吉松ひろむの日記

高麗陶磁器並びに李朝朝鮮、現代韓国に詳しい吉松ひろむの日記です。大正生まれ、大正ロマンのブログです。

正座

2005年05月10日 08時40分06秒 | Weblog
正座

 韓国の陶芸家のU氏とある流派の茶会に招かれた。
 U氏は緊張した表情で茶室にはいったが困惑めいてもじもじしだした。
 先客の男はきちんと正座している。
 亭主がさぁどうぞ、と正客の位置へ案内した。       
 彼がちらっと私を見たので、すぐ気づいて、いいですよ、そのまま胡座してください…と小声でささやいた。
 亭主も察して、どうぞ、どうぞお楽にしてください…と言った。
 U氏は正座してる男を見て悩んたのだ。
 韓国人がオンドル部屋で座る時、女は立て膝、男は胡座となる。
 和室では日本人のほとんどが胡座、女性は正座、楽にしたい時は横へ足をずらすこともある。
 しかし、国宝の松浦屏風、風俗図をみると、琴、三味線、に向かう姿態は立て膝が四人、横座りの艶めかしい姿が一人、また寛永時代の婦女悦楽図では立て膝、横座りが二人づつであり日本でも昔は女の立て膝があった。
 ソウルのパゴタ公園でみかける男や老人逹は腰を深く落として膝をまげるがこの方が蹲踞よりはるかに楽になる。野外で日本人のほとんどは力士のように蹲踞姿勢をとるか膝を左右高低にして腰を浮かす。この姿勢は次の動作に移りやすい。
 四畳半、三畳、二畳の狭いわび茶空間ではやはり正座のほうがよいのだろうが、戦国武将逹は勿論胡座姿であり、胡座が正しい座り方であった。
 大陸性大地、低い丘陵がつづく韓国、高い山を背にした狭い日本、こんな自然から胡座と正座文化がうまれたのだろうか。
 日本の生菓子になれないU氏は…京都から取り寄せたのです…と亭主に勧められ口にしたがなんとも言えない神妙な顔になった。
 韓国、宮廷料理にでてくる菓子とは甘さが全く違うのである。
 以前、土産に濡れ甘納豆を食堂の娘にあげたことがあったが、本人はもとよりまわりの数人は口にすると皆、苦いものを食べた時の顔になった。
 U氏は礼儀正しい人物なので、流暢な日本語で…たいへんけっこうでした…と頭をさげた。

劉(ユウ)君のキムチ

2005年05月10日 08時18分02秒 | Weblog
ソウルの南、利川郡周辺には李氏朝鮮時代の分院(ブンウォン)官窯跡が多く、現代陶芸家の窯場は数十箇所も増えた。
著名なT窯の運転手、劉君はとても人懐っこい顔の青年でよく気配りもしてくれる。窯場の賄いをする老夫婦のキムチは私が今まで食べたキムチの中では最高の味と思っている。私の嗜好もあるが、やや辛いが二十種類もの具が溶けて魔味が口に広がる。
近くの水下里から通ってくる劉君がロクロ工の洪(ハン)君と昼飯を食べている。中を覗くと、もちろん洪君のおかず入れの七割は真っ赤なキムチであふれている。
劉君はにほんの白菜とそっくりのものが入っている。
「劉君、どうしてキムチを食べないの?」と私が尋ねると
「食べているヨ」と答えた。
「芥子がないのにどうして?」
「ははははは・・・イエンナリキムチヨ」と少年の顔をして笑った。
「昔のキムチは芥子なしか?」私は新発見した。
「辛いものはだめヨ、俺のキムチは昔の沈菜(チムチェ)ヨ・・・」
「チムチェ?」
彼はとても縦長に沈菜と漢字を地面に書いた。
なるほど、日本の白菜漬と同じだな・・・と思って、彼の沈菜をつまんだ。
独特の甘みは少なく、ニンニクの匂いが強かった。
16世紀に日本からきた唐辛子をこの沈菜に使うようになってキムチが生まれたことをはじめて知った。