百濟仏の微笑
百濟仏はいつも不思議な微笑をたたえている。
とりわけ、私が感動したのは、扶余博物館の錦城山仏の口許と目尻の微笑である。
暖かい包容と慈悲にあふれた仏像である。
これを彫った仏師逹も生命の感覚が仏と冥合したに違いない。
扶余博物館の屋根は日本の神社にあるような千木が巾広い鉄筋でくまれているが、この建造に際して千木をとりやめるべきとの反対意見がでて、甲論乙駁の末、やっと今の形に落ち着いたと友人の文化財専門委員のA氏が語った。
このA氏は現在の両班と言ってよいほど、両班では名門の安東両班の出で、歩き方も、のんびりしたその性格、そして儒学の博識、かっての両班もかくならんと思はせる人物だった。曾祖父の代に賭碁で田地田畑が他人の手にわたったとまるで人ごとのように話す。 屋根の破風板の先端は出雲方式のように平にきってある。
百濟と出雲神話のどこかで接点があるのだろうか。
開館前に裏門からひっそりとした館庭を眺めていると、背中こしに老婆の声がした。
「日本人とワタシタチは兄弟ヨ!」と葱束を手にしてたっていた。
「昔、百濟へ日本の斉明天皇は援軍を…」私は答えた。
「だから兄弟ヨ!」
老婆は親しげな表情で言った。
館内の金銅如来三尊像はまるで息をしてるように感じる。銅剣、古代瓦、忍冬文、貴人用の巨大な甕棺など、なぜかにほん古代の遺物を彷彿とさせる。
小さな金銅如来像の眼が私に優しい微笑を送ってくれた。
館内には韓国中学生逹が十数人、しきりにメモをとりながら、引率教師の説明に頷いている他、日本人は私一人だけだった。
百濟仏はいつも不思議な微笑をたたえている。
とりわけ、私が感動したのは、扶余博物館の錦城山仏の口許と目尻の微笑である。
暖かい包容と慈悲にあふれた仏像である。
これを彫った仏師逹も生命の感覚が仏と冥合したに違いない。
扶余博物館の屋根は日本の神社にあるような千木が巾広い鉄筋でくまれているが、この建造に際して千木をとりやめるべきとの反対意見がでて、甲論乙駁の末、やっと今の形に落ち着いたと友人の文化財専門委員のA氏が語った。
このA氏は現在の両班と言ってよいほど、両班では名門の安東両班の出で、歩き方も、のんびりしたその性格、そして儒学の博識、かっての両班もかくならんと思はせる人物だった。曾祖父の代に賭碁で田地田畑が他人の手にわたったとまるで人ごとのように話す。 屋根の破風板の先端は出雲方式のように平にきってある。
百濟と出雲神話のどこかで接点があるのだろうか。
開館前に裏門からひっそりとした館庭を眺めていると、背中こしに老婆の声がした。
「日本人とワタシタチは兄弟ヨ!」と葱束を手にしてたっていた。
「昔、百濟へ日本の斉明天皇は援軍を…」私は答えた。
「だから兄弟ヨ!」
老婆は親しげな表情で言った。
館内の金銅如来三尊像はまるで息をしてるように感じる。銅剣、古代瓦、忍冬文、貴人用の巨大な甕棺など、なぜかにほん古代の遺物を彷彿とさせる。
小さな金銅如来像の眼が私に優しい微笑を送ってくれた。
館内には韓国中学生逹が十数人、しきりにメモをとりながら、引率教師の説明に頷いている他、日本人は私一人だけだった。