのナプキンは十長生文で、陽、松、鶴、鹿、亀、寿草、岩…などが透かし絵になっているが儒教より道教の不老長寿のシンボルか。光州は全羅北道の中心的大都市である。
 かっての光州学生独立運動発祥の地であり、昔から反骨精神のみなぎる地てもあり、慶州道や京畿、忠清各道の人々が全羅南北道を差別する気風がまだ残っていて、郷党意識の強さと団結は事あるたびに噴出するのである。光州事件は戦前に、日本人学生と朝鮮人学生との差別に端を発した騒動事件だが、やがて全土にわたる独立運動(一九二九~一九三〇)の展開となった経緯がある。
 茶房はコーヒーを近在の会社、事務所などの注文で出前をするが運んできたウエイトレスは客が飲み終わるまでじっと立って待つている。飲み終わるとカップを持って帰る。慣れないと、早く飲んでください…と言われているようで落ち着かない気持ちになる。
 扶余の茶房では美しいウエイトレスが話相手として客席に座ってくれ、地方ではこんなサービスはどこでも受けられる。

キムチ窯

2005年05月11日 08時16分54秒 | Weblog
利川の帰途、広州街の手前、国道の西、南向きの斜面で普通の登り窯よりはるかに大規模な窯から青い煙が立ち上っているのを見た。
「キムチ甕の窯場ヨ!」
「ちょっと回ってくれない?」好奇心が沸いて私は劉君の肩をたたいた。
「ネェ!ネェ!」いつもの特徴ある甲高い返事が返った。
小屋の前に焼きあがった大小のキムチ甕が肩怒らせて数十も並んでいる。
・・家の玄関脇に置くと見事なものだ・・・私は一目ぼれした。
値段は超安い。
ロクロ場では数名のロクロ工がコンビを組み、見る間に大甕を紐巻きあげ手法で成型していた。
燃料置き場に松枝の大束が山積みなっている。火力が強いので生のまま焚口に投げ込むのである。
草花模様は指を使って手際よく一気に掻きあげていた。
キムジャンの季節(11月のキムチ漬けの季節)サラリーマンはキムチボーナスを手にして市場で材料を買い求める。
備前焼のようにゴマのかかった鉄釉の大量の窯場のキムチ甕はどこの家庭へと旅するのだろう。親方らしい爺さんが日焼けした顔でうまそうにタバコをふかしていた。ふと・・・
黒い火打石カチンと打って
タバコ一服吸ってみなせぇ
タバコの味がこんなものなら
米の味はどんなだろう・・・・
李朝挑戦王朝の頃、賎民陶工達は米の味も知らずにこんな俗謡をのんびり歌ったに違いない。