吉松ひろむの日記

高麗陶磁器並びに李朝朝鮮、現代韓国に詳しい吉松ひろむの日記です。大正生まれ、大正ロマンのブログです。

左道

2005年05月25日 19時15分28秒 | Weblog
 李朝時代は排仏、儒教を国教としたので仏教を左道と称した。
 囘座という言葉がある。囘は回の古字、ものを動かす意味があって、排斥され、扱いされた僧逹が仏の功徳を演出するために、囘座すなはち仏をこっそり動かして、仏が人の願いを聞いて動いて返事をしたと偽ったのだ。
 これが各地に流行ったらしく、政令で囘座ヲ禁ズとした。
 また舎利分身の言葉もあった。
 これも前記同様、僧逹が仏骨(舎利)が自然に増えている…と仏教をたかめる流言をしたのだった。
 しかし、上寺と言って、儒学生や、婦女が寺刹に宿留するならいがあり、風俗上の問題がおおかった。
 現代韓国の仏教はほとんど曹渓宗で、日本で言えば禅宗にあたる。 ソウルには韓国最大の本山が仁寺洞近くにあり、周囲には仏具を扱う店も多い。
 僧軍と言う言葉もある。日本では比叡山の武装僧侶集団を思い出すが、これは僧徒で編成した軍隊といっても、じっさいは人夫集団で主として官の工事に使役されたのでここにも仏教迫害の風習があった。造泡寺、は文字通り、祭り専用の豆腐を作る寺刹のこと。寺刹の精進料理が文録慶長の役で日本に拉致した豆腐職人をいち早く取り入れ、厚くもてなし保護して豆腐作りを奨励したのは土佐藩で、いまもそれらの人々が住んでいた町を唐人町として残っている。
 土佐の豆腐は堅くて美味しい。
 私の郷里、土佐の山村でも豆腐は皆、自家製でその美味しさは忘れられない。
 高麗王朝時代の仏教の基本は弥勒信仰にあり、弥勒は慈氏とも言い、仏滅後、五六億七千万年ののち弥勒がこの世に再現して衆生を救うと言う教えであり、李朝でも力の弱まった僧侶逹に世の不幸をふせがせようとの王の命令で読経ヲセシメル…とあり、一口に排仏といっても、頭が廃棄された仏像も無傷の仏像もあり、このへんの区別は私に分からないが完全に仏教を廃棄したとはいえないだろう。 壬辰倭乱の時、小西、加藤軍は寺院の焼却は避けたとある。
 また妖僧悪行シ自ラ神僧ト称シ、女居士ノ年少者ヲ誘イ奸婬スとあり、左道の堕落が多かったことも李朝実録にしばしば見える。

煙草

2005年05月25日 06時48分02秒 | Weblog
十五年ほど前、アメリカへ飛んだジャンボ機の喫煙席は最後部の二席だけで、十七時間に及ぶフライト中、待時間の人はいなかった。 当時の日本では窓口で煙草を吸いますか?と聞かれ、それぞれ禁煙席、喫煙席と分かれていた。友人のロサンゼルス郊外の家でも屋内は禁煙となっていた。
 今や喫煙者は肩身の狭い思いで我慢する事が多い。
 韓国でも日本と同じ事情だが、さすがは儒教の国、初めて知人の会社社長と韓国へ旅した一九八〇年、戦前に日本のC大学をでて、長年、銀行に勤め、退職したH氏とソウルの事務所で会談した時、奇妙な体験をした。知人は私より十才若く、H氏は私より五、六才年上だった。
 知人はヘビースモーカーで一日、四箱も吸う男、事務所に入った途端、知人は煙草を取り出して火をつけるとたちまち吸い終わり、一分もしないうちに次の煙草を取り出した。
 その時だった。
「私も一本…」とH氏が社長のたばこをだまってつまみ、すぐ火をつけた。韓国では外国煙草を吸ってるのが見つかると、その場で罰金、六万ウオン(日本円で二万円)が秘密監視員によって通達される。
 日本のタバコが吸いたくてそうしたのかな、と私は思っていた。 ところがなんと、知人が煙草をつまむたび…私も…と言って手をだすのだ。
 はっと思った。H氏は自分の眼の前で年下の社長が断りもせず、身勝手に煙草を吸う無礼な日本人を心の中で怒っていたのだ。
 儒教の伝統を今に残す韓国では、年配者の前で若者がもし喫煙しようものなら(ありえない)烈火のごとく叱られる。
 H氏にしてみれば相手が外国人なのでじっと我慢しょうとしたが、目の前の非礼に対抗して同時に煙草を吸う結果となったのだ。
 李朝時代、煙草は煙酒(ウォンチュ)と書いた。なるほど喫煙による陶酔は飲酒と同じ作用だろう。ちなみに煙管は横竹と書いた。 長さ七、八十センチもある竹のキセルを使う李朝人の有様はまさに横竹の図である。