吉松ひろむの日記

高麗陶磁器並びに李朝朝鮮、現代韓国に詳しい吉松ひろむの日記です。大正生まれ、大正ロマンのブログです。

晋州の吝嗇ん坊

2005年05月08日 09時15分26秒 | Weblog
晋州の吝嗇ん坊

 晋州の吝嗇の話をある友人から聞いた。
 朝鮮八域誌の著者、李重煥によれば晋州は名峰、智異山の東に位置する大きな邑で将師や政丞となるべき人材が排出し、土地が肥沃で山川の風水にすぐれ、士大夫は豊かな暮らしを誇り邸宅は豪勢をきわめ、官職に上れない者でも、悠々自適する公子と称したとある。 周辺は昔から肥沃の土地で風水は八道でも最も恵まれていた。
 李氏朝鮮王朝に入って青磁の伝統をひきついで粉青の焼成もさかんだった。
 韓国の考古グループによる古窯発掘調査も数次にわたって行われ、晋州は井戸の故郷説も浮上したが、私は否定的である。
 井戸の陶胎は朝鮮の土であることに間違いはない。
 しかし、李朝のいつ頃、いずこで焼成されたのかは謎のままで、今まで、多くの古窯の破片を見てきたが、たとえ高台にカイラギ(釉が刀の柄状の粒)が見えても残念ながら白磁であった。
 さてコムヤンイの話だが、ある両班家での食事。
「おいっ!母さんや、今日は蟹をたべたいのう…」
「あいヨ、この春とれた蟹があるヨ」
「早速いただくとしょう」
 妻の慶叔が小皿をだした。
 小皿には小さな川蟹が一匹、ごまのような眼で慶叔をにらんでいる。
「いつ見てもええ蟹じゃ…」
 夫婦は結局、蟹に箸をつけず、眺めてでる口唾をおかずにして麦飯をかきこんだという。 コムヤンイは裕福な風土の晋州だからこそ生れた伝承話であろう。
 財に恵まれた両班のなかにはこのように吝嗇して暮らした人物もいたに違いない。