吉松ひろむの日記

高麗陶磁器並びに李朝朝鮮、現代韓国に詳しい吉松ひろむの日記です。大正生まれ、大正ロマンのブログです。

ある酒宴

2005年05月29日 13時03分00秒 | Weblog
鐘路の日式料理店で文化財専門委員二人、国立文化財研究所長、東国大学教授、韓国を代表する陶芸家、そして私の六人で酒宴を開いた。
 発起人は友人の酒豪、文化財委員のA氏である。この店は東国大学の教授逹の溜まり場でもあった。
 文化財研究所は主として古墳の発掘調査を行い、天馬塚(新羅時代)の発掘もK氏逹メンバーがおこなったのだ。
 古墳発掘にさいしてかならず地元の農民が強く反対し、発掘し始めるとかならず激しい雷雨にやられたと言う。
 王のたたりで、天変地異が起きると信じていたからだ。
 K氏は戦前、日本のM大学で学んだ工学博士である。
 昼間は電気メッキ工場で働き、夜学で単位を取得したと言った。 K氏は日本の松本清張を尊敬しているがその理由が面白い。
 来韓した清張と会ったK氏は贈呈本の清張の署名が…きちんと楷書で書いてあり、それに感動したヨ…と言う。署名はいかにも達筆風なくずし文字が多いが、清張のは人柄がにじんだ文字だったと言ったが面白い感想だ。
 東国大学のG教授は戦後生まれ、いわゆるハングル世代の四十三才、A氏は…彼は日本嫌いの男ヨ…とG教授を紹介した。
 この店の酒は大関である。あっと言う間に一升瓶二本が空になった。三本目がテーブルに置かれ、グラスにこぼれるほど注いだG教授は、
「秀吉はなぜ天皇を倒さなかったか…そのわけを聞かせてほしい」 と私に訊ねた。
「秀吉はこの国の壬辰倭乱(イムジンウェラン)の李朝実録に宣祖 王の二十五年、倭酋と記録されてますね…酋は未開人の意味…後 陽成天皇に秀吉はたびたび参内してますヨ、尊敬してるのです… 倒す気持ちは考えてもいない…」
 説明になっていないが、A氏が通訳してくれた。
 G先生は納得しかねた表情だった。私は韓国民謡の(コレタギ)東京ワ偉イ 偉イワ 天皇 天皇ワ人間 人間ワ私。を思い出した。「去年、学術会議で大阪へ出張、日本の良さが少し分かった!」 とG教授は言い、グラスを傾けた。
「また来月、ここで会を開こう!」
 A氏は名目はどうでも酒宴の好きな人物である。

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2 コメント

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韓国で大関だったんですね(笑) (さちのすけ)
2005-05-29 15:55:34
はじめまして、吉松さん。

当方の稚拙ブログヘお出で下さった事、感謝いたします。



福島県は温泉旅行で何回も出かけております。

去年は夏に五色沼の観光で一回と、秋に鬼面山のへの登山に一回の計二回、福島旅行をしました。

いずれも高湯温泉のひげの家に宿泊でした。

福島は海の幸と山の幸、両方堪能できるので大好きなのですが、千葉県から一泊旅行だと、やや遠く感じます。



吉松さんも、温泉がお好きのようで、韓国でも入っていらっしゃったのですね。

私は12年程前に韓国へ旅行しましたが、当時、まだ日本では珍しかったアカスリを受けるために、ソウル市内のホテルの中でのお風呂には入りましたが、温泉には行っていません。

ちょっと後悔です・・。

今は韓国がブームですから、吉松さんのブログで、韓国を勉強される女性は多そうですね。

私は「四様ファン」ではないのですが、日本人と顔は似ているのに韓国の方のハッキリとした物言いや、ちょっとした日常でのマナーの違いが面白く感じられるので、またチャンスがあったら出かけたいと思っています。(その節は、是非温泉に入りたいです。)

そういえば、ソウルから電車に乗ったとき、日本語ペラペラの韓国のおじいさんが話し掛けてきたんです。

「あぁ、戦争時代の・・」と思いましたが、ニュースなどの憎々しげな様子とは全く違って、とても優しい表情でした。



吉松さんのブログ、これからも拝見させていただきます。

お目汚しになるとは思いますが、私の鶉日記もたまにご覧になってみて下さいませ。



PS;茂原は私の家から近いですよー(^^)v





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Unknown (さちのすけ)
2005-05-29 17:00:57
茂原に息子がいます福島に来てください。山小屋みたいな家ですがとまれます。私は八十才ですが皆が六十才といいます。ヱへン。面白いオッサンです。韓国旅は数しれずこれからもおくります    
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