吉松ひろむの日記

高麗陶磁器並びに李朝朝鮮、現代韓国に詳しい吉松ひろむの日記です。大正生まれ、大正ロマンのブログです。

済州島その3

2005年05月14日 08時49分37秒 | Weblog
 十三世紀まで耽羅と言う独立国だったが高麗末に州に格下げされた。島のいたる所、石垣に囲まれた農家、その石垣も低いし屋根も風の抵抗をさけるためゆるい曲線をしている。反面、観光都市化も進み、道庁、大学、役所、ホテル、商街、レジャー施設もあり、古さと現代が同居してる島である。中央に聳える漢拏山(ハンラサン)は標高千九百五十米、韓国第一の高い山だ。
 李氏朝鮮王朝は朱子学によって所謂士禍闘争を繰り返し、そのため両班や儒者逹が流罪されたのが済州島だった。日本の佐渡のように中央から遠流された宗教家、芸術家、上皇や百人を超す高貴な人々の血脈のせいか、佐渡十万の人口にしめる有名な人々の輩出比率は他県の十倍もあるが、その意味で済州島も優れた人材を多く生み出している。 春、夏、秋、の草花、山鳥、自然の美も韓国第一と言ってよい。
 この稿のその二で述べたように、三姓穴祭祀の春、夏には高、夫、梁一族が集まり儒教礼儀にもとずく大祭がある。これも沖縄の春の節日祭りと同じである。門中一同が集まって墓参りした後、亀甲墓の上の芝生で盛大に泡盛を飲み、三線を鳴らし、てんでに手をふり指笛を鳴らして踊りまくる。
 少し前までは農家で豚を飼うのに、厠の下に豚の養育場所があって糞尿を豚の食べ物とさせるが沖縄でも同じ方法だった。
 琉球王朝、台湾、奄美列島、済州島、あるいは九州まで琉球弧と言って海洋文化圏だから、どちらが先か分からぬが養豚方法は済州島と沖縄はおなじである。
 よく舗装された漢拏山麓道路脇には山ツツジが満開だ。溶岩の山裾の美味しい地下水が海岸の至る所に湧きでている。
 夜、梁さんの天幕(テポチプ…屋台)で真露(焼酎)と焼き鳥(チォク)でいっぱいやった。
「ハングル制定の時、女逹が猛反対したのはほんとうですか?」と訊ねた。
「世宗王(セジョン)の二十八年、『訓民正音』としてハングルは生れたが、王の民百姓 が文字を読めずに自分の意思をよく表せないと言う慈悲から生れたのです…しかし、中 国を宗主国としているので新しい文字を作るのは中国にたいする尊敬を失わせると言う 理由で一部が反対したのヨ」と見事な答えが出た。
 南大門市場のアジェモニーと同じく、息子二人は済州大学、理科大学を出て、ソウルの高等学校で教師をしてると言った。
 実家は南部の西帰浦(ソクィポ)で漁業をしてると言った。
 因みに漢和辞典に耽羅の耽は耳タブ、また、楽しむ、の意味とあり、羅はつらねる、とあるところからこの名前になったと私は勝手な想像をした。