吉松ひろむの日記

高麗陶磁器並びに李朝朝鮮、現代韓国に詳しい吉松ひろむの日記です。大正生まれ、大正ロマンのブログです。

明洞の花売り爺さん

2005年05月18日 16時30分35秒 | Weblog
 あの柔和な顔の善良そのものの爺さんまだ生きているかな?
 十五年前の明洞の繁華街、退湲路に通じる路上に花を売る爺さんがいた。
 それとなく仕草を見ていたら、急に大声でわめきだした。
 何事ならんと見ると、若い娘二人を呼び止めて怒っているのだ。 花の押し売りではない。
 呼びとめられたのは前のNONNOの店から出てきたばかりの二人だった。
 娘逹がティッシュを知らぬ顔して投げすてたのか、そのまま過ぎ去ろうとしたので路上のくしゃくしゃになったかたまりを指差してかんかん顔。
 モラルのなさを嘆いているのだ。
 その路上は明洞でも一番清潔な路で来る度に、誰が掃除するのか塵ひとつない綺麗な路だった。
 退湲は儒聖、李退湲の退湲である。
 年はおそらく七十を越しているだろう。戦争中はさぞ苦労したであろう深い皺がそれを物語っていた。
 この年代は徹底した儒教のモラルをたたき込まれて育った年代だ。 なんたることか、と天を仰いで落胆しながらも、我慢ができずに娘逹を叱りつけたのである。
 どうなるかと見ていたら、さすが韓国女性である。
 年配者の注意を素直にうけ、小さい声で、ミアナムニダ!と言い後へ戻って落としたテッシュを拾い、バッグにいれて立ち去った。 中学の卒業式を終えた子供達が習った教師に校庭に座ったまま一斉に感謝の頭を下げている光景をテレビで見たばかりだった。
 今や韓国でも儒教に厳しい世代からハングル世代と変わりつつあるがモラルはいつの時代でも大切にしなければ、と思った。

犬と蟹

2005年05月18日 11時42分04秒 | Weblog

 犬と蟹

 犬はケーと発音し、蟹はケェと言うが日本人の舌ではこの区分けは難しい。ケーの方は唇を横に大きくのばして発音する。
 韓国人は夏の暑気払いに犬、とくに赤犬を食べる習慣があり、犬は韓国の諺にしばしば出てくる。
 犬にかんする諺。
 …両班は溺れても犬かきはしない。
 …書堂の犬が三年目に詩を朗読する。
 …犬の子のような奴(ケージャンシク ムケセッキ)と言えば人を罵倒する時に使う言葉である。
 ソウルのような高層ビルの林立する街に犬は見掛けないが、田舎へ行くと赤犬逹は広い庭を我が物顔で走り回る。
 しかし農村にも近代化の波がおしよせ、一九七〇年代に全国で始まったセマウル運動で藁葺農家は煉瓦建築に代わり、赤牛だけがのんびり糞だらけの尻尾をふって鳴いている。 韓国の諺には心なごませる表現が多い。
 …婿は百年の客。…婿は半分息子。婿の立場はいずこも同じである。
 …殴る姑より仲裁に入る小姑がもっと憎い。
 韓国には家庭的な行事が多く、例えば命日の前に行う忌祭祀、元旦の節祀、そして時祭三月三日、五月の端午、七月の七夕、秋月、九月の重陽などなど、とくにひどいところ では(チェサ)が毎月にもおよぶ家もあり、その都度、姑と小姑の論争は絶えない。
 まして儒教で凝り固まった祖父さん逹の作法についての論争は毎度のことである。
 …雉の代わりにニワトリ。
 昔、雉は結婚式で新婦が新郎にそれを送る朱子学の伝統からの習慣があったが高価なので今は木雁ですませるようになった。  
 金剛山も食後の眺め。(クムカンサンド シフク ギョン)は花より団子と同じである。 『田舎家』で膳の小皿に二十数種類も並んだ料理を見て、金剛山も食後の眺め、と運んできたアガシに言ったら、カムサムニダと答えてくれた。
 ケェで思い出すのは晋洲のけちんぼ両班が蟹を小皿に並べて食べ図に見ただけでおかずにしたという両班をほ揶揄した話だが次回に譲る。